第二十六夜 僕、少しだけ大人になります。
前夜:部屋でエリクサーを見つけた栄太は、地下室に戻りベランナたち奴隷にそれを飲ませて回った。栄太は貴族に反逆したリスクを最小限に抑え、かつエルフの暴走を食い止めるため、エルフ自治領の特使アリシアと交渉に踏み切る。
「救出できてなによりです」
大広間にロナードたちを連れて行くと、アリシアがにこやかな表情で出迎えた。彼女の周りには今夜パーティーで従事させられていた使用人たちがいる。みんな困惑と恐怖が混じった様子で僕たちを伺っていた。
「アリシア殿、これは一体どういうことか? このダークエルフはお前の差し金か!」
「さて、わたくしも判じかねております。エータさんから何かご提案があるそうなのですが」
アリシアつられてこの場の全員が僕を見た。30人くらいだろうか、みんなの視線が一点に集中するあまり身体に穴が空きそうだ。
「この女を売る約束だったではないか! ダークエルフは淘汰されるべきだと! おい、お前。この女は私から今まで多くの奴隷を買ってきたんだぞ、しかも年端もいかぬ子どもばかりだ! 売った私に罪があるというなら、買ったこの女にも罪があるだろう!」
このおっさん、さっきからずいぶん吠えるな。これでも命乞いのつもりなんだろうか。エータ、殺さずにこいつを黙らせる魔法はないかな。
《承知しました。捕獲魔法の『陰鳥』で黙らせましょう。使い方は簡単。足に魔力を込めます。次に対象の影を踏みます》
ほうほう、こうかな? 言われたとおり魔力を込めてロナードの影を踏んづけた。
「ぐぇ!」
《すると影が苦しそうにもがくので、それを掴みます》
本当だ。本体の動きとは別に影がじたばた暴れている。なんかピーターパンみたいだな。
「く、苦しい……い、息が……」
《最後に影を引っこ抜きます。はい魂の捕縛、成功です。これでロナードは仮死状態になりました。ね? 簡単でしょ?》
エータはずいぶんあっけらかんと説明しているが、これ即死級の魔法じゃないか。カニを解体するようにサクサクやっちゃったけど。
「それは……禁呪・陰鳥! 魂を捕縛して冥界へと送るという。なぜ貴女が……」
アリシアから余裕の笑みが消えた。これやっぱりヤベー魔法じゃないか! 足元にはロナードがぐったりと倒れている。
「これで話しやすくなっただろう?」
慣れない魔法で心臓がバクバクしているが、アリシアに悟られないよう冷静を装う。
「見たところまだ100歳にも満たない小娘が、なぜエルフの禁呪を使いこなせるのですか?」
「魔法の先生が優秀でね、他にも色々教えてくれたよ。それよりあなたと交渉がしたい」
警戒しているアリシアにぐっと一歩詰め寄った。相手との距離をこちらから先に詰める、交渉の場面においてイニシアティブを取りやすい。これはプロントさんの教えだ。
「いや、交渉に入る前の準備といった方がいいかな」
「ほう? 準備ですか、どのような?」
即座に僕の意図を読み取ったのだろう。迎撃するようにアリシアも一歩前に出ると胸を大きく反らした。さすが特使なだけあって交渉事には慣れているのか。緊張した面持ちから一転自信たっぷりの顔になった。
「僕の要求はここにいる奴隷の解放だ。全員の奴隷紋を解呪すること。解呪の魔法は使えるかな?」
アリシアの迫力に気圧されたら負け。スカートの下で震えっぱなしの両脚に鞭を打ち、さらに二歩前に出る。
「もちろん使えますとも。皆様の奴隷紋を解呪して差し上げましょう。奴隷の解放はわたくしたち虐げられしエルフの義務。容易い御用ですよ」
にこやかな笑みを貼りつけアリシアは三歩前に出る。近い、近い、近い! この距離で見ると、アリシアは笑顔なんだが目が全然笑っていない。まるで格闘家の間合いに入ったような静かな殺気をびしびしと感じる。対峙しただけで修羅場を潜り抜けてきた凄みが伝わってきた。
「それで? 貴女は何をしてくれるのですか?」
《主様! ここで退いては心が折れてしまいます。前進あるのみです! さあ一歩踏み出して、どーんとぶつかりましょう!》
エータの励ましが胸に響いた。そうだな、怖気づいちゃダメだ。なんせ夜の女神こと、月の女王が応援してくれているんだもんな。胸を張って一発かまさないと! 女王さまの例のポーズを思い浮かべる。傲岸不遜なあの態度だ。大きく深呼吸すると、両手を腰にあててズンズンとアリシアめがけて突っ込んでゆく。ついにアリシアと僕の胸が重なり双方ムニュッと大きく潰れる。構うもんか! ゼロ距離で僕はアリシアの目を見る。めちゃくちゃ緊張しているせいか、僕の荒い鼻息がアリシアの前髪を吹き飛ばした。
「お前たちエルフ自治領の命を見逃してやる」
言ってやった、言ってやったぞ、この野郎! この挑発にはアリシアも目を丸くして驚いた。が、すぐに眉間に深い深いしわを刻む。
「冗談がすぎますね、お嬢ちゃん。年端のいかない小娘が我々とまともに相手できるとでも? まだまだ再教育が足りないかしら?」
《これは一体どういうことですか? 平和的な話し合いをするのではなかったのですか?》
エータもこれには驚いたのだろう。声が上ずっている。
「エルフの禁呪に驚いてくれてたが、実はまだとびきりの禁呪を隠している」
「太古の魔法をかじっているからといって、いい気にならないことですよ、おバカさん。我々は永きにわたりエルフの魔法を研究してきました。陰鳥ぐらいで得意気になられても……ふふッ、笑わせないでくださいまし」
アリシアは胸を押し付けたまま、さらに押し倒すように身体を密着させた。僕の鼻先を舐めるくらい唇を近づけると、甘い吐息を吹きかける。僕みたいなションベン臭いガキでは醸し出せない、濃厚な甘い体臭と色気を纏い圧殺しにかかってくる。
「嘆き女の葬列でも?」
途端サッとアリシアの表情が青ざめた。やっぱり、僕の思った通りだ! バンシーはこいつらにも効果があるんだ。エルフは生まれながらにして高貴な身分が保証されている。いわゆるお貴族様てやつだ。だから自治領にバンシーを召喚したら、彼女たちは嘆きながら、アリシアたちから不浄なるものを奪っていくだろう。革命のために長年社会の裏で暗躍してきた彼女たちのことだ。脛の傷もさぞ深かろう。
「そんな……あり得ない」
「ロジャーに聞いてみるか? それとも、ここで呼び出してみようか? どっちが早く引き摺り込まれるか競争してもいいぞ、アリシア先輩」
精霊というのは善悪も主従も判別がない。だから精霊の起こす奇跡というのはある意味自然災害に近い。一度精霊を召喚したら敵味方関係なく等しく巻き込まれるしかない。召喚者だけ対象外とはいかないんだ。地下室の一件で僕とエータ、そして捕らわれた奴隷たちは、バンシーに沈まれないということがわかった。じゃあ、エルフ自治領特使という、立派な肩書を持つアリシアはどうだろうか?
「横やりを入れるようで悪いがよ」
背後から野太い声がした。ボディタッチの多いオークだった。
「俺たちはあのおぞましい幽霊みたいな女をしっかり見たぜ。薄気味悪く泣き叫ぶやつさ。司教なんかパンツまで持っていかれたもんな」
アリシアが苦虫を噛みつぶしたような顔で沈黙する。彼女はいま頭の中で、猛烈スピードで計算しているのだろう。僕の価値について。これもプロントさんが言っていたが、大きな交渉ほど一度目は破談になる可能性が高いという。だからこそ、一度きりの交渉にさせないために、次に繋がる道を残しておく必要がある。最初は交渉相手に内容よりも自分自身を高く見積もらせることが重要らしい。自分が出した提案を魅力的に見せるのではなく、提案している自分自身を魅力的な商品として売り込むように、なんて言われた。
バンシーの召喚は腐った貴族階級を一掃できる、きわめて有効な殲滅手段だ。しかしそれは自分たちすら巻き込み審判を受けさせる諸刃の剣でもある。邪道外道獣道様々な道を歩んできていた者からすれば、バンシーの召喚はあまりにもリスクが高い。エルフの強みであるはずの人生経験の豊富さが、かえって弱みになってしまう。そこで僕の登場というわけだ。
ノーリスクで腐敗した貴族たちを殲滅できる人材がいたとしたら、アリシアたちはどうするだろう? おそらく自陣に引き込み、飼い殺しにするはずだ。僕を敵に回せば自分たちが殲滅させられるから、注意深く念入りに。アリシアは僕を囲い込もうとするし、ある程度僕の無茶な要求も呑んでくれる……はずだ。その僅かな隙を最大限利用する。
「……わかりました。では皆さんに奴隷紋の解呪を施しましょう。さぁ皆さん並んで」
アリシアは大きくため息をつくと、圧迫していた僕の胸から離れた。あーこわかった……胸の谷間が汗でぐっしょり濡れている。あとでちゃんと拭いておかないと汗疹になるな、これ。
「ほんとうですか!?」
「やっと……やっと解放される……!」
ベランナを含め、奴隷たちが一堂に歓喜した。
◇
「せっかくですからエータさんも手伝ってください。解呪の魔法を教えますから」
「わかった。ベランナ、来てくれるか?」
「え? わたしでいいんですか?」
特に深い理由はないけれど、最初の相手はベランナがよかった。彼女の姿を見て僕はここまでやろうって奮起したんだ。アリシアに言われるまま、見よう見まねで魔力を込める。
「それでは奴隷紋の箇所に手を当ててください。短い呪文を唱えれば解呪は成功します」
「なるほど、じゃあベランナ、奴隷紋が見えるようにしてくれるかな」
「えっ? えぇぇっと……」
なぜかベランナは俯いてもじもじしている。どうしたんだろう。自由になれるだぞ?
《奴隷紋は心臓を支配する魔法陣ですからね。つまり心臓の部分に触れる必要があるんですよ》
あ、そうか! 胸に直接触れなくちゃいけないってことか。顔を真っ赤にして身をよじるベランナを見ると、急に不気味な高揚感がむらむらとわき上がってきた。鎮まれ、鎮まるんだ、僕。これは必要な行為、決して邪な思いでやっているわけじゃないんだ。
「ベ、ベランナ。早くしないとみんな待ってるよ。(触れるのは)ほんの(指の)先っちょだけ、先っちょだけだから。恥ずかしいなら少しの間目を瞑っててよ。すぐに終わるから」
「エータさん……目が……こわいです……」
ベランナは目を潤ませ震えている。僕は一体何を必死に説得しているんだろう。
《主様、その言い回しは誤解を生みます。幸い今は同性ですから幾分可愛げがありますが。これが昼の姿なら即事案ですよ》
「お困りでしたらわたくしが代わりましょうか?」
「いえ、結構! お構いなく!!」
「エータさん……」
《主様……》
ここは毅然とした態度でアリシアの申し出を断った。これは僕の仕事だ、誰にも譲れない!
「わかりました。私もこんなところで立ち止まっててはいけませんよね、エータさんみたいに前に進まなくっちゃ! エータさん、お願いします!」
意を決したようにベランナは目を瞑ると、粗末な服の裾をたくし上げた。ってええええ!?
《あー……そういえば彼女、上下ひとつなぎの服でしたもんね。奴隷紋に直接触るには、下から手を入れないとといけませんしねぇ……》
そうなのだ、ベランナの服はワンピースのような構造になっている。だから僕が直接触れるには、膝まである長い裾をたくし上げなくてはいけない。
「エータさぁん……まだですかぁ? 私、恥ずかしいよぉ」
ベランナが消え入りそうなか細い声で訴える。そうだよな、衆人環視の中、乙女にこんな恥ずかしい格好はさせちゃいけない。さっさとやるべきことをやらなくては。意を決してベランナのおへそ付近に指を這わせる。ベランナの滑らかな肌がしっとりと指に吸いついた。
「んッ!」
急に触れられたせいか、ベランナの身体が一瞬ビクンと跳ねる。そのまま手探りで奴隷紋を探ってゆく。
「あッ! エータさん……違うッ! もうちょっと左……んッ! そっちじゃなくて……私からみてひだり……」
どこだ、どこにある? 全神経を指先に集中させベランナの身体で旅をする。肋骨をなぞり、脇腹を通り過ぎ、腋へと上ってゆく。
「そこ、んッ! ぜ、ぜんぜん、ちがう……もっと、まんなかぁ」
ベランナの息が荒くなってゆく。ちゃんと言ってくれなきゃわからないなぁ。真ん中? 指を左に移動させればいいのか? ほんのりと湿った腋から、中央に向け緩やかな傾斜の丘を登ってゆく。
《主様……楽しんでいませんか? いえ、これは楽しんでいますね》
エータ黙っていてくれ! 今とても繊細な作業をしているんだ! もう少し、あともう少しで山頂に到着する。……ここだ!
「~~~!!!」
ベランナがひときわ大きく、ビクンビクンとのけぞる。直後服の上からどす黒い霧のようなものが立ちのぼりスッと消えた。よし、解呪成功だ!
「エータさん? もう終わりましたか? 目を開けてもいいですか?」
ベランナはちらりと薄眼を開けた。頬がほんのりと上気している。
「ああ、解呪成功だ。おめでとう。これで君は晴れて自由の身だ」
「……嬉しい! もう二度とお日様を拝めないと諦めていたのに……また日向ぼっこできるなんて……」
「これからはいつだって、好きな時に日の下を歩けるようになる。そうだ、一緒にご飯を食べに行こう。安くてうまい定食屋を知っているんだ。ベランナだってきっと気に入ってくれるさ」
それは特に狙ったわけでもなくふと自然に出た行動だった。ぼろぼろと涙をこぼすベランナの頭を撫でるとそっと肩を抱きしめた。自分でもその行動にはびっくりした。僕ってこんなキザなことできたんだ。女性とのお付き合いがない、経験ゼロの僕にしては我ながらスマートな対応だったと思う。
《そうですね。主様にしてはとてもスムーズな流れだったと思います。……右手さえ離れていればね。いつまで乙女の胸をまさぐっているのですか。これだから童貞は隙を見せると……》
誤解だ! 慌てて右手をひっこめる。ベランナと目があうと、ふたりで照れ臭そうにクスリと笑った。お、なんかいい感じじゃない?
「おーし! ドライアドの嬢ちゃんは終わったな? じゃあ次は俺だ! ずっと全裸で待機してたから風邪ひきそうだぜ!」
ベランナの背後から例のオークがぬっと顔を出した。なんでお前全部脱いでんだよ! 上半身だけで十分じゃないか! さっさとそのぶら下がったものをしまえよ!
「最初こそ手間取っていましたが、二人目からはもう慣れたものですね。魔法の素質は十分のようですね」
アリシアが横目で僕を品定めする。僕がどれだけ使える人材か見極めているようだ。この解呪が終われば、いよいよアリシアと本格的な交渉をする。今までは下準備、ここからが正念場だ。エルフたちが暴走しないようにしっかり楔を打ち込んでおかないとな。




