第十五夜 僕、女王さまの主様になります。
前夜:月の女王には表に出ないもうひとりの女王がいた。女王はそれを気味悪がり、もうひとりの存在を勝手に栄太に移植させていた。
《ふふふ、ようやく気付いていただけましたか。愛しき主様》
思わぬ第三者の登場に恐怖のあまり背筋が凍る。口調は違うがこの声は月の女王だ。
《貴方に気づいていただけるまで、妾から話せぬ仕組みでしたので。ああ、何とも愉快。ふふふふふふふふふ》
「ひいいい! じょうおうさま、あたまのなかにだれかおる~」
「やめよ、寄るな! 気味が悪い!」
薄情だな、おい。逃げんな! もとはあんたの一部なんだから引き取ってくれ!
《ああ、栄太様。このような日陰者を引き取って下さるとは、感激の極み》
うへぇ。すすんで引き取ったわけじゃないんですが……
《それでも妾を見て美しいと、ときめいてくださったではありませんか。今でもしっかり覚えています。あの心臓の高鳴り。締め付けられるような甘い胸の痛み。荒い息遣い》
いや、事情を知らずにあの姿を見たら誰だってときめくさ。
「これ、さっきからひとりで会話をするでない」
脳内の会話が外に漏れていたか。ますますやべぇ。
「好きでこんなことしてるわけないでしょ。何とかしてくださいよ」
《おもての月の女王さま、ごきげんよう》
助けを求めようとしたら内側から別の言葉が出てきた。これ乗っ取られたってやつ?
「貴様が吾の内におった、もうひとりの吾か」
「ふふふ、はじめまして。うらの月の女王です。こうやってあなたを見るのは初めてですね」
「して何用か?」
白猫の方の女王さまは毛を逆立てて威嚇のポーズをとる。
「べつに、主人格の貴女に逆らうつもりも危害を加えるつもりもありません。ご安心ください」
「ではなぜ表に出ようとした?」
「それは貴女のためになることだからです。素直になれない雁字搦めの貴女にかわり、僭越ながら妾が動いたまで」
「下らぬ。吾は常に素直で自由で奔放で、気ままに生きておるわ!」
うん、うん、それが騒動を引き起こしていることに気づこうな!
「つまらぬところで見栄を張り、やせ我慢を続ける日々。ほんとうにお可愛いこと」
「吾を愚弄するか!」
女王さまはしっぽでぴしゃりと地面を叩く。女王さまの怒りを知ってか知らずかなおも語りかける。
「貴女が無意識のうちに抱えている不満。妾はちゃんと理解していますよ。」
「吾に不満などない!」
「ふふふ、そうむきにならないで。妾がちゃあんと、貴女を悦ばせてあげますから」
そうもったいぶると、スッと僕の奥に引っ込んでいった。
《月から、ふふふ、指をくわえて待ってなさい》
他人事ながらなんとも不穏な言葉である。いや僕が一番巻き込まれているんだけどね。
《さぁ、栄太様。今は貴方が妾の主様。末永く妾とお付き合いください》
さっきから憑かれている感じがして怖いんですが……助けを求め白猫の女王さまのほうを見る。まだ警戒を解かず、遠巻きに様子を窺っている。とりあえず、そうだな。この月の女王さまの二つの呪い、じゃなくて魔法を取り外すことはできないだろうか。
《お言葉ながら主様。加護というのは神とひととの契約の証です。勝手に反故にすることは出来ません》
じゃあ僕はこれから先も昼と夜で二重生活を送るしかないのか。
《解決する方法はございますよ》
本当か!?
《貴方が夜を支配してしまうのです》
いやいやいやいや、それはまずいだろう。いくらなんでも。乗っ取りとか考え方が怖すぎるんですけど。
《無理にというわけではございません。貴方と一緒ならそういうことも可能ですよ、という妾なりの冗談です》
ずいぶん真に迫った冗談だったぞ。さっきから冷や汗が止まらない。
《妾は絶対に主様を裏切りません。その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも……》
だからそういう背筋の凍る冗談やめて! それ結婚の誓いじゃない!
《それよりも主様》
なんだよ? もうヤンデレネタはお腹いっぱいだからな。
《もう一件の『姦禁警察24時~本官もエルフを楽しみたいであります~』ルートですが、いかがいたしましょう? 佳境に差し掛かっておりますが》
忘れていた! そいえばそんなルートあったな。黒猫のブルームを身代わりにしてたっけ。佳境に差し掛かるって、女ギガス何をしでかすつもりだ。
《ひとには好き好きがございますからね。栄太様も後学のために御覧下さった方がよろしいかと》
なにその含みある言い方。すごく気になる。まぁ僕の服とか部屋の鍵とか取りに戻らないといけなかったし。しょうがない、自警団署まで戻るか。
「女王さま。僕ブルームが心配なんで自警団署に戻ります」
「……好きにせよ。今日は疲れた。しばらくしたら吾も月に戻る」
苛立ちを隠すことなく女王さまはそっぽを向いてしまった。
《あらあら、むくれてしまって本当に稚児のようで可愛らしいお方。おや? あちらも面白いことになっていますよ。ささ、主様、急いで自警団署に向かいましょう》
裏の月の女王に急かされ空き地をあとにする。途中振り返ってみたが、女王さまは白猫の姿のままじっと月を見上げていた。
◇
影に溶け込むように音もたてず自警団署を目指す。自警団署はまだ騒ぎが収まらない様子でひっきりなしにひとが出入りする。難なく内部に潜り込むと署長の部屋へと急ぐ。待ってろよ、ブルーム!今助けてやるからな!
署長室の方から獣のようなうめき声が響く。おいおい、ブルームマジで大丈夫か!? 叫び声ともうめき声ともつかない咆哮が不規則に轟く。なんか近くの団員たちがみな青い顔をして震えているだけど……まさか拷問されているのか?
《ふふふ、主様はなんて汚れを知らないお方でしょう》
知っているのか? なら教えてくれ!
《よろしいですよ。『姦禁警察24時~本官もエルフを楽しみたいであります~』ネコにされた本官困ってしまって娘娘娘娘END達成。一次文献とともにルート消滅します》
なにそのヤサイマシマシみたいな長いの。呪文かよ。
《見ていただいた方が理解が早いかと。ブルームさんに連絡をとりますね》
ずいぶんと思わせぶりなことを言う。お、扉があいた!
「ふいー、よぉ、そっちも終わったか? こっちも今終わったところだぜ」
エルフ姿のまま汗だくになったブルームが出迎える。ああ、ブルーム! 大丈夫だったか? 変なことされなかったか? ……って、やだ……おっきい……
《ブルームにも『陰真似子』がかけられていましたからね。女ギガスの光をうけて、それにふさわしい姿になったのでしょう》
随分と嬉しそうに報告するなぁ。
「よくわかんねぇけどよぉ、とりあえずあんたが戻ってきたんなら、オレはもう帰っていいよな? もうすぐ朝だし、もう寝るわ」
あくびとともに大きく伸びをすると、するすると黒猫の姿に戻り走り去った。中に入ると獣のような濃厚な香りが充満していた。部屋の奥から逞しい足が覗いている。なんか小刻みに痙攣してるんですけど……ああ、ネコにされたって……うん、僕は何も見なかった。帰ろう。
エルフの姿に戻ると、いそいそと着替えを済ませ、荷物を持ち署長室をあとにした。
◇
自警団署を出ると東の空が白けていた。建物に隠れているが朝日が昇るのも近い。
《主様、昨晩から今日にかけて大変なご活躍でした。この後いかがされますか?》
もう夜が明けようとしているのに、僕の中にいるもうひとりの女王さまは健在だ。
《妾はそもそも表に出られぬ身。月が昇ろうと沈もうと妾には関係ありませぬ》
そういうものなんだろうか。よくわからないが、今日から僕はまたマジックショップ『猫の目』に出勤しなくちゃならない。ふだんは朝食を食べないけれど、徹夜明けでなんかテンションも高いし、せっかくだから何か食べていこうかな。
《妾は主様の食生活には気を揉んでおりました。朝食は一日の動力源。しっかり召し上がってから勤労に励むのがよろしいかと》
そうだよな、たまにはご飯をしっかり食べないとね。この身に女王さまの別人格を宿しているのは心配だが、今はあれこれ考えてもどうにもならない。
「そうだ、これから君のことなんて呼べばいい? 裏の月の女王さまと呼ぶのも変だし」
少しでも恐怖を紛らわしたいし。
《名前を頂けるのですか!? なんと慈悲深い! まさに妾の主様!》
そんな大げさな。名前は何がいいだろう。
《何なりとお呼びくださいませ、ああ! こんな幸運に巡り合えるとは! 身が震える思いでございます!》
何でもいいけど、僕の口で喋らないでくれるかな? ハタからすると独りでぶつぶつつぶやいている不審者にしか見えないからな。何がいいかな。こういうときパッといい名前が思いつかない。僕にワードセンスがないのが悔やまれる。
ディアナ……うーん違う。ルナ……パッとしない。ツクヨミ……厨二くさい。
《もしよろしければ、なのですが》
お? 希望か何かあるの?
《いえ、主様が生前使われていたお名前をいただければと》
え? 小村栄太はおかしくない? まんま男の名前だぞ。
《栄太。いい名前ではありませんか。栄太……エイタ……エータ。ふふふ、エータ。エータ。いい響きだと思います。いえ、これしかありません。本日より妾はエータと名乗ります》
勝手に決めちゃった。エータか。まぁイントネーションを少し変えれば女らしくなるかな? 馴染みのある名前だし本人が望むならそれでいいか。なんか自分で呼ぶとき気恥ずかしいけど。
「わかったよ。今日から君はエータだ」
《はい。妾は今日よりエータでございます。今後ともよろしくお願いしますね。栄太様》
久しぶりに自分の名前を呼ばれたものだから、なんかくすぐったくなってしまった。よし、じゃあエータ。今日も勤労に励むにあたり、朝ごはんを食べよう。君は何が食べたい?
《はい妾、いえ、エータは一度リンゴというものを食べてみとうございます。できればイチジクなるものも》
そうか果物だな。よし、じゃあ朝市に繰り出そう。もう少しで始まるはずだ。
あれこれ不安は尽きないが、とりあえずは腹ごしらえだ。いつの間にか朝日が昇り僕は男の姿に戻っていた。




