第76話 エスケイプ
やる気を取り戻し、街へと呼び込みに駆けていくメイを見送り、俺は次の会場へと向かった。
俺がやってきたのは、予想順位第2位のキャサリンのステージだ。パーティメンバーにはもちろん勝ちたいが、クエスト的に一番勝たないといけない相手は、ほかの誰でもない、キャサリンその人だ。
街の中心に近い場所にある野外ステージに到着すると、ちょうどキャサリンがハープの演奏を終えたところだった。
ハープの最後の一音の余韻が会場を包む中、ステージ上のキャサリンを見つめる。
その視線が、こちらに向いた気がした。
キャサリンのステージに集まった観客は、エルシーやウェンディに負けないくらい多い。
これだけの観客の中から、俺を見つけられたとは思えない。俺の気のせいだろうと思っていたら、キャサリンは俺の方に視線を向けたまま、ウィンクしてきた。
「……もしかして、俺に向けて?」
――いや、そんなわけがない。
キャサリンにとって俺は、エルシーのプロデューサーに過ぎない。
俺に関心があるとすれば、それは俺個人ではなく、俺がどうエルシーを導くかという点だろう。
どう考えても、俺にウィンクするような関係じゃないはずだ。
そう考えたときには、キャサリンはすでにステージを離れ、控室テントへと戻っていってしまっていた。
ステージには誰もいなくなった――だけど、観客は誰もその場を離れようとしない。
誰もが、次に彼女が戻ってくる瞬間を当然のように待っていた。
休憩時間さえ客を留めておく。それだけの引力が、キャサリンにはある。
残り五日を切った時点で、このキャサリンの上に立っていたのはミコトさんのカレンだけ。俺とエルシーはまだキャサリンに負けている。
「カレンに勝つ前に、まずキャサリンに勝たないとな」
そう思いを新たにし、俺はキャサリンのステージに背を向けた。
できることならキャサリンのパフォーマンスを見ておきたかったが、休憩時間が終わるまで待っている余裕はない。
予想順位1位のカレンのステージがまだ見られていないし、一人にしているエルシーのことも気になる。
時間は無駄にできない。
だが、そうやってこの会場から離れようとした俺の後ろから声がかかった。
「なによ、もう帰るつもり?」
聞き覚えのある声に振り返ると、青いドレスのような衣装を纏い、息を切らしたキャサリンが立っていた。
先ほどまでステージに立っていた、そのままの姿だった。
露出の多い衣装からは、腕や脚、そして引き締まった腹が覗き、その肌には細かな汗が浮かんでいる。
その汗が、彼女のパフォーマンスがいかに激しいものだったか物語っていた。
「エルシーのライバル達の偵察が俺の仕事だからな。まだほかに行かないといけないところがある」
「……なによ、私のステージだけ見にきたわけじゃないのね」
「…………」
ちょっと拗ねたような顔でそんなことを言われてしまい、俺は言葉に詰まる。
え、なに、この反応?
あなたNPCだよね?
俺を混乱させる罠なのか?
このままキャサリンルート突入――なんて妄想が浮かんでくるが、俺は頭を振ってそんな妄想をかき消す。
「観客の様子を見れば、君がすごいパフォーマンスを見せているのはわかる。でも、エルシーも負けてはいないぞ! 選挙当日を楽しみにしていてくれ!」
キャサリンは、嬉しそうでいてどこか名残惜しそうな笑みを浮かべた。
「そう、では楽しみにしておくわ。……私は次の曲の準備があるから戻るわね」
「ああ、頑張れよ」
ライバルを応援するような言葉が自然と口をついて出てしまった。
キャサリンは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔で頷き、控室テントの方へと駆けて行った。
「俺ものんびりはしていられないな。ライブは一日あるとはいえ、実時間はそれほど長くない。ミコトさんのとこの様子を見に行かないとな」
俺は街の中心に位置する、この街最大の野外音楽場へと向かった。そこがカレンに与えられたステージだ。
カレンの会場を最後に回したのは、ほかを気にせず最大のライバルのステージをじっくり見るためだ。
ミコトさんとカレンを倒さなければ、俺達に優勝はない。
そう考え、意気込んで会場へ来てみたのだが――
「なんだこりゃ?」
常設ステージの上には誰もおらず、観客の姿も見当たらない。
休憩中という雰囲気でもなかった。カレンほどの吟遊詩人なら、休憩中でも周囲に人が残っているはずだ。
嫌な予感を覚えながら、俺は控室テントへ向かう。
だが、テントの周りにも誰もいない。
ライブ当日とは思えない静けさだった。
歓声どころか、準備の物音すら聞こえない。
まるで、この会場だけ世界から切り離されたみたいだった。
「何か狙いがあって、ライブ会場を変更したのだろうか?」
この野外音楽場は、客観的に見ても立地も設備も申し分なく、今回の全20会場の中でも間違いなく最高の施設だった。
そこを敢えて変える理由は思いつかないが、俺には考えも及ばない秘策があっても不思議ではない。
「ミコトさん、いる? 中に入るよ?」
この状況でテントの中に誰かいるとは思えなかったが、俺はそう声をかけてから中へと足を踏み入れた。
「やっぱり誰もいないよな――って、ミコトさん!?」
最初は、本当に誰もいないように見えた。
テントの奥で肩を落として座り込むミコトさんが、あまりにも小さく見えたからだ。
いつも明るく朗らかな彼女とはまるで別人で、俺は一瞬、自分の目を疑った。
「どうしたんだよ、ミコトさん!?」
テント内にはミコトさんだけで、カレンの姿はない。
だが、それ以上に今のミコトさんの様子が気になって仕方がなかった。
ただ事ではないのは明らかだった。
「……あ、ショウさん」
ミコトさんはようやく俺に気づいたように顔を上げた。
その顔はずいぶんとやつれて見える。
このVRシステムでは、ヘッドギア着用者の感情がそのままキャラクターの表情にも反映される仕組みになっている。
その顔を見ただけで、相当なことがあったのだとわかった。
「ミコトさん、ライブもせずにどうしたんだよ! ほかのみんなは全力でライブ中だよ! だいたい、カレンはどこへ行ったの!?」
「あははは……喧嘩して、カレンに出ていかれちゃいました。……私、プロデューサー失格ですね」
「――――!?」
泣きそうな顔で笑うミコトさんに、俺はすぐに声をかけてあげられなかった。




