Case 1-1:鼓動の周波数(パルス・コード) - 前編 -
プツン、と小さな破裂音が作業場に響いた。
直後、机の奥に設置された旧式のミキシング・コンソールから、細い灰色の煙が一本、天井へ向かって立ち上る。
「……嘘でしょ。今、このタイミングで?」
頭を抱えて机に突っ伏したのは、大きなヘッドホンを首に掛けた少女――ノアだった。
下層スラムの底、廃棄地下鉄の引き込み線を利用したレジスタンスのアジト『フリーク・ステーション』。その一角にあるノアの工房には、無数の有線ケーブルと真空管、旧時代の音響測定器が所狭しと積み上げられている。
レイはパイプ椅子をギシギシと揺らしながら、机の上の煙を手のひらで仰いだ。
「どうしたんだノア。機械からいい匂いがしてきたぞ。もしかして中でソーセージでも焼いてたのか?」
「焼いてないわよ! 焼けたのは私の命より大事な『共鳴真空管』!」
ノアはがばりと顔を上げ、焦げたガラス管の破片をピンセットで摘み上げた。
「カセットテープのアナログ音源を読み込んで、アンタの義腕に叩き込む実戦トラックへ変換する心臓部なの! これが死んだら、新しいトラックが精製できない。それどころか、今あるシリンダーの電圧調整すら狂って、下手をしたらアンタの腕の中で爆発するわよ!」
「うわっ、それは困るな。左腕が吹き飛んだら、ジーナおばちゃんの肉団子を片手でしか掴めなくなる」
「心配するポイントが致命的にズレてるのよ、アンタは!」
キーッと怒鳴るノアの横で、レイは工房の棚を物色し始めた。埃を被ったガラクタの山から、四角い銀色の箱を誇らしげに掲げて戻ってくる。
「安心しろノア、俺が見立ててやった。ほら、この鉄の箱にもスリットがあるし、ボタンを押すと中からカシャンって熱いのが飛び出してくるぞ。これで代用しよう」
「……レイ」
「ん?」
「それ、旧時代のポップアップトースター」
「トースター? すげえな、真空管の親戚か?」
「パンを焼く機械よ、この世間知らず!!」
バシィッ! とノアの手元から飛んできたモンキーレンチが、レイの鳩尾へ正確無比に突き刺さった。
「ぐへっ……痛ぇ……! 親切心で探してやったのに……!」
「トースターで音楽が焼けるわけないでしょ! まったく、スラム育ちにも程があるわ……」
深いため息をついたノアは、机の上に置かれた街の配線図面を睨みつけた。
奥のソファから、新聞を広げていたリーダーのキースが静かに口を開く。
「ノア。旧規格の真空管なら、心当たりがあるぞ」
「本当ですか、キースさん!?」
「中層区の第七境界、かつてコンコード社が閉鎖した『旧第三音響研究所』だ。あそこの地下資材庫は有線網の遮断によって完全隔離されているが、当時の予備パーツが手つかずで残されている可能性が高い」
キースの言葉に、ノアの表情がパッと明るくなった――が、すぐに曇った。
「……中層区。AIアポロンの集音マイク網が一番分厚いエリアですね。それに、放棄されたとはいえ企業の防衛プロトコルが生きていたら……」
「へへっ、何をビビってんだよ相棒」
痛む腹をさすりながら、レイが飄々とした笑みを浮かべて立ち上がった。
コートを羽織り、腰のホルスターに愛用の機械式ハンドガンを収める。そして、亡き母の形見である音叉ダガー『チューナー』の切っ先を指先で弾き、澄んだ純音をひとつ鳴らした。
「俺の左腕の音を預かってんのは、世界中でノアだけだろ。その心臓部が壊れたってんなら、俺が取ってきてやるよ。お前はここで、いつも通りどっしり構えて道案内してくれりゃいい」
「……レイ」
ノアは少しだけ目を丸くしたあと、照れ隠しのようにぷいっと横を向いた。
「……調子いいこと言って。言っとくけど、中層区のパトロールは下層の比じゃないんだからね。私の指示を無視して勝手にステップ踏んだら、有線インカム越しに耳が破裂するくらいの超音波を流すから!」
「へいへい、頼りにしてるぜ」
*
チ、チ、チ、チ――。
雨の降る中層区の路地裏。
建物の外壁を走る極太の有線光ファイバーの束に、レイは小型の有線ジャックをカチリと差し込んだ。
耳に装着した無骨なレシーバーから、ノアのクリアな声がノイズ混じりに響く。
『――回線接続、良好。アジトのメインコンソールから研究所のフロアマップを同期したわ。レイ、聞こえる?』
「バッチリだ。相変わらず中層のメトロノームは耳が痒くなるな。テンポが機械的すぎて反吐が出る」
『文句を言わない。そのテンポから半拍でも足音がズレたら、頭上の集音グリッドが即座に警報を鳴らすわ。足音を均一にして、三つ角を左よ』
「了解」
レイは指示通り、BPM 120の拍子に歩幅を厳密に合わせながら、錆びついた研究所の裏口ドアを押し開けた。
埃と機械油の匂いが鼻を突く。
かつて音響兵器や感知センサーの研究を行っていた巨大な吹き抜けフロア。無数の太いケーブルが天井からツタのように垂れ下がり、非常用電源の淡い緑色のランプが明滅していた。
『地下保管庫へ続く昇降機は、フロア中央を突っ切った先よ。……待って、レイ!』
「ん?」
『床の振動波形を検知したわ。前方、天井の配管の影……来る!』
ギィィィィン――!
ノアの警告とほぼ同時に、頭上から鋭い風切り音が降ってきた。
闇を裂いて現れたのは、鋭利なブレードを備えた三機の小型警備ドローン。中央の単眼カメラが赤く発光し、甲高い駆動音を立ててレイを包囲する。
『旧型とはいえ、コンコードの自律迎撃ユニットよ! 装甲は薄いけど、三機同時に超音速で旋回されたら生身じゃ捌き切れない!』
「なら、一瞬で黙らせるまでだろ」
レイは右手のハンドガンを抜かず、左前腕のスロットへ手を伸ばした。
「ノア、ドローンの回路を一発で狂わせるやつをくれ!」
『右ポケットの青いスリットよ! 【Synth Pop】の過負荷コード!』
「もらった!」
弾帯から引き抜いたチタンシリンダーを、左義腕のスロットへ一気に押し込む。
『カシャン――ズドォンッ!』
硬質な装填音とともに、鮮やかなネオンブルーの共鳴流体がスリットの中で激しく明滅した。
ピコピコと跳ね回る、軽快で鋭利な電子パルス。
ドローンが三方向から同時に急降下し、ブレードがレイの首筋を刈り取ろうと迫る。
レイは跳ばない。
Synth Popの物理メタファー――『過負荷ショート』。
左義腕を前方へ突き出し、掌の放音ポートを全開にした。
ドォッ!!
空気を劈くような高密度のシンセパルスが、指向性の衝撃波となって扇状に放射される。
直撃を受けたドローン三機のカメラアイが、激しい火花とともに一瞬でショートした。電子頭脳を過電流で焼き切られた機体は、制御を失って床へと激突し、ガラガラと無残な残骸となって転がった。
「よっと。相棒のお手製トラック、相変わらずキレがいいね」
『ふふん、私のチューニングを舐めないでよね。……って、喜んでる場合じゃないわ!』
インカムの向こうで、ノアの声が緊迫したトーンに跳ね上がった。
『今のパルス音で、地下保管庫のメイン防衛システムが叩き起こされた! 何か来るわ……波形がデカすぎる! レイ、下がって!!』
ズゥゥゥゥン……!!
吹き抜けのフロア全体が、地響きのような重い足音に揺れた。
地下へと続く重厚な防壁扉が、内側から飴細工のようにひしゃげ、吹き飛ばされる。
煙塵の中から現れたのは、通常のサイボーグ兵の倍近い体躯を誇る、異様な巨躯だった。
全身を隙間なく覆うのは、音を一切反射しない漆黒の「吸音セラミック複合装甲」。右腕には巨大な破城槌が接続され、仮面の奥から漏れ出る赤い光が、冷徹にレイをロックオンした。
「――侵入者ヲ排除。未認可音響周波数ヲ検知」
男の喉から響くのは、街のスピーカーと同じ、感情のないBPM 120のメトロノーム。
『嘘でしょ……旧研究所の防衛主任スリーパー……! 全身が高密度の防音装甲で固められてる! 生半可な音波や打撃じゃ、全部吸音材に食われて一ミリも通らないわよ!!』
ノアの悲鳴に近い通信が耳を打つ。
巨漢スリーパーが破城槌を持ち上げ、冷たい拍子を刻みながら踏み出してきた。
レイはダストコートを翻し、音叉ダガー『チューナー』を逆手に構えて、獰猛に口角を吊り上げた。
「へえ……音が通らないなら、通る隙間を探すだけだ。ノア、お前の耳を貸してくれよ」
『……言われなくても! 絶対に生きてパーツを持ち帰りなさい、レイ!!』




