第二十四夜 僕、悪女に唆されます。
前夜:エータは裏の月の生き方を教えるため、複数バンシーを召喚した。バンシーの導きにより司教をはじめとするロナード以外の貴族たちは、全て別の世界へ連れ去られてしまった。
真っ暗な地下室の長い階段を昇りきると、ほんのりと明るい場所に出た。どうやらロナードのコレクションが詰まったワインセラーのようだ。鍵を外し廊下に出る。ひとの気配がまるで感じられない。不気味なほど静かだ。
《気配が感じられませんね。給仕をしていたひとたちも見当たりませんし》
沈黙した硬い廊下を足音だけが反響する。僕の歩みにあわせるように壁のロウソクが揺らめく。誰とも出会わぬままついに大広間まで来てしまった。扉は閉まっているがここからも人の気配は感じられない。まさかパティ―はお開きになったとかないよな?
「お待ちしていましたよ。エータさん。さぁ、お入りください」
アリシアだ! 扉の外から僕を見つけたのか。
《主様、少々お待ちを。……罠はないようです》
しかたない。意を決して扉を開ける。埃っぽい風がぬるい湿気と混ざり肌にまとわりついた。誰も、使用人すらいない閑散とした広間に、アリシアはひとりぽつんと立っていた。まるでこうなることを見通していたようにアリシアは驚きもせず余裕の色を崩さない。
「主催者も主賓もなかなか戻っていらっしゃらなかったので、わたくしの判断でお披露目はまた後日ということで、皆様にはお帰りいただきました」
僕を裸にひん剥いておいて、よくもまぁそんな白々しいことが言えたものだ。それに、床には割れた食器や料理がいたる所に散らばっていて、椅子もテーブルも派手に転がっている。穏便な方法で帰したのではないことは明白だった。
「始末してくれたんでしょう? ロナードたちを」
期待に応えてくれたんだろ、みないな目で僕を見るなよ。結果としてロナード以外をこの世から葬った。しかし、あれはエータがバンシーを召喚したんだが、やはり僕が殺したことになるのだろうか。自業自得のような気もするが……いや、僕が彼らの報復を望んで、エータが実行してくれたんだ。僕がやったことに違いはない。
「15名ほどでしたか。大勢で連なって地下に入っていきましたものね。あれで気取られないと思っていたのしょうか、あぁ愉快」
にこやかな表情を保っているが目は笑っていない。
「ロナードはまだ生きている」
「あら、慈悲深いこと。それで他の者はいかがしました?」
こんなやつに答えるのは癪だ。答える義理もない。それより確認したいことがある。
「僕を売ったな?」
「……あとで地下室に行って確認いたします」
「はじめから嵌めるつもりで誘ったんだろう?」
「それにしても、さすがはエータさん。ロナードはまだ利用価値があります。生かして正解です」
「僕が魔法を身体中に貼っていることを逆手に取ったな?」
「地下室で奴隷たちとは会えましたか?」
「わざと裸にして放り込んだんだよな?」
「まだ生きているようでしたらお話を伺いたいのですが」
「ダークエルフは淘汰されるべき亜種だと言ったそうだな」
「給仕をしていた者たちも奴隷でした。日ごろ休みなくこき使われていたようで。なんと憐れな」
「お前はダークエルフが憎いのか?」
「あまりの仕打ちに胸が痛みましたので、今は空いた部屋で休ませています。もちろん食事も」
「お前たちエルフ自治領は何が目的だ?」
「朝日が昇るまで絶対に部屋から出るなと厳命しました。主の命令は絶対ですからね、しっかり言いつけを守っています」
「答えろ!」
「貴女にこの世界の現実を知ってもらいたかったのですよ、おバカさん」
アリシアから微笑みが消え、急にゾッとするような低い声で答えた。刃のように冷たい口調で僕の胸を刺す。これがアリシアの本性か。
「この世界では王族や貴族たち一握りの愚か者のために、その他大勢が犠牲を強いられています。戦争こそなくなりましたが、嘘で塗り固めた平和のもとで、虐げられている者は後を絶ちません。いえ、かつての混乱期より爆発的に増えています」
「この国で、いや、この世界で生きているひとなら、それくらい知っている」
「いいえ、虐げられた者たちの怒り、悲しみ、憎悪というものは、肌で感じ心に刻まなければ識ったことにはならないのです」
アリシアは僕を蔑むように見ると、冷たく嗤った。
「薄い同情や温い義憤などでは決して癒えるものではありませんよ」
「だから僕に奴隷の経験をさせようとしたのか」
「短い間でしょうが、貴女はあの最低な男たちにどこまでされましたか? 食べやすいようにカラは全て剥いてあげたんですから、あのオスどもは喜んでむしゃぶりついたことでしょう。不快でしたか?」
嗜虐的な笑みを浮かべこちらに近づいてくる。
「エルフが今まで積み上げてきた歴史をないがしろにして、単身で他種族の文化圏に入っていき、男たちをいたずらに弄ぶ身の程知らずは、徹底した再教育を施さねばなりません」
アリシアはなおも侮蔑的な表情を崩さず滔々と説く。勝手に街で生活し、数々の騒動まで巻き起こしたことに腹を立てているのだろう。
「わたくしたちエルフの結束は、同胞のために流した血の濃さで結ばれます。悲哀と屈辱の数々を共に乗り越えて初めて同胞となるのです」
「僕は別に同胞なんて望んじゃないない。言っちゃ悪いが余計なお世話だ」
そういう濃い人間関係ってのは苦手だ。今までの僕の生き方にあわない。なぜだろう、このダークエルフの身体になってから感情が大きく揺れ動く。いつもならへらへら謝ってやり過ごすはずなのに。今は言われっぱなしなのがなんか癪だった。最近どうも昂ぶりが抑えられない。こんなの人畜無害がモットーの僕らしくない。
「そうはいきません、エルフとして生まれた以上、エルフとしての責任を全うしてもらいます。ここの下衆共とは違い、わたくしたちはこの世界のために、高潔な精神を宿さなくてはいけません!」
あー……アリシアはこういう意識高いタイプだったか。こういう面倒くさいのは近寄ってほしくないだよな。
「勝手なこというなよ。あんたたちがそうしたいなら好きにすればいい。でも、わざわざ僕を巻き込むなよ。マジ迷惑だからさ」
つい本音が出てしまった。もう少しうまい切り抜け方もあったろうに、不覚だった。なんて後悔をしていたら右頬に一発ビンタを食らった。
「その他者に無関心な考えがエルフを絶滅の危機に追い込んでいるんです! エルフはどうせ魔法に優れた長命種だからと。そのうち自身を驕り他人を侮るようになり、いつしか足元をすくわれ窮地に陥るんです」
アリシアは誤解している。僕は驕ったことも侮ったこともない。さらにエルフだという自覚もない。これは転生前からの僕の性質といってもいい。他人との過度な接触が嫌なんだ。
《主様はよく叱られますね。このアリシアの言っていることは一理あります。主様はもっと他人との結びつきを積極的に求めたほうがいいですよ。ひとは独りでは生きられないんです。せっかく身体があるんですから、笑って泣いて、精一杯生きなくちゃ。それに、もっと妾を頼ってくださいまし》
思わぬ場所とタイミングで、外から内からと説教された。女王さまといい昨日から叱られっぱなしだな。なんか情けなくなってくる。わかってるから、本当にそういうのやめてくれ。ふたりは僕に危害を与えるつもりはない、むしろ親切心で言ってくれているんだろうけど、それがボディブローのようにじわじわ効いてつらい。
「よろしいですか! エルフは巨大な力を持ちながらも、永きにわたって他種族に隷属されてきた歴史があります。それはご存じでしょう?」
ええ、薄い本で嗜みましたとも。
「辛酸を嘗めてきたわたくしたちだからこそ、見える景色というものがあります」
奴隷社会とか階級社会とかのことかな? 気の毒だと思うが人権運動とかは参加しないぞ。
「この腐りきった権益社会を糺せるのは、わたくしたちしかいないのです!」
はい? なんか急に気炎を吐いているんだが。大丈夫かこいつ。
「今回の件で貴女を騙したのは悪いと思っています。しかしだからこそ、この腐った連中を粛正することができました」
ん? あれれ? だめだ。アリシアは自分の言葉に酔っているようで、意識が遠くに飛んでいる。
「己の義務を放棄し、己が欲望に耽溺するものどもが、世界の中枢にいて良いわけがありません!」
んーーーーーー…… ちょっとめまいが。
「世界は新たな秩序を求めています。我々は同胞と共に新たな社会を作りかえる義務があるのです!」
ねぇ、話が急カーブしてない? 言葉遣いも変わっているし。なんでかなー
「あてがわれた立場に安座し、他者を顧みない愚か者どもを一掃し、地上の楽園を作りあげるのです!」
地雷を探知した気がするんだが気のせいだろうか? こいつ革命とか言い出しかねん。
「全てはここから始まるのです。今夜の出来事は小さな火種に過ぎませんが、近いうちに革命の火は全世界に広がるでしょう」
あー……やっぱり革命とか言い出した……これもうアカンやつや。僕の顔からさっと血が引いていくのがわかる。
「貴女は立派にこの『通過儀礼』を潜り抜けました。これからは我々は同志です」
やめてくれ……そんなにいっぺんに地雷ワードを仕込まないでくれ。そういう活動とは距離を置きたいのに。革命の片棒を担がされるだなんて冗談じゃない。なんとかして話を逸らせないと。
「そういった話はまたの機会として、捕らわれているひとたちの衰弱が激しい。手を貸してほしい」
アリシアは我に返ると再びにこりと笑った。もうその笑顔すら意味深に見えてしまう。
「ええ、もちろんですとも。こんなことになるだろうと、自治領からたくさん回復薬を持ってきましたので。わたくしの部屋にありますから、すべて使ってしまって結構ですよ。同志」
同志呼びはやめてほしい。僕はニュートラルでいたいんだ。アリシアの視線を振り切るように、回復薬がある部屋をめざして一目散に駆けた。
《一時はどうなるかと思いましたが、大ごとにならずに助かりましたね。それにしても、彼女たちがあそこまで崇高な理念に基づいて行動しているとは、感激です。同志》
エータ、もう絶対にその言葉を使うな。これは主からの命令だ。アリシアもエータもまだ気づいていないが、アレは知恵の実なんかじゃない。空想の実だ。
アリシアのことだ。いま逃げたって裏から手を回してすぐに僕を捕まえに来るだろう。じゃあ格上の彼女と戦うか? いや、たとえアリシアを倒せたとしても、第二第三の同志が畑から送られてくるだろう。刺客におびえながら暮らすのなんて耐えられない。
まだだ。まだ僕が知っている結末に向かうと決まったわけじゃない。それにベランナたちのこともある。この邸宅に放っておくわけにもいかない。まずは注意深くエルフたちの様子を見て情報を集めよう。表向きだけでも戦争のない平和な世界に転生したんだ。革命の英雄なんて絶対に関わりたくない!




