第4話 ギリギリの攻防
「ショウ、ダメージを出しすぎてタゲを取るなよ」
「わかってる!」
クマサンが心配そうに声をかけてくる。
だが俺は、このゲームを始める前、別のオンラインゲームにどっぷりハマっていた時期がある。
アナザーワールド・オンラインでのパーティ経験は少なくとも、アタッカーとしてのヘイト管理の基本は理解しているつもりだ。
いくらタンクが「挑発」や「陽動」でヘイトを稼いだとしても、敵のターゲットを永遠に固定できるわけじゃない。
タンクが攻撃を受ければ、その分だけヘイトは減少する。
モンスター側からすれば――
「憎たらしい奴だ、殴ってやる」
「お、結構効いたな」
「……少しスッとした」
そんな感覚なのだろう。
その状態で俺が大ダメージを叩き込めば、ヘイトは一気にクマサンを上回り、猛き猪の視線は俺へと向く。
防御力の低い俺が直撃を受けて一撃死すれば、この戦いの勝ちはなくなる。
仮に生き延びたとしても、ミコトさんに余計な負担をかけることになる。
回復によるヘイトで彼女が狙われれば、一瞬で戦線崩壊だ。
だからこそ、俺はむやみに攻撃できない。
なにしろ、ヘイトは目に見えない。
だが、これまでの流れと場の空気から、直感的にわかる。
――今は危険だ。
調子に乗って、今と同じダメージを連続で叩き込めば、猛き猪の狙いはこちらへ向く――そんな気配を、肌で感じ取った。
このゲームでは、食事の匂いさえ再現される。
しかし、今感じているのはそういうものじゃない。
現実の匂いでも、ゲーム的な演出でもない。
五感を超えた――危険の臭いだ。
今は、攻撃のタイミングじゃない。
クマサンが、もう一度ヘイトを溜め直してくれるのを待つ。
「猛き猪! 俺だけを見ろ! スキル、挑発」
クールタイムを終えたクマサンが、再び挑発スキルを発動する。
猛き猪のヘイトが、一気に引き戻された。
――今だ!
「スキル、ぶつ切り!」
【ショウは猛き猪にぶつ切り ダメージ212】
俺の料理スキルによる一撃が炸裂する。
だが、猛き猪のターゲットはクマサンから動かない。
俺とクマサンの目が合った。
(ナイスだ、ショウ)
(さすがだ、クマサン)
言葉は交わさない。
それでも、その一瞬で、確かに通じ合った。
「いけるぞ、二人とも!」
俺は、支えてくれる二人に自信を分け与えるように声を上げた。
俺の攻撃は、確実に猛き猪の体力ゲージを削っている。
このペースでダメージを調整し続ければ――勝てる。
そう確信できるだけの手応えがあった。
ミコトさんのSPは、薬の効果で持ち直してはいるが、回復を重ねるたびに確実に減っている。
それでも、このままなら、彼女のSPが尽きる前に、猛き猪の体力を削り切れる。
「大丈夫だ。俺達なら勝てる!」
士気が高まる中、猛き猪の残り体力が半分を切った。
戦場に、ほんのわずかな安心感が漂い始めた――その瞬間。
猛き猪の動きが、突如として変わった。
それまでクマサンにだけ攻撃を集中させていた巨体が、溜め込んでいたフラストレーションを爆発させるかのように、360度全方位へ、狂ったように暴れ回る。
【猛き猪は暴れ回りを使った
クマサンにダメージ150
ショウにダメージ257】
――重い衝撃。
猛き猪との戦闘が始まってから、俺がダメージを受けたのはこれが初めてだった。
ただし、これはクマサンがヘイトを集めきれなかったわけでも、俺が攻撃しすぎたわけでもない。
猛き猪が、近くにいる者すべてを巻き込む範囲攻撃を放ってきたのだ。
俺の体力の三分の一をたった一撃で削られた。
「こんなのを連続で食らったら、まずいぞ……」
背筋に危機感が走り、俺は即座に判断を迫られた。
俺のサブ職業は白魔導士。自己回復に切り替えるべきか?
「ショウさん、私が支えます! 自己回復はなしで、このまま攻撃を続けてください!」
俺が決断を下す前に、ミコトさんの声が飛んできた。
冷静で、迷いがない。
彼女はクマサンにヒールを施すよりも先に、真っ先に俺を回復した。
それは情に流された行動じゃない。
防御力の高いクマサンは、今の攻撃を受け続けてもまだ耐えられる。
だが、料理人で防御に不安のある俺は、同じ攻撃を重ねて受ければ、確実に先に落ちる。
ヒーラーとして、最も死に近い者を優先する――ただそれだけの、合理的な判断だ。
「ミコトさん……SPはもつのか?」
問いかけた声に、不安が滲んだのは否定できない。
俺のSPも有限だ。自己回復に使えば、その分、料理スキルに回せるSPが減る。
それ以上に問題なのは、回復行為もまた、敵のヘイトを稼ぐという点だった。
ここで俺が自己回復すれば、余計なヘイトを集め、アタッカーとしての立ち回りが一気に窮屈になる。
――ミコトさんは、そのすべてを見越したうえで、回復を一手に引き受けるつもりなのだ。
問題は、彼女のSPがどこまでもつか。
クマサン一人の回復だけなら、計算は立っていた。
だが、そこに俺への回復が加われば、その前提は崩れる。
しかも回復を重ねるほど、ミコトさん自身のヘイトも蓄積されていく。
このままでは、彼女が敵の標的になる危険が高まる。
そんな不安が顔に出ていたのだろう。
ミコトさんは、迷いを断ち切るように、まっすぐ俺を見据えた。
「私にだってヒーラーの意地があります。ショウさんはアタッカーに集中してください」
そう言って、彼女が俺にかけたのは、リジェネヒール。一定時間、少量ずつ回復し続けるスキルだ。一度に大きくは回復しないが、総量では通常のヒールを上回り、しかも敵ヘイトをほとんど稼がない。
SP効率とヘイト管理を両立する、長期戦向きの一手。
クマサンにはリジェネヒール・大、俺には中。残りSPとそれぞれの状況を見て、彼女は的確に配分していた。
さらにミコトさんは、戦闘が始まってから一度も、仲間の体力を全快させていない。
全回復は、一見安全に見えても、余剰分が無駄になる。その積み重ねは、SPの浪費に直結する。
下手なヒーラーほど全快を狙いがちだが、彼女は違う。
誰も死なせない、しかし一切の無駄も出さない――その絶妙なラインを、寸分違わず維持し続けている。
わずか一ポイントの回復量さえ、無駄にしないために。
細やかな判断力と、卓越したヒーリングスキル。
――間違いない。ミコトさんは、信頼できるヒーラーだ。
「ミコトさん、俺の命は君に預ける!」
「はい! 任せてください!」
「その代わり、俺はこいつを倒してみせる! スキル、みじん切り!」
【ショウは猛き猪にみじん切り ダメージ325】
声と同時に包丁が閃き、猛き猪の体力を大きく削る。
必死に回復を続けるミコトさん。
敵のターゲットを引き受け続けるクマサン。
この二人を楽にするため、俺にできることは一つ――この怪物を倒すことだけだ。
二人に報いるために、俺はスキルを使い、この右手の包丁を振り続けた。
猛き猪の範囲攻撃「暴れ回り」。これを連発されていたら、正直危なかっただろう。
もっとも、敵の攻撃にも俺達のスキルと同様、リキャスト時間が存在するらしい。幸い、連続で受ける事態は避けられていた。
時折、思い出したかのように放たれるその一撃も、すでにミコトさんの計算の内だ。
彼女の回復が、常に最悪の事態を一歩先で食い止めてくれる。
二人に支えられながら、俺は猛き猪の体力を着実に削り続けた。
「……このままなら、なんとかSPはもちそうです」
そう言いながら、ミコトさんは新たなSP常時回復薬を口にする。
その冷静な判断に、俺は内心で深く息をついた。
「正直、あの三人がいなくなってよかったかもしれません」
「……どういう意味?」
「彼らが残っていたら、範囲攻撃で受けるダメージ量が増えすぎて、今頃SPが尽きていましたよ」
辛辣な物言いだが、俺も否定できなかった。
今、ダメージを受けているのは前線に立つ俺とクマサンだけ。
だからこそ、ミコトさんは範囲回復を使わず、単体回復だけでSP消費とヘイト上昇を最小限に抑えられている。
もしあの三人が残っていれば、範囲回復を使わざるを得ず、SPは一気に減り、回復ヘイトでミコトさんが狙われる危険も跳ね上がっていたはずだ。
結果的に、彼らの離脱が戦況を有利にしている――皮肉な話だが、事実でもある。
……とはいえ、仲間を置いて逃げた行動を、許せるわけじゃない。
それはゲームであっても、変わらない。
「みんな、敵の体力はもうすぐ一割を切る。だが、焦っちゃダメだぞ」
「ああ、わかっている」
「大丈夫です」
二人の即答に、俺は小さくうなずいた。
だが、この言葉は同時に、自分自身への戒めでもあった。
この状況で一番焦りやすいのは、アタッカーだ。
トドメを急ぐあまりスキルを連発し、ヘイトを奪って戦線を崩壊させる――そんな失敗を、俺は別のゲームで何度も見てきた。
……大丈夫。
ヘイト管理はできている。
俺のSPはまだある。
ミコトさんのSPも尽きていない。
落ち着いて、一撃ずつ刻めばいい。
そう自分に言い聞かせた――その、直後だった。
猛き猪の動きが、明らかに変わった。
残り体力が一割を切った瞬間、その巨体が、不気味に震え始めたのだ。
――今まで、こんな挙動は一度もなかった。
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
クマサンもミコトさんも口には出さないが、二人が一斉に警戒を強めたのが、空気でわかった。
【猛き猪は力を溜めている】
視界に浮かんだシステムメッセージに、心臓が嫌な音を立てる。
明らかに危険な兆候だ。
こいつは通常モンスターじゃない。ネームドモンスターだ。「暴れ回り」だけで終わる相手のはずがない。
――何かが来る。
俺がそう思った瞬間だった。
【クマサンは瞬間防御強化・大を使った】
クマサンが即座に動いた。
重戦士の固有スキルの一つ。
わずか十秒間、防御力を飛躍的に高める守りの切り札だ。
効果時間が短すぎるがゆえに、使いどころが極端に難しい。
それを、ここまで温存していた。
――この一撃に備えて。
さすがだ、クマサン。
まるで、この瞬間を予期していたかのようだ。
だが、その直後――
猛き猪の目が、赤く染まった。
【猛き猪はクマサンに猪突猛進撃 ダメージ1265】
――は?
一瞬、意味が理解できなかった。
四桁のダメージ表示など、初めて見た。
そもそも、レベル50では、俺達プレイヤーの体力は四桁に届かない。
なのに猛き猪が繰り出した攻撃のダメージ値は、クマサンの最大体力を、明らかに上回っていた。
嘘だろ……?
熊型獣人の重戦士だぞ。
しかも、防御力を最大まで引き上げた直後だ。
それを――
一撃で、消し飛ばす?
反則だ。
どう考えても、反則だろ……。
見れば、クマサンの体力ゲージが、一気に真紅に染まり――
【0】
その表示を前に、俺とミコトさんは、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。




