第10話 誤爆
現実の時間では、もう深夜。
だがリアルで無職の俺には、時間だけはある。
「さてと。寝てる間に売り切れないよう、店の料理を追加で仕込んでおくか」
ウィンドウを開き、作り置きしてある料理の在庫を確認する。
足りない素材をリストアップしながら、頭の中ではさっきの会話が何度も再生されていた。
――楽しい、か。
そう思っていたのは、俺だけじゃなかった。
その事実が、じわじわと胸を温めていく。
そのとき――
視界の端に、システムメッセージが浮かび上がった。
【クマサンがボイスチャットを申し込んでいます。許可しますか? はい/いいえ】
思わず手が止まる。
さっきまで一緒にいたのに、何か言い忘れでもあったのか?
それに――クマサンからボイスチャットだと?
初めてだ。
クマサンは寡黙なタイプだ。そもそもチャット自体が少ない。やるとしても、ほとんどがテキストチャットのみ。
テキストは一方的に送れるが、ボイスは相手の許可が必要だ。
それを面倒くさがって使わないのだと、勝手に思っていた。
なのに、どういう風の吹き回しだ?
……まさか。
嫌な想像が、頭をよぎる。
もしギルドを抜けるとか、そういう話だったら……。
クマサンは律儀だ。大事な話を文字だけで済ませるタイプじゃない。
胸の奥が、じわりと冷えた。
わずかな逡巡のあと、俺は「はい」を選択する。
次の瞬間――
『ごめん、明日の待ち合わせだけど――』
告げられた場所は、聞き覚えのある駅名だった。
だが問題は、そこじゃない。
耳に届いたのは――
柔らかく、可愛らしい女性の声だった。
…………え?
思考が止まる。
クマサンの申請、だったよな?
いつもの渋い低音とはまるで違う。話し方も軽い。自然で、距離が近い。
それに――待ち合わせ?
その駅は、俺が住んでいる場所からわりと近い。いつの間に、そんな約束を?
……いや、あるはずがない。
俺もクマサンも、このゲームでは徹底して「キャラとして」振る舞っている。現実の話題は、ほとんど出ない。
なのに――?
頭の中に、疑問符が渦を巻く。
「えっと……クマサンだよね? 待ち合わせって何のこと? その場所なら……俺も行けなくはないけど」
とりあえず、そう返してみる。
一拍。
『――――!? え!? その声はショウ!?』
鈴のような声が、明らかに動揺する。
「ああ、ショウだけど? チャット申請してきたのはクマサンだよな?」
『ま、間違えたぁ!?』
狼狽。
完全な、狼狽。
いつものクマサンからは想像もつかない取り乱し方だった。
そして――
ぶつり。
チャットが切れる。
静寂。
部屋に一人取り残されたような、妙な感覚が残る。
「……なんだったんだ、今のは?」
数秒後。
再び、通知が浮かび上がる。
【クマサンがボイスチャットを申し込んでいます。許可しますか? はい/いいえ】
……また?
状況がまるで理解できないまま、俺は再び「はい」を選択した。
『あー、ショウ。さっきの件なんだが……』
低く落ち着いた、いつものクマサンの声だった。
ほっと、胸の奥の緊張がほどける。
「よかった、いつものクマサンだ。さっきの、一体なんだったんだ?」
『すまないが……さっきの件は忘れてくれるか? あと、誰にも言わないでくれると助かる』
妙に真剣だ。
「……? よくわからないけど、わかった。もともと言う相手もいないし、わざわざ誰かに話すようなことでもないしな」
少しの沈黙。
『……そうか、助かる。それじゃあ、明日は俺も所用がある。今日はこれで落ちる。……またな』
再びボイスチャットが切れる。
再び、静寂。
――所用、か。
それは、さっき女の子の声で言っていた「待ち合わせ」のことだろうか。
あの声は、かなり可愛らしかった。
甘くて、澄んでいて、耳元をそっと撫でるような響き。
一度聞いたら忘れない、不思議な余韻を残す声だった。
……そういえば。
このゲームには音声変更機能があったはずだ。
キャラクターとプレイヤーの性別が一致しない場合、リアルの声だと違和感が出る。
それを防ぐため、ゲーム内音声を自動変換する機能。
しかもそれは、キャラ作成後でも随時変更可能。中には、会うたびに声が違うプレイヤーもいるらしい。
つまり――
クマサンが女声になっていたとしても、理屈の上ではおかしくない。
……おかしくはない。
だけど――
あれは誤操作で変わる類の設定ではない。
自分から設定画面を開き、意図的に変更しなければならないはずだ。
となると――
考えられる結論は一つ。
クマサンには、可愛い女の子ボイスでチャットを楽しむ趣味がある。
しかも、あの慣れた口ぶり。あの距離の近さ。明らかに「いつもの相手に繋ぐつもりだった」反応だった。
夜な夜な、可憐な女声で誰かと語らうクマサン――。
……まさか、あの渋いタフガイに、そんな一面があったとは。
人は見かけによらない。
うむ。
これは本人の名誉のためにも、俺が墓場まで持っていくしかないな。
「安心してくれ、クマサン」
誰もいない部屋で、俺は小さくつぶやく。
「あなたの秘密は、誰にも言わない」




