↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Echoes Bullet  作者: 紗遮(さちゃ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/7

プロローグ:BPM 120の逃避行

 チ、チ、チ、チ――。

 感情を削ぎ落とした秒針の音が、濡れたアスファルトの路地に反響していた。

 等間隔。一分の狂いもない、一定の無機質な刻み。頭上の巨大な防護隔壁から街角の配電盤に至るまで、都市『バベル・オフ』のあらゆる建造物がその微小な低周波パルスを吐き出している。

 行き交う市民たちは、その拍子に合わせて足を前に出し、息を吸い、感情を交わすこともなく俯いて歩く。

 誰もが同じテンポで歩き、同じリズムで生活する。

 声を交わすことや日常の会話自体が禁じられているわけではない。だが、ふとした鼻歌、足先で刻むステップ、感情の高ぶりによる激しい乱れ――街のスピーカーが刻む冷たい拍子から外れたあらゆる「リズムの逸脱」は、街中に張り巡らされた集音マイク網によって異常振動として検知され、数分と経たずに治安部隊の巡回ドローンを引き寄せる。

 歌うことは重罪。音楽は反乱。均一な静寂を乱す感情こそが、この街における最大のノイズだった。

「――ちょっとレイ、歩くのが速い。もうちょっと落ち着いて歩けないわけ?」

 傘も差さずに隣を歩く小柄な少女――ノアが、濡れた前髪の隙間からジト目を向けて囁いた。

 背中には重そうな機材トランクを背負い、首元には大型のヘッドホン。運び屋としてのレイの相棒であり、この危険な街で唯一、彼の音を預かる優秀な少女技師だ。

「悪ぃ悪ぃ。ノアの歩幅に合わせようとすると、どうしても足首がムズムズしてきちゃってさ」

 レイは十八歳の痩躯を包むダストコートのポケットに両手を突っ込み、飄々とした笑みを浮かべた。

「それにしても、この街のメトロノームはいつ聴いても肩が凝るよな。もっとこう、裏拍で跳ねるようなグルーヴが欲しいね」

「バカ言わないの。その『跳ねる』ってやつを一回でもやったら、頭上の集音マイクが即座に反応して巡回部隊を呼ばれるわよ。いいから前を見て、街のリズムに合わせる!」

「へいへい、おっかない相棒殿」

 レイは右手の指先を小さく鳴らしながら、街頭から降り注ぐメトロノームの隙間――拍と拍のほんのわずかな「間」に体重を滑り込ませるようにして、静かに靴底を着地させた。

 レイの左腕は、鈍い銀色のチタンプレートで覆われた強化義腕だ。腰のホルスターには電波を一切発しない完全機械式のアナログ・ハンドガン。そしてコートの内ポケットには、亡き母の形見である二股の短剣――音叉ダガー『チューナー』が静かに収まっている。

 二人は下層区の境界に位置する薄暗い路地へと折れ、入り組んだ廃配管の隙間をすり抜けて、指定された重い鉄扉の前で足を止めた。

 レイが扉の金属板へ、あらかじめ決められていた三連打のノックを刻む。

 ギー、と錆びついた覗き窓が開き、油じみたゴーグルをかけた男がギョロリと目を光らせた。

「……合言葉は」

「『静かな朝には、冷めたスープを』」

「入れ」

 油圧の抜ける重い音とともに扉が開き、二人は薄暗いジャンク屋の奥へと迎え入れられた。

 外のメトロノーム音が遮断された店内で、ノアが背中のトランクを降ろし、布で何重にも厳重に包まれた耐圧ケースを作業台の上に置いた。

「依頼の品よ。旧時代の音響測定機器から抜き取った、真空管パーツのマスター規格品。欠けもノイズもないわ」

「……おお、間違いねえ。本物だ」

 男は震える指でパーツを改めると、深く安堵のため息を吐き出して棚の下から何かを取り出した。

「ほらよ、報酬だ。受け取りな」

 作業台の上に無造作に放り出されたのは、皺くちゃになった数枚の薄い紙切れだった。

 レイはそれをひょいとつまみ上げると、不思議そうに顔を近づけた。表と裏をひっくり返し、光に透かし、最後にはクンクンと鼻を寄せて匂いを嗅ぐ。

「なあ、おっちゃん。これ、何?」

「……は? 紙幣だが」

「シヘイ? これ食べられるの? それともちぎって火でもつける燃料?」

「あん?」

 男がポカンと口を開けた瞬間――バシィッ! と乾いた音が店内に響いた。

「いったぁ!?」

 レイは後頭部を押さえて飛び上がった。隣に立つノアが、丸めた配線図面を容赦なく振り下ろしていた。

「アンタねえ! またそのボケかましてんの!? 旧時代の紙幣よ、お金! 地下の闇市で買い物するときに使うやつ! 前にも教えたでしょ、この世間知らず!」

「だってさぁ! 普段の報酬って缶詰とか油とか実弾ばっかりじゃん! こんなカサカサした紙切れで腹が膨れるわけないだろ!」

「膨れるの! これでジーナおばちゃんの店に行って、お肉の缶詰と交換してもらうの! ほら、貸しなさい!」

 ノアはレイの手から紙幣をひったくるように奪い、念入りに枚数を数えて自分のポーチへしまい込んだ。

 ジャンク屋の男は、呆れ果てた顔で煙草の煙を吐き出す。

「……おいお嬢ちゃん、お前の相棒、腕は立つんだろうが頭のネジが五、六本吹き飛んでねえか?」

「ごめんなさい、このバカ下層のスラムの底で育ったせいで、一般社会の常識が全部抜け落ちてるの。……行くわよ、レイ!」

「痛えなあ……もうちょっと優しく扱ってくれよ……」

 後頭部をさするレイの腕を引っ張るようにして、ノアはジャンク屋を後にした。

 鉄扉が閉まり、再び雨が降る路地へと戻る。

 街頭スピーカーからは、相変わらず「チ、チ、チ、チ」と無感情なメトロノーム音が降り注いでいた。ノアは周囲を油断なく見回しながら、レイの隣で小声で囁く。

「……文句言わないの。これで今夜は温かいシチューが食べられるんだから」

「肉、多めにしてくれるなら許す」

「はいはい、ジーナおばちゃんに頼んであげるわよ。さ、集音センサーの巡回ルートが変わる前に――」

 言いかけたノアの足が、ピタリと止まった。

 ――カサリ。

 路地裏の粗大ゴミの山。古びた灰色の作業着を着て、壊れた街灯の破片を掃き集めていた清掃員の男が、箒を握ったまま微動だにせず立ち尽くしていた。

 俯いた男の顔。その瞳の奥、網膜に埋め込まれた赤色のステータスランプが、ジジッ……と不気味に明滅する。

「……未認可物資の残留磁気、および既知の反抗分子リストとの骨格一致を確認」

 男の喉から漏れ出たのは、人間の声ではなかった。

 金属を擦り合わせたような、抑揚のない合成音声。

「運搬者を特定。都市統治AIアポロンの保安プロトコルに基づき――思考矯正対象として即時拘束する」

「……っ! ノア、下がれ!」

 レイは瞬時にノアの華奢な肩を掴み、自分の背後へと引き倒した。

 同時に、清掃員の作業着がビリビリと内側から弾け飛ぶ。

 露出したのは、錆びついた油圧シリンダーと鋼鉄の鉤爪で覆われた筋骨隆々のサイボーグの腕。背中に増設された小型排気口が、プシューッと高圧蒸気を吐き出した。

 街の日常に溶け込み、獲物が現れた瞬間だけ牙を剥く潜伏型秘密警察――『スリーパー』。

『拘束を開始』

 ドッ!

 メトロノームの拍の頭に正確に合わせ、鋼鉄の鉤爪が虚空を薙ぎ払った。

 レンガの壁が果物のように削り取られ、耳障りな火花が散る。

 レイは右手の機械式ハンドガンを抜き放ち、即座に引き金を二度引いた。

 パァン、パァン!

 電波を発しない撃針の炸裂音。しかし、放たれた鉛の弾丸は、スリーパーが掲げた装甲板に弾かれ、甲高い音を立てて跳ね返った。

 スリーパーのカメラアイが、無機質にレイの輪郭を照準する。

「ターゲットの運動予測完了。次弾発射、回避」

「ちっ、カチコチに固めやがって!」

 レイは左前腕のチタン装甲を掲げ、頭上から振り下ろされた鉤爪を真正面から受け止めた。

 キィィィィンッ!

 すさまじい衝撃音が路地に響き渡る。だが、レイの左手に握られた音叉ダガー『チューナー』が澄んだ高音を響かせ、敵の衝撃波を美しい純音へと変換して逃がした。義腕とダガーの共振作用。相手の腕が弾かれ、わずかに体勢が崩れる。

「ノア! あのおっちゃん、フレームが分厚すぎる! 中からひっぱたくトラックをくれ!」

「待って、今トランクから出す! ……ダメ、通常のポップスじゃ外装の油圧パイプに減衰されるわ!」

 背後で膝をついたノアが、トランクのロックを外しながら叫ぶ。

「なら、一番重いやつだ! 骨ごと揺らすやつ!」

「馬鹿言わないで、アンタの義腕のモーターが焼き切れるわよ!」

「焼き切れる前にぶち込めばセーフだろ! 早く!」

「……もう、知らないからね!」

 ノアはトランクの奥から、チタン製の太いシリンダー――実戦用エネルギーカートリッジ『トラック』を一本、掴み出した。

 側面の耐圧ガラススリットの内部で、漆黒の共鳴流体がドクン、ドクンと激しい心拍のように脈動している。

 選ばれたジャンルは――【Djent】。

 極低音のリフと変拍子で空気を圧縮し、装甲を内部から破砕する超重量級の衝撃波。

「レイ、受け取って!」

 ノアがシリンダーを放り投げる。

 レイは右手でそれを空中で掴み取ると、スリーパーの追撃を紙一重でかわしながら、左義腕のスロットへと叩き込んだ。

『カシャン――ズドォンッ!』

 チタンの噛み合い音と同時に、地鳴りのような重低音が左腕全体を激震させた。

 全身の神経を黒いビートが駆け巡り、レイの双眸がカッと見開かれる。

 世界が一変する。

 街を縛り付けていた「チ、チ、チ、チ」という冷たいメトロノームの檻に、獰猛で、狂おしいほどに太いベースの唸りが強引に割り込んできた。

「AI照準:目標、左へステップ――」

 スリーパーの頭部プロセッサが未来予測を弾き出す。

 だが、レイはその予測線のマス目には乗らない。

 一拍、待つ。

 機械が「ここに来る」と確信したタイミングをあえて半拍ずらし、裏拍の沈黙の中で滑らかに身体を沈める。

 生命だけが持つ、不規則なスウィング。絶対グルーヴ。

「――エラー。予測地点より遅延。照準ロスト」

「悪いな、お前さんのメトロノーム……ちょっとリズムが退屈すぎる」

 踏み込む。

 Djentの物理メタファー――『超低音杭打ち機(パイルバンカー)』。

 音が重すぎて、レイの周囲の空気が一瞬にして超高密度の鉄の塊へと圧縮される。スリーパーが反撃のために振り下ろした鋼鉄の腕が、凝縮された空気の圧力に圧殺され、軋みを上げて静止した。

 その刹那。

 レイは間合いをゼロに詰め、左手の音叉ダガー『チューナー』を、スリーパーの胸部装甲の継ぎ目へと深々と突き刺した。

「トラック・インジェクション――出力調整、二パーセント!」

 ガキンッ!

 刃先を通じて、左義腕に装填された超低音の奔流が、スリーパーの体内フレームへダイレクトに流し込まれた。

 直後。

 男の胸部スピーカーから、割れんばかりの爆音ギターリフが炸裂した。

 ドガァァァァァンッ!!

 体内で鳴り響く強烈な重低音のサビ。振動が骨格を駆け巡り、内部の油圧機構を共振によって粉々に破砕していく。

 だが、レイは出力を決して最大にはしなかった。

 肉体を粉砕する寸前、首の後ろに埋め込まれていた「音響支配インプラント」の回路だけを、逆位相の周波数でピンポイントにショートさせる。

 バチチッ! と青白い火花が男のうなじから吹き上がった。

 赤いカメラアイの光がパチパチと明滅し、やがてふっと消える。

「……が、あ……」

 スリーパーの男から鋼鉄の強張りが抜け、人間らしい生身の重みを取り戻してその場に崩れ落ちた。

 荒い息を吐きながら、濁っていた男の瞳が、焦点を結ぶ。

「……わ、儂は……何を……孫の、薬を……買いに……」

「命に別条はないよ、おっちゃん。しばらくそこで寝てな」

 レイはダガーを引き抜き、左腕のスロットから熱を帯びたトラックを排出させた。

 シューッと白い蒸気が上がり、空になったシリンダーがカランと音を立てて手のひらに落ちる。

「……ふう。チップは完全に焼き切れたわね。生体反応も安定してる」

 駆け寄ってきたノアが、スリーパーの首筋のインプラントを確認してホッと息をついた。

「だろ? これで一人、救出完了だ」

「感傷に浸ってる暇はないわよ! 今の破裂音で、集音マイク網が警戒レベルを上げたわ! あと数分で治安維持ドローンが来る! 走るわよ、レイ!」

「うおっ、引っ張るなって、自分で走れるから!」

 ノアは機材トランクを背負い直すと、レイの手首を強引に掴んで走り出した。

 レイは倒れた男の上に路地のダンボールをそっと被せ、ノアと肩を並べて雨煙の立ち込める闇の中へと飛び込んだ。

   *

 下層スラムのさらに底。

 廃棄された地下鉄の引き込み線を利用したレジスタンスの隠れ家『フリーク・ステーション』の鉄扉をくぐると、そこには地上とは完全に隔絶された「音」と「熱」が存在していた。

「――お帰り、二人とも! 無事だったかい?」

 立ち込めるスープの湯気の向こうから、割烹着を着たジーナおばちゃんが、両手に抱えた大鍋をドンとテーブルに置いた。

「ジーナさん! 死ぬほど腹減った!」

「ノア、レイに怪我はなかったかい?」

「怪我はないけど、このバカ、またスリーパー相手にDjentなんかぶっ放したのよ! ほら、座りなさいレイ、義腕のシリンダー圧を点検するから!」

「飯の後にしようぜ、ノア……」

「ダメ! パッキンが歪んでたら次の任務で腕が吹き飛ぶわよ!」

 ノアはぷくっと頬を膨らませながら、レイを丸椅子に座らせ、工具箱からドライバーを取り出した。文句を言いながらも、その指先は驚くほど繊細にチタンの装甲板を撫で、歪んだネジを締め直していく。

 テーブルの向こうでは、ショットガンを手入れしていた大男のヴォックスが豪快に笑った。

「がはは! 相変わらずノアの尻に敷かれてんな、坊主!」

「うるさいわよヴォックス! アンタも散弾の火薬量が多すぎるって言ったでしょ、次は調整しないからね!」

「へいへい、勘弁してくれよお嬢ちゃん」

 パルクール少女のクロエが炭酸水のグラスを鳴らし、奥の部屋からは元通信兵のユーリが静かに新聞をめくる音がする。

 木製のスプーンで掬い上げた温かいポトフが、冷え切った胃袋をじんわりと満たしていく。

 誰かが笑い、スプーンが皿に当たり、奥の作業場からは古い蓄音機の針が擦れる微かなノイズが漏れ聞こえてくる。

 地上を支配する冷たいメトロノームには決して存在しない、不揃いで、不器用で、けれど確かな命の脈動。

(母さん)

 レイはコートの胸元、そこに隠されたカセットテープの冷たい輪郭に、そっと指先で触れた。

 生前の母が遺した、たったひとつのLegacy。

(俺たちの音は、まだ消えちゃいないよ)

 横でブツブツと小言を言いながら義腕を整備してくれるノアの横顔を見つめながら、レイは温かいスープをもう一口、口に運んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。