一途
『皆さんおはようございます。本日は朝方に地震があって驚かれた方も多いでしょう。しかし世界滅亡は明日となりますのでご安心を。穏やかな良い土曜日を』
運命の赤い糸があるならば、あの炎で燃え尽きたのだと籠鳥那岐は考えている。
死者を弔う炎が煙を空へと走らせる。まるで白い階段で、少しずつ離れていく感覚が忘れられない。
火傷の両手は気圧の変化で痛むことがある。生涯消えない傷を、黒い皮手袋の中に隠し続ける。
月曜日から金曜日まで、様々な場所を死者と歩いた。一緒に笑い、今までは話せなかったことも口にした。
日曜日で終わる世界。今日は土曜日。地底遊園地は地震程度で休業することもなく、明るい世界を提供し続ける。
籠鳥那岐は扇動涼香と一緒に光溢れる世界にいた。クラリスと御堂霧乃はあえて置いてきた。正真正銘の二人きりという状況だ。
目の前では見たこともない幸せが羅列されている。魔法使いの弟子達が何事もなかったかのように、家族や友達と楽しく過ごす世界。
そして籠鳥那岐の横で嬉しそうに地底世界を見渡す扇動涼香。その目に映るのは白い病室ではなく、色鮮やかな地底だ。
週末の遊園地と言うだけあって、人の波が音となって耳に届く。誰もが明日を疑わない、終末を疑わない土曜日。
「なっちゃん。綺麗だね」
「そうだな」
光を目に宿しながら呟く扇動涼香に籠鳥那岐は優しく答える。知っている。これで終わりだということに。
自分の我儘で土曜日まで竜宮健斗達を待たせた。おそらく北と西の問題児はすでに心の整理を終えているだろうと、籠鳥那岐は察していた。
穏やかなまま、昔のまま、思い出のまま、籠鳥那岐は扇動涼香の隣にいる。そろそろ未来へと歩き出す時間がやってくる。
「今から俺は酷いことを言う。聞いてくれるか?」
「うん。いいよ。なっちゃんなら、いいよ」
籠鳥那岐の言葉に扇動涼香は優しく答える。お互いに優しく、心地いい空気。言葉を尽くすよりも、わかりあう方が容易い。
「ずっと好きだった。これからも好きだ。俺は扇動涼香を、愛し続ける。だけど、それは……」
「私じゃない。わかってる。なっちゃんの視線はいつも、私の向こう側だから」
やはりばれていたかと籠鳥那岐は苦笑する。再現された扇動涼香を通して、最も愛おしい少女を見ていた。
時計台でデータとなった彼女は死を受け止めきれずに、それでも消失を選んだ。何度も死ぬことを拒んだ。
この幸せを繰り返す世界は、籠鳥那岐が愛する少女が拒んだ結果を続ける。最初からわかっていたのに、甘えてしまった。
「私じゃない扇動涼香は、どんな子だった?」
「変わらない。驚くぐらい瓜二つだ。きっと扇動博士が彼女のデータを多く残していたんだろう」
もしかしたら御堂霧乃が個人用に残していたデータをハッキングされたかもしれない。それくらい思い出と寸分違わない少女。
籠鳥那岐は違和感を覚えつつも、追及はしなかった。もう二度と会うことがない、だから最後だけと思い続けた。
「ちょっと嫉妬。なっちゃんに好きって言ってもらえるんだもん」
「いいや。本人の前じゃ、いつも照れて言えなかった。最後まで……言えなかった」
幼い籠鳥那岐は信じていた。いつしか奇跡のように扇動涼香の病気が治り、御堂霧乃と三人で遊ぶ未来を疑わずに済む日々を。
今みたいな幸せな世界が到来するのを信じていた。だから籠鳥那岐は流川綺羅を責めきれない。叶えられないから現実を見ただけで、籠鳥那岐も同じだ。
いつまでもこの夢に浸れたら。だけど籠鳥那岐は別れを告げなくてはいけない。辛い現実の中で、出会えた事柄を捨てるわけにはいかなかった。
竜宮健斗とフラッグウォーズを考えたのは楽しかった。シュモンに世話を焼かれるのが恥ずかしくて、よく力任せに黙らせた。
御堂霧乃とは喧嘩ばかりで、時計台では失った辛さを分かち合った。南エリアの仲間達とは多くの無茶をやって来たと思う。
クラリスのことは今も納得しきれない部分があるけど、クラリスも彼女が大好きだったのだと思うと、同情してしまう。
生きていくのは億劫だけど、そんなに悪くない。多くの人から、教えてもらった現実。
「好きだ、涼香。どうか忘れないでくれ」
「……うん。いいよ」
忘れない。一途に思い続ける。生涯をかけて愛する。もう二度と会えなくても、変わらない籠鳥那岐の本質。
籠鳥那岐は扇動涼香を愛している。過去形でも、現在形でも、未来形でも。どんなに時が移り変わっても、変わらない心。
扇動涼香はその気持ちを柔らかく受け止める。忘れないでと告げて消えた少女を再現したデータは、少年の言葉を処理することはない。
一字一句間違えず、保存する。終末が来ても、全てが消えてしまうとしても、失くしてしまわないように。
立ち上がった籠鳥那岐は、扇動涼香の手を優しく握る。黒い皮手袋の質感は滑らかで、少しくすぐったい気持ちにさせる。
握った手の甲に額を当てて、瞼を閉じる。柔らかい肌に温かい体温。血潮が宿るため小さな鼓動が聞こえる。
「俺も忘れないから」
彼女は確かに生きていた。生きたいと願っていた。目の前にいる再現されたデータも、生きている。
まるで奇跡のように再会できた。少しだけ違う思い出を貰えた。ずっと言えなかったことを、名前を呼べた。
心が満たされるとはこういうことなのだろうと、籠鳥那岐は微笑む。地底世界の壁スクリーンに映し出された太陽がその笑みを照らす。
「私も。忘れない。ありがとう、なっちゃん」
「ありがとう、涼香」
そして背中を向ける。繋いだ手が離れる時、冷めていく温度が少し辛かった。同時に感覚としてなにかが切れた気がした。
改めて結んだ縮れ糸が耐え切れずに切れたような、音すらもない別れ。小指が少しだけ動いたが、籠鳥那岐は気付かない振りをして歩き出す。
運命の糸は一つじゃない。まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、世界を動かし続けている。ネットワークと同じように。
一途な想いが、一本の糸を辿っていく。その先に待つ仲間と一緒に、愛する人がこれ以上遊ばれないようにするため。籠鳥那岐は地底から地上へ向かう。
実畑八雲は放心していた。噂に聞いていた地底遊園地に遊びに来ていた。死んだはずの友人と家族を連れて。
思い出が捻じ曲がっている。都合がいいように、少しでも幸せが増幅されるように。嬉しそうに笑う流川綺羅を見てしまうと、声も出ない。
すれ違った黒い皮手袋の少年にも気付かないまま、実畑八雲は流川綺羅に連れられていた。家族の動作は機械的で、ぎこちない。
再現が偏っている。流川綺羅にとって幸せは自分を満たすものであり、ついでに誰かも幸せになればいいという類だ。
細かいところまで目が行き届いてない。溺れていながらも上にある光を目指すような、どこか息苦しさを感じる光景。
一週間の半分も体験していない実畑八雲すら、若干うんざりしている。早く目が覚めたいと思うほど、幸せで満たされる。
甘い蜂蜜を胃に直接流し込み、胸やけを誘発するような気持ち悪さ。現実と向き合ってきた実畑八雲にとって、猛毒よりも酷い有様だ。
しかし流川綺羅にとってこの世界こそが理想なのだ。全員が揃っていて、昔以上に楽しい思い出を捏造する世界が至上なのだ。
「……綺羅、いいのか?」
「なにが?あ、もしかして八雲くんは楽しくない!?」
無邪気な様子で尋ねてくる流川綺羅に、実畑八雲は言葉に詰まる。なにを言っても通じそうにない恐怖。
どうすれば現実を見てくれるのかわからない。流川綺羅は現実に向き合い続けた結果、自殺未遂を起こしている。
それをキッカケとして、彼女は夢を見続けている。もしも起こしてしまい、今度こそ自殺が完遂したらという恐れが顔を覗かせる。
「明日で世界は終わっちゃうから、今日はいっぱい遊ぼうね!」
その言葉に違和感を覚えた実畑八雲は、頭の中がごちゃ混ぜになった状態で口を開いた。
「綺羅。明日世界が終わらなくても、毎日は精一杯生きるものだぞ?」
病院で働いている最中。明日が続くと信じて、快復のためにリハビリを続ける患者がいる。
彼らは終末を信じていない。それでも自分ができること全てを一日の中に詰め込んで、呼吸している。
実畑八雲にとってそれは当たり前だった。どんな明日でも、明後日でも、来週の月曜日でも、一日だって無駄にできる日はない。
「世界が終わるから楽しむ、なんて俺は嫌だ。俺はいつでも、どんな未来でも、生きる」
眠り続けている流川綺羅は十年近く日々を無駄に消費している。そう感じた実畑八雲は、強い瞳で答えていく。
「明日死ぬとしても、世界が終わるとしても……俺は今日が辛くても、未来を信じる。信じて生きていく。幸せな終りなんか、信じない」
「ど、どうしたの?急に……」
「綺羅!目を覚ましてくれ!!俺はずっと……ずっとお前が起きるのを待っているんだ!!信じて待ち続けたんだ!!」
目の前にいる少女の細い肩を掴み、揺さぶる。幸せなまま死なないでほしい。どんなに辛くても生きてほしい。一緒に生きてほしい。
一人で孤独なまま、思い出を歪めて死ぬのは幸せなのか。実畑八雲に流川綺羅の全てはわからないが、これだけは明確に伝えられた。
「俺はお前に告白の返事をしていない!!あと、あとどれだけ待ったら来週の水曜日を俺にくれるんだ!?綺羅、答えてくれ!!」
十年以上、来週の水曜日を待ち続けている。流川綺羅に、俺も好きだ、と告げる水曜日。両想いになる、人生で一番の幸せがまだ来ない。
歪んだ幸せな思い出に浸り、一番の幸せを見逃し続けている。実畑八雲の一途な想いは流川綺羅にまだ伝わっていない。
それを認めるには、この幸せな世界を完全に終わらせるしかない。繰り返す一週間を、終末を、終わらせる覚悟。
「頼むから……もう、目を覚ましてくれ……」
肩を掴んでいた手から力が抜け、腕を辿るように下がっていく。地面に膝をつき、顔も上げられなくなる。
実畑八雲も限界だった。このまま流川綺羅が目覚めなければ、他の女性との見合いに出るしかない。流川綺羅を見捨てるしかない。
涙が零れそうになる実畑八雲の頭上に、戸惑った流川綺羅の声が降りてくる。震えて、聞き取り辛い言葉。
「でも……あ、アタシ、進歩を……静香を……二人の約束が、叶ってない……」
「え?」
「大人になったら結婚しようと言ってた二人の、結末をアタシは知らない!!」
ゆびきりげんまん。うそついたらはりせんぼん。何処からか聞こえてくる声に、実畑八雲は顔を上げる。
とても幼い頃。狭間進歩は花山静香に結婚しようと約束した。子供の頃の他愛ない、いつ破られてもおかしくないママゴトのような約束。
その約束は現実で叶うことはない。二人はもうすでに死んでいる。鉄骨に押し潰されて、息絶えてしまった。
「だからアタシだけ幸せになれない!!進歩の死に顔が、それを許さない!!」
背景が砂嵐のように乱れ、サブリミナルのように途切れ途切れの映像を流す。鉄骨に押し潰されても尚、手を伸ばす少年。
その顔を実畑八雲は見たことがなかった。確認する前に事故の衝撃で気を失っていたから。でも流川綺羅は違う。彼女は見ていた。
友人の死に顔を。なにかを訴えるような血塗れの顔を。約束した少女を守るように庇いながら、死んでいく少年の顔。
「だから世界全てが幸せにならないといけないのっ!!二人が生きて、幸せにならなきゃいけないのよぉっ!!!!」
自責。強迫観念。思い込み。幸せへの依存。あらゆる物が混じりあい、土曜日の幕が落ちる。
『皆さんおはようございます。本日は世界滅亡当日となります。悔いのない幸せな良い日曜日を。それではさようなら』
そして終末への幕が上がる。時計台の代わりに聳え立つ宇宙エレベーター。その十三階で、花山静香は流川綺羅の脳味噌を見上げている。
「世界が終わる。その時、私はどこにいるのかしら?」
独り言のように呟く。もしも明日世界が終わるなら、貴方はどうしますか。そんな問いに質問を返すような言葉。
何処で誰と過ごすのか。多くの者が最後は大好きな人達と一緒に絶景を眺めながら終わりたいと願うだろう。それが幸せだと。
その幸せに異を唱える者がいる。納得せずに、違う未来を信じて走り出す者がいる。約束を守るために抗う者がいる。
朝日が昇る。街の外側から少しずつ黒い終わりが忍び寄る。そして彼女達は待ち続ける。主人公達を。




