流れ星に願う叶わないこと
仁寅律音は不愉快だった。まさか自宅に戻されるとは思わず、その足で竜宮健斗の家に向かおうとした。
しかしそれを父親である仁寅奏に止められる。今夜は流星群だから、家族全員で見ようと提案し、月見団子まで用意し始めた。
ひたすら手伝おうとする仁寅董子を二人で必死に阻止しつつ、仁寅律音は不愉快を隠さないまま告げる。
「全く。ヴァイオリンはいいの?基本的にヴァイオリンでしか食べていけない性質のくせに」
「いいじゃないか。これで最後なんだから」
そう言って笑う仁寅奏に仁寅律音は手を止めた。終末前というには、どこか違和感が残る言葉だった。
団子を丸めながらお湯を沸かし、黒蜜や黄粉も用意する。仁寅董子がそっとケチャップを添えようとしたのを仁寅奏が没収する。
「なんとくな、終末は本当にやってくる気がするし、その時に律音は僕達の横にはいないと思ってね」
「……しょうがないじゃないか。認められないし、認めたくない」
目の前にいる父親はデータで再現された偽物。知れば知るほどそれは浮き彫りになっていくのを仁寅律音は思いしらされた。
ただ少しだけ他愛ない仕草や幸せそうな母親を見ていると、嫌というほど胸がざわめくのを感じて、一秒でも長くそこにいるのが辛い。
気持ち悪い、と仁寅律音は思っていた。偽物とわかっても絆されそうになる自分も、続かないとわかっても続けたいと思う願望が。
「しかし僕は綺麗な奥さんとの間に、僕によく似て可愛くない子供ができたことを最上の喜びだと思ってる。いつ死んでも、二人が生きてるならいいと思うよ」
「嘘つき。絶対心の底から生きたい、まだ幸せになりたいとか考えるはず。そういう貪欲さが演奏から滲み出てるよ」
「そうだとしても、二人が生きてない世界なら僕はいつ死んでもおかしくないということさ。だから律音は僕の倍は長生きしてくれ」
「……終末が来るのに?」
「それでも」
団子を作る手が震える。本当はどうでもいいと切り捨てたいのに、捨てられない恨めしい部分が残っている。
もちろん仁寅律音は長生きするつもりだ。ただし仁寅奏のためではなく、自分のためだ。勝手に人生を過ごす理由になってほしくない。
自分よりも長生きしてほしいならば、十年前に死なないでほしかったと叫びたい気持ちでいっぱいだ。そうすればこんなに捻くれることはなかった。
「律音が生きてれば、きっと僕も生きているようなものさ。なんでそんなにそっくりに生まれたんだい?僕のファン?」
「僕だって好きで似たわけじゃないし、生まれる前に母さんに似なかったことを後悔してるし、正直この顔で得したことは一度もない!!」
思わず作っていた団子を握り潰した仁寅律音。自分自身の心を表わすように真っ白な団子は潰れて飛び散っていた。
話しているだけで心や思考がまとまらない。千切れたり、くっついたり、潰れたりして落ち着かない。腹の奥がむかつく感覚。
「それよりさ、律音はどんなことを願うの?僕は娘が欲しいと願うところだよ。もちろん董子さんに似た、ね」
「……無理だよ。だから僕は母さんが心身健やかに生活し、僕が父さん以上の成功を収めますようにと願う。確実に」
「やっぱ可愛くない!どうしてそんなとこまで僕に似たのか、嘆かわしいところだよ」
一人で騒ぎまくる父親を無視して団子作りに集中する仁寅律音。それでも上手く形が丸くならない。
本当に願いたいことは、仁寅奏が老人になるまで長生きできる可能性、だ。しかしそれは0だ。もう死んだ人間は生きることができない。
なによりデータ上で再現された流星群に願いを叶えることはできないとわかりきっている。現実の流星群すら信仰や迷信の類だ。
「だから僕は二人と星を見ない。健斗のところへ行くよ」
「……いいのかい?本当にこれで最後だよ?」
「もう充分。いい思い出も、悪い思い出も、貰ったから。もう振り向かない」
決意を固めた目で仁寅律音は仁寅奏を見上げる。もう二度と会えない、最後の父親像は嫌というほど最悪だった。
母親のことで同じように苦労し、同じような顔で一緒に笑い、憎まれ口を叩き合っては理解を含めていく。最悪と言えるほど、知らない父親に触れあえた。
やっぱりこの父親は嫌いだ。笑って言えるほど、仁寅律音は仁寅奏に今まで持てなかった感想を貰った。父親について泣く日は二度と来ない。
「最後まで母さんとお幸せに。この世界なら、きっと叶うよ」
そう言って仁寅律音は止めようとする母親も振り切って、走り出す。飛行機事故で離ればなれになった二人だが、ここなら最後まで一緒だ。
幸せで終わる世界だから、仁寅夫妻も最後まで幸せのままに消える。なにも悪いことはない、そう考えながらも振り払うように走り続ける。
最後くらい大好きと言えばいいのか、ありがとうと言えばいいのかわからないまま、なにも告げずに、振り返ることもしない。
幸せは、泣きたいくらい辛い時と似ている。胸の締め付けを感じ、仁寅律音は音楽表現に役立つかもしれないとその感覚を記憶に焼き付けた。
流れ星を見たいとはしゃぐ弟に、星が落ちる現象について語る父親と、二人の会話を同時に聞き流す母親。
いつ別れを切り出そうかと考えている玄武明良にとって、かなり苦しい状況である。しかし自分で決めた期日は今日である。
金曜日の内に家族と別れて竜宮健斗の元へ向かう。そう考えているのに体が動かない。どうすればいいのかと悩む。
「あきらにいちゃん!おほしさまになにねがう?ぼくはめいたんていといっしょにかつどうする、わとそん、みたいなのになりたい!」
「そ、そうか。それならもう少し勉強しろ。美鈴の方が頭いいぞ?」
「むぎゃぁっ!みすずとくらべられてもこまる!とびきゅうしてるんだもん!てんさいだもん!」
「俺だって天才だぞ?父親も天才なら、お前も天才になる可能性が僅かにあるはずだ。頑張れ」
勉強やだと叫ぶ弟をからかいつつ、玄武明良は今度こそ逃げ道を失いかけていた。しかし希望のように絶望が降りかかる。
「大丈夫よ、真雪。世界は日曜日で終わるもの。ね、あなた」
「そうだな。科学者たちの間でも結論は決まっていた。揺らがない終末だ」
玄武明良の父親と母親は当たり前の事実を述べた。断言した。変えようとは一筋も思ってない、受け入れるだけの姿勢。
それは心を凍てつかせるには充分で、今までの幸せな家族の団欒すらも消し去っていくようだった。
呼吸の仕方を一瞬忘れた玄武明良だったが、次に聞こえてきた玄武真雪の言葉に全てを忘れたくなった。
「そうだね!せかいがしんじゃうなら、ぼくがしんでもおかしくないね!」
その言葉だけは聞きたくなかった。流川綺羅の口から出ていても受け流せたであろう言葉だった。
おそらく猪山早紀や扇動美鈴が絶望した末に言ったならば激昂して否定した。だけど玄武真雪だけは違う。
弟だけは赤ん坊の頃に飛行機事故で死んでしまった。そんな子供に、こんな言葉を言わせる世界を、幸せと認めるわけにはいかなかった。
玄武明良は心の底から流川綺羅に怒りを抱いた。死者に語らせるにはあまりにも残酷な言葉を、赤ん坊の頃に死んだ玄武真雪の口から吐き出させた。
竜の逆鱗があるならば、それに触ったと同義だ。玄武明良にとって死んだ家族は二度と触れられない聖域であり、誰よりも無垢な想いを抱いた存在だ。
特に弟の玄武真雪は言葉すら交えることができなかった尊く数少ない思い出だった。思わず抱きしめて、玄武真雪に伝える。
「世界が死んでも、お前が死ぬのはおかしいんだ!お前は、お前は生きるべきだったんだ!!」
「どうして?どんなひともしんでくよ?どんなにえらいひとも、すごいひとも、みんな」
「そうだ。だが死ぬからといって、生きるのを諦めていい理由にはならない!世界が終わることを受け入れていい理由にはならない!!」
「でもみすずやさきおねえちゃんもしんじゃう。みんないっしょだから、きっとこわくないよ」
そう言って玄武真雪は笑った。無邪気に、悪意すら見えない透明な表情で、玄武明良に告げた。
最早逆鱗に触るどころではない。堪忍袋の緒を引き千切ったのと同じである。生存者0の飛行機事故で死んだ赤ん坊に、二度も言わせてはいけないことを語らせた。
生き残った方が辛いこともあるかもしれない。死んだほうが楽なこともあるかもしれない。しかし全てが死んでいい理由にしてしまったら、玄武明良の家族全員がその犠牲になったと言うしかない。
一度だって死に納得したことはない。家族が死んで良かったなど、一度も思い浮かべたことがない。自分が生き残って良かったと、一度も安心した覚えがない。
怖い、怖くない、の問題ではない。死ぬこと自体が、全てが終わること自体が問題なのだ。その問題を解決するために、玄武明良はずっと生きている、これからも生きていく。
だからこそ目の前の家族に言わなくてはいけない。もう二度と会えない、だが幸せだけを見ている愚かな幻想に叫ばなくてはいけない。
「生きてほしいと願った俺の前で、全てが終わってもいい理由をほざくなっ!!!!」
どんなに死亡ニュースを眺めても、少しずつ事件が人々から忘れ去られても、十年経った今でも、玄武明良は願っていた。
生きていてほしい。他人として別の生活を歩んでいたとしても、もう二度と会えない場所にいたとしても、生きていてほしいと。
感情的すぎて論理全てを放り投げてでも、願い続けていた。赤ん坊だった玄武真雪だけでもいいから、どこかで生きてくれれば。
「くっそ、ふざけんなっ!!俺が、俺がどれだけ願ったと、どれだけ悔やんだか、わからないのか!?」
風邪などひかず同じ飛行機に乗っていたら。残された玄武明良が何度も考えたことであり、何度も押し潰した気持ちだ。
それでも死ぬことはできなかった。自分以上に泣きながらも慰める猪山早紀が、ずっと傍にいたからだ。泣きながら、なにも言わず。
辛かったね、苦しいよね、でも頑張ろう、という言葉を猪山早紀は一切言わなかった。ただ傍にいて、一緒に涙を零し続けていた。
その涙にどれだけ救われただろうか。開かない口にどれだけ感謝しただろうか。一緒に生きてくれる存在をどれだけ愛したか。
この世界はそんな猪山早紀すら消してしまうのだ。父親と一緒に生きようと決意した扇動美鈴も、幸せのためだけに歪められて消えていく。
玄武明良にとってそれは家族以上の物を奪われるに等しいことだと、金曜日でようやく最奥まで理解することができた。
「あきらにいちゃんは、みんなといっしょにきえたいとおもわないの?」
「当たり前だ。俺は皆一緒に生きたいと願い続ける……天才だ」
大声に驚きつつも話しかけてきた玄武真雪に、ふてぶてしいほどの笑みを浮かべて玄武明良は答えた。
言い聞かせるように天才だと言い続けた。実際に天才だと周囲にも認められている上、自分でもそう思っている。
だから生きていかなければいけない責任がある。天才の所業一つが、大勢を生かす結果に繋がるからだ。
「真雪。お前が生まれてきたこと、本当に嬉しかった。俺の最初で最後の弟。例え赤ん坊の時に死んだとしても、この気持ちは変わらない」
「……?よくわかんない」
データ上の玄武真雪に生まれたことを祝福していると言っても、どうやら伝わらないらしいと玄武明良は結論付けた。
例えすぐに死ぬ運命だったとしても、それを知らなかったとしても、生まれた時は心の底から嬉しかった。その瞬間を玄武明良は覚えている。
幸せは永遠じゃない。どこか瞬間的で、刹那のように消えてしまう。流れ星と同じくらいあっという間に消えるが、一際輝いて目に残る。
「だから俺は行く。流川綺羅に、間違ってる、と伝えなくちゃいけないからな」
玄武明良はそう言い残して家族の止める声が聞こえないように走る。速度はないが、声が聞こえない位置までなら走る体力はあった。
駅に辿り着く前にその体力すら尽きるが、それでも玄武明良はよろめきながらも歩き続ける。夕焼けは沈み、星空が輝く北エリア。
流星群観察のために降雪機能を止めたようだ。おかげで電車が通常運行しており、玄武明良は思い残すことなく車両に乗る。
目指すは東エリア。竜宮健斗がいる場所へ。そこで電車が東エリアではなく西エリアに向かうと知ることになる。
流星群を見ながら実畑八雲は状況に圧倒され、言葉が出てこなかった。満天の星空から零れ続ける軌跡。
確かにバスの事故が起きる前の金曜日。こうやって星空を眺めていたのを覚えている。そのまま再現した物なら、驚くことはなかった。
美化と誇張。その二つが強烈すぎて現実の物とは思えないほど果てのない空と無限に流れる星達が輝いている。
「八雲くんとデートできますように……」
「それは来週の水曜日で。それより進歩……」
あっさりと流川綺羅の告白を受け止めつつも流し、狭間進歩へと近付いていく。これにはさすがの流川綺羅も呆けてしまう。
花山静香や狭間進歩すらも呆れたように実畑八雲を見るが、それどころではない実畑八雲は狭間進歩の肩を掴んで少しだけ移動する。
「今日が流星群だと、明日は南エリアの遊園地か?なんかもう再現と言うには陳腐すぎて腹が痛くなってきた」
「いや明日は地底遊園地。そんなに実際は違うのか?」
「まずお前の性格も違う。静香に対してあの口うるせぇ女と罵ったお前はどこ行った!?」
「誰のことだよ、って、俺か!?文句があるなら俺を再現した綺羅に言え!」
小言で内緒話するように顔を近づけていた二人に対し、怪しむ少女二人が少しずつ近づいてくる。
それに気付いた狭間進歩と実畑八雲は慌てて体を引き離し、それぞれ自分が最も親しい相手に寄っていく。
狭間進歩は誤魔化すような笑みを浮かべつつ、花山静香になにを願ったのかを尋ねる。少し不服そうにしつつも、花山静香は答える。
「こんな夏休みが来週も続きますように、だよ。ずっと幸せに過ごしたいもん」
「じゃあ俺とは真逆だな。俺はこの夏休みが続かなければいいと思ってる」
「……どうして?終わってほしいの?」
「違う。始めるためなんだ。俺は全てが終わる幸せを、厚樹のためにも否定しきゃいけないんだ」
そう言って狭間進歩は自身の心臓部の上に当たる胸に手を置く。正確には、そこに海林厚樹のデータが詰まっている。
億以上繰り返した一週間を苦悩するかを表すほど膨大なデータの数々。あまりにも大きすぎて、呑み込んだ狭間進歩ですら辛いほどだ。
それは決して幸せだけの一週間を繰り返したとは思えない。むしろ幸せを極めすぎて、全てが不幸に見えるような過酷な物だった。
「静香。例えお前が敵に回っても、俺はこの世界を否定する」
「……そう。正義のヒーローみたい」
「そんなかっこいい物じゃねぇよ。むしろかっこわるすぎて穴に埋まりたいくらいなんだ」
「変なの。ヒーローなんて元からかっこいいもんじゃないのに」
お互いに苦笑して、油断ない瞳で相手の顔を見据える。頭上には星空が輝き、今も数多くの輝きが地上へ届く前に消えていく。
もうすぐ土曜日がやってくる。星の光も届かない地底世界に広がる遊園地が待っている。その次に最後の日曜日が待ち構えている。
最後の楽しみだ、思いっきり遊び倒そうと狭間進歩は考えていた。思い残すことがないように、大好きな友人達と一緒に過ごす土曜日。
心の決別を図るには丁度いい週末は、狭間進歩以外の人間にも影響を与える時でもあった。




