第14話 ショウのハンバーグ
「……え?」
理解が追いつかない。
「ゲームを始めたはいいけど、何をしていいか全然わからなくてさ。やっぱりやめようかなって思いながら街をうろうろしてたときに、たまたま入ったのがショウの店だったの」
記憶が、鮮明によみがえる。
NPCから店を借りて、初めて看板を出した日。
誰も来なかったらどうしようと、不安で仕方なかったあの時間。
「何の店かもわからないまま入って、何も言わずに立ってるだけの変なプレイヤーだったはずなのに、ショウ、『初めてのお客さんだ!』って、すごく嬉しそうにしてさ。サービスだって言って、ハンバーグくれたでしょ?」
覚えている。
あの日、最初に店の扉をくぐってくれたのがクマサンだった。
無言で突っ立っているだけの熊型獣人。
寡黙な人だなと思ったけれど、それ以上に「最初のお客さん」という事実が嬉しかった。
だから、勢いでハンバーグを無料で渡して、そのままフレンド申請までしてしまった。
今思えば、よく許可してくれたものだ。
「初めてのお客さんだったから、俺も嬉しかったんだよ。あのとき使った肉は、今から見ればレアでもなんでもなかったけどさ。調理は10の10成功。完璧なハンバーグだったんだからな」
あれは、俺が初めて「10の10」を出した記念の一皿だった。
本当なら、残しておきたかったかもしれない。
なのに、迷わなかった。
「……うん。あのハンバーグ、本当に最高だった」
彼女の声が、かすかに震える。
「私ね、拒食と過食を繰り返してるうちに、気づいたら何を食べても味がわからなくなってたの」
「……え?」
「病院でも診てもらったけど、体の問題じゃなくて精神的なものだって言われて、どうにもならなくて……」
小さく息を吸う。
「でもね、あのときのショウのハンバーグは、ちゃんと味がしたんだ」
夜風が止まった気がした。
「濃厚なソースが口いっぱいに広がって、肉汁がじゅわって溢れて……ああ、これが美味しいってことなんだって、思い出せたの」
まっすぐ、俺を見る。
「ショウが、私に食べることの喜びを思い出させてくれたんだよ」
「クマサン……」
その瞬間、目の前の熊野さんの姿が、ゲームの中のクマサンと重なった。
見た目はまるで違うのに、料理を食べた後に見せる、あのはにかんだ笑顔が、まったく同じだったからかもしれない。
気づけば俺は、「熊野さん」ではなく「クマサン」と呼んでいた。
「あのハンバーグを食べてから、現実でも私、食べ物の味がわかるようになったの。どうしてゲームの中のあの料理で忘れていた味覚が戻ったのかはわからないけど、……ショウなんだよ。私に食べることの喜びを思い出させてくれたのは」
アナザーワールド・オンラインの料理は、舌ではなく脳に直接伝わる電気信号で「味」を再現している。
現実で料理を口にしたときとは違うプロセスが、クマサンに味という感覚を蘇らせたのかもしれない。
でも――きっと、それだけじゃない。
10の10で成功した、あの一皿。
初めて開いた店。
そして、その最初の客がクマサンだったこと。
偶然が重なっただけかもしれない。
それでも、俺は信じたい。
あれはきっと、奇跡だった。
クマサンが、ほんのり頬を赤くして照れくさそうに笑う。
その笑顔を見ながら、俺は静かにその奇跡に感謝した。
ほんの少し何かが違っていたら、俺達は出会うこともなく、今日こうして彼女を助けに来ることもできなかったかもしれない。
「俺のハンバーグが、そんなふうに思ってもらえてたなんて……。クマサンの役に立てたなら、俺も嬉しいよ」
「……ずっと、ショウにこの感謝の気持ちを伝えたいって思ってたの。今、言えてよかった」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
こんなふうに心から感謝されたのは、いつ以来だろう。
俺だって、誰かの役に立てたんだ。
――そう思えた。
「でもね、あの後ショウが急にフレンド申請してきたときは正直びっくりしたよ。誰も信じられなくなってたし、フレンドなんて作るつもりもなかったのに……私、なぜか迷わずオッケーしちゃった」
「……どうして?」
「だって、またショウのハンバーグ食べたいと思ったんだもん」
そう言って笑うクマサンは、とても愛らしかった。
口元からのぞく八重歯が、どこかクマっぽくて、思わず胸が緩む。
見た目は天と地ほど違うのに、こんなところにクマが顔を出すんだな。
「もしかして、もっと重戦士向きの食事があるのに、いつもハンバーグを頼むのは、そのときのことがあったから?」
「うん、そうだよ。……私にとって、ショウのハンバーグは特別なの」
ずっと不思議だった理由が、ようやく繋がった。
俺は知らないうちに、自分の料理で誰かに影響を与えていた。
あの日、あの一皿を渡して、本当によかった。
「あの後からね、現実でもちゃんと食事ができるようになったんだ。おかげで体調も、ずいぶん良くなったよ」
「そうなんだ……。よかった、本当に」
心の底から、安堵する。
ゲームの中の料理でもいい。
俺の作ったものが、誰かの役に立った。
それだけで、胸の奥が温かく満たされる。
「……俺、クマサンに出会えてよかった」
「それ、私のセリフだよ! ショウは二回も私を助けてくれた。ゲームの中でも、そして現実でも。ショウ、あなたに出会えたことに感謝してる! 本当にありがとう!」
ありがとう。
その言葉が、まっすぐ胸に刺さる。
人に感謝されることもなく仕事を辞めた俺だけど、今は違う。
自分の存在を、肯定された気がした。
「ちょ、ちょっとショウ! どうして泣いてるの!?」
頬を伝う温かさで、自分が泣いていることに気づく。
女の子の前で泣くなんて、情けない。
「そういうクマサンだって、泣いてるじゃないか」
彼女の瞳にも、涙が浮かんでいた。
さっきの恐怖のせいかもしれない。
でももし――俺との出会いを思っての涙なら。
それは、きっと悪くない。
やがて、俺の通報を受けた警察が現場に到着した。
事情聴取のため、俺達も警察署へ向かうことになった。
その夜は、思いのほか長くなった。
けれど――俺の胸の奥には、まだ温もりが残っていた。




