Case 1-2:鼓動の周波数(パルス・コード) - 後編 -
ドォォォォンッ!!
空気を押し潰す轟音とともに、巨大な破城槌が研究所のコンクリート床を粉砕した。
飛び散る瓦礫を紙一重でかわし、レイはバックステップで距離を取る。
「ちっ、重たい挨拶だな!」
右手の機械式ハンドガンを抜き、即座に三連射。
パパパンッ!
乾いた銃声とともに放たれた鉛弾は、巨漢スリーパーの分厚い胸部装甲に直撃した――だが、火花すら散らない。漆黒の吸音セラミックが衝撃と運動エネルギーをスポンジのように吸い込み、弾丸はペシャンコに潰れて足元へポトリと落ちた。
「ターゲットノ攻撃力、ゼロ。排除行動ヲ継続」
スリーパーの単眼カメラが赤く明滅し、再び機械じみた歩調で間合いを詰めてくる。
チ、チ、チ、チ――足音すら吸音材に消され、聞こえるのは体内の油圧シリンダーが吐き出す微小な圧縮音だけ。
『ダメよレイ、外装を撃っても無駄!』
インカム越しに、ノアが激しくキーボードを叩く音が響く。
『あの装甲、音波兵器の衝撃を完全に分散・熱変換する特殊合金よ! 並のトラックじゃ、ぶち込んでも全部外装に食べられちゃう!』
「食べられちゃうって、俺のトラックは飯じゃないっつーの! どっかに隙間はねえのかよ!?」
レイは左手の音叉ダガー『チューナー』を掲げ、横薙ぎに迫る破城槌を受け流した。
キィィィィンッ!
澄んだ共振音が炸裂し、打撃のベクトルを斜め上へと受け流す。だが、相手の質量があまりにも桁違いだ。チタンの義腕が軋みを上げ、レイの身体が真横の壁へと叩きつけられそうになる。
「くっ……!」
『装甲の継ぎ目をスキャン中……待って、今アジトのメインフレームで稼働ログを逆探知してる……あそこだわ!』
ノアの鋭い声が走る。
『あの巨体を動かすために、背部と首の付け根に高出力の熱交換ダクトがある! 完全密閉じゃ熱暴走するから、一定の拍子で吸音シャッターが開閉してるはずよ!』
「開くタイミングは!?」
『BPM 160の裏拍! メトロノームの規則性に過剰適応してるせいで、AIアポロンの計算周期と完全に同期してるわ! 四拍に一度、裏拍のわずかコンマ〇五秒だけ、冷却ダクトが露出する!』
「コンマ〇五秒……! そいつはまた、ずいぶんと短いサビだな!」
スリーパーが破城槌を頭上へと振り上げた。
踏み込み。振り下ろし。
機械が刻む、寸分違わぬ規則正しき死の拍子。
スリーパーの頭脳プロセッサが、レイの回避軌道をコンマ数秒先まで精密に演算する。
「――回避予測地点、右方二・五メートル。照準固定」
だが。
レイは右へなど跳ばなかった。
地を蹴る寸前、レイの全身の筋肉が、天性のリズム感覚に従ってわずかに弛緩した。
機械の予測したマス目から、あえて「半拍」遅らせて身体を滑り込ませる。
絶対グルーヴ。
冷たいメトロノームを本能的に拒絶する、命の揺らぎ。
「AI照準:エラー。目標、予測遅延――破城槌、空振り」
ゴォォォォンッ!!
虚空を穿った破城槌が床を陥没させる。
その頭上、空振りによって前傾したスリーパーの背後へ、レイは重力を無視したような滑らかなステップで回り込んでいた。
カチリ。
スリーパーのうなじの吸音シャッターが、排熱のためにわずかにスライドする。
ノアの言った通りだ。四拍に一度の、裏拍の開放。
「ノア! 一番速くて、一番やかましいやつを寄越せ!!」
『弾帯の左端! 【Hyperpop】のテストシリンダーよ! 高周波パルスを一瞬で叩き込みなさい!!』
レイは弾帯から、ネオンピンクとライムグリーンの流体が狂ったように明滅するチタンシリンダーを引き抜いた。
左義腕のスロットへ、迷いなく叩き込む!
『カシャン――ズドォンッ!』
甲高いチタンの噛み合い音と同時に、脳天を突き抜けるような超高速のビートがレイの神経を駆け巡った。
Hyperpopの物理メタファー――『過負荷ショート』。
耳を劈く電子パルスの乱舞。世界が極彩色の閃光に染まり、レイの身体が超音速の矢となって加速する。
「悪いなおっちゃん! 俺たちの相棒の邪魔をすんな!」
レイは音叉ダガー『チューナー』を逆手に握り直し、開いた排熱ダクトのわずか数ミリの隙間へと、神業の精度で突き立てた。
ガキンッ!!
「トラック・インジェクション――出力調整、一・五パーセント!!」
ダガーの二股の刃先を通じて、左義腕に装填された超高周波の奔流が、スリーパーの体内フレームへと一気に雪崩れ込んだ。
チュドォォォォンッ!!
男の体内から、弾け飛ぶような爆音のハイパーポップが漏れ出した。
ピコピコと狂ったように跳ねる超高周波のパルスが、装甲の内側に張り巡らされた電子回路を駆け巡る。
だが、レイは決して破壊のための最大出力にはしなかった。
緻密に出力を絞り込み、首の後ろに食い込んでいた「音響支配インプラント」の微小チップだけを、逆位相の衝撃波でピンポイントに焼き切る。
バチチチッ!
青白い火花と白い煙がうなじから吹き上がった。
スリーパーの単眼カメラが激しく点滅し、やがてカチリと音を立てて消灯する。
「……ガ……ア……」
全身の油圧シリンダーからプシューッと蒸気が抜け、巨漢は武器を取り落とした。
吸音装甲の威容が崩れ、生身の人間の重みを取り戻して、その場に膝をつく。
仮面の隙間から覗く瞳に、生きた光が戻っていた。
「……儂は……施設を……守らねば……家族の、ために……」
「もう大丈夫だ。あんたの仕事は終わったよ」
レイはダガーを引き抜き、熱を帯びたシリンダーを腕から排出した。
シューッと白い蒸気が上がり、空になったチタン筒が手のひらに落ちる。
『……インプラントの停止信号を確認! レイ、成功よ!』
インカムから、ノアの泣きそうなほど安堵した叫びが響いた。
「へへっ、言っただろ。お前が耳を貸してくれりゃ、どんなデカ物だってイチコロだってな」
『もう……心臓が止まるかと思ったんだから! いいから早く保管庫の奥へ行って! パーツの棚は右手の一番奥よ!』
*
地下保管庫の奥、防震耐火ケースの中に、その『宝物』は眠っていた。
真空パックされた旧規格のガラス管――『共鳴真空管』。傷ひとつないマスター規格の完全品が、静かに横たわっていた。
「見つけたぞ、ノア。正真正銘、本物の真空管だ。トースターじゃねえぞ」
『当たり前でしょ! 絶対に落とさないでよ、割ったら一生許さないから!』
「わかってるって。……よし、ずらかるぜ」
レイはパーツを厳重に内ポケットへしまい、倒れていた防衛主任の男を安全な資材室の毛布の上へと運び込むと、研究所の裏口を蹴破って雨の路地へと飛び出した。
*
「――ただいま!」
下層スラムの地下アジト『フリーク・ステーション』の重い鉄扉を開けた瞬間、レイを出迎えたのは香ばしいニンニクと醤油の匂いだった。
「レイ! 無事だったかい!」
割烹着姿のジーナおばちゃんが、両手に抱えた巨大な平皿をテーブルにドンと置いた。皿の上には、山盛りの焼き餃子と黄金色に輝く炒飯が湯気を上げている。
「ジーナさん! 腹減って死ぬかと思った!」
「ほら、山ほど食べな! 中層の冷たい雨に打たれてきたんだろ、身体を芯から温めなきゃダメだよ」
「いただきます!」
レイがスプーンを握りしめた瞬間――背後から、ノアがずかずかと歩み寄ってきた。
「ちょっとレイ! 飯の前にブツを見せなさい、ブツを!」
「もぐもぐ……ふぉら、こへ……(ほら、これ)」
レイは頬を炒飯でパンパンに膨らませながら、コートの内ポケットから耐火ケースを取り出して差し出した。
ノアは息を呑み、震える手でケースを開ける。
澄んだガラス管、精緻に張り巡らされたタングステンのフィラメント。
「……すごい。傷ひとつない……完璧なコンディションのパルス・バルブだわ……」
ノアの瞳が、まるで星を見る少女のように輝いた。
そのまま作業机へ駆け寄り、愛用のドライバーと半田ごてを手に取ると、手際よくコンソールの心臓部へ新品の真空管を組み込んでいく。
カチリ、とロックが噛み合い、電源スイッチが入る。
ジワッ……と真空管が暖かな橙色の光を灯した。
アジトのスピーカーから、澄み切ったノイズのない電子パルスが、トクトクと生きた心拍のように部屋中を満たしていく。
「……生きてる。完璧に同調したわ!」
ノアは満面の笑みで振り返った。
「これで、アンタの義腕に合わせた新しいトラックが何本でも焼ける! 出力のブレもゼロよ!」
「そいつはありがたい。相棒の腕前が一流で助かるよ」
レイが餃子を箸でつまんでノアの口元へ突き出すと、ノアは少し赤くなりながら、パクッとそれに噛みついた。
「……もぐ。ま、まあね。アンタの無茶なステップに付き合えるチューナーなんて、この街に私くらいしかいないんだから。感謝しなさいよね」
「へいへい。感謝の印に、トースターも今度拾ってきてやるよ」
「だからトースターはいらないって言ってんでしょ!!」
作業場に響き渡る二人の怒声と、奥でショットガンを磨くヴォルクスの豪快な笑い声。
地上を支配する冷たいメトロノームには決して鳴らせない、温かく不揃いな音が、今夜も地下の隠れ家に満ちていた。




