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第5話 「はじめましての準備」

1


9月だ。

今日から小中学校は、新学期というのが一般的だろう。

百貨店は、少し落ち着きを取り戻している。


インフォメーションカウンターへの問い合わせや館内案内は少し減った。

今日は、少し天気も悪い。

そのせいかもしれない。


その隙を狙って、私は母からのLINEを確認する。

9月のうちの4つの日を、両家顔合わせの候補日として送ってきていた。

これを、恒一さんに知らせて、長野のご両親の都合と合わせないといけない。

あとは、場所だ。

それは、彼とふたりでやればいいけど。


自分の服装が問題だ。

3階に行こうとは思っていたけど、とにかく昨日まで世間は夏休みだった。

ざわざわと人の多い売り場へ行くのも、気後れした。

今日は絶対に行かないと。


そんなことを考えていると、隣に立つ前田恵美が声をかけてくる。


「何考えこんでんの?」


「ああ…服をちょっと、あとで見に行こうかとか…そんなこと」


恵美は、いつもの察しの良さを発揮して言った。


「両家の顔合わせか。なるほど」


なんで、わかるの。

そんな顔になっていたのかしら。


「場所は、個室のあるところがいいわよ」

「うるさいと落ち着かないじゃん」

「でも、あんたが気にしてんのは、服装だね」


「そこまでわかっちゃう?」


「だいたいね」


恵美は、笑っている。


「うん。服装で悩んでる」


恵美は、訳知り顔で言った。


「座って、膝が隠れるくらいがいいと思う」

「色も濃い目。食べこぼしとかさ、目立たないように」


私は、ちょっと驚いて言った。


「なんで、そんなに詳しいの?」

「もしかして、恵美たちもそんな話出てるの?」


恵美は虫を追い払うように手を振って言った。


「そんなわけないじゃん」

「うちの兄が、去年結婚したのよ」

「両家顔合わせ?あたしは、特に興味もなかったけどさ」

「でも、相手の方もきょうだいが来るってことだったから」


「行ったんだ」

「どんな感じ?」


恵美は、視線を少し上に向けて思い出している。


「まぁ、後半は和やかだけど、最初はみんなで緊張…って感じ」


「やっぱり、そうなるよね」


恒一さんのご両親に、この子で大丈夫かと思われないようにしっかりしないと。


「今日は、休憩一緒だし、3階行くならあたしも一緒に行っていい?」


恵美も興味があるのか、そう言ってくれる。


「いいの?恵美がいたら、心強いかも」




休憩時間に、恵美と3階へ向かう。


「ごめんね、お昼、軽くパンだけになっちゃって」


制服のままなので少し目立つ。


私はエレベーターの中で小さく言った。


「気にしなくて大丈夫。あたしも見たかったし」



3階は、若者向けのアパレルブランドが多く入っている。


秋物が中心で、奥のラックには少しずつ冬物も並び始めている。


恵美が、こっちこっちと先を行くので、ついて行った。


「オケージョンウェアとかがいいんじゃない?」

「セミフォーマルって感じでもないし」


なるほど。

いいかも。


「清楚に見せるなら、ネイビーかな」


「ネイビーなら、他にも着まわせそうだよね」


マネキンの服を見て納得する。


立ち止まっていると、奥からアパレルテナントの小森さんがこちらに来た。


「高阪さん、前田さんも。何かお探し?」


そう言ってから、私の顔を見て何か思い出したように、ぱっと表情を明るくした。


「あっ!もしかして結婚の?」


口元を押さえて、小森さんが言った。


「ええ、まぁ…」


私は口ごもりながら、曖昧な返事をした。

小森さんは、ニコニコして、続ける。


「それなら、いいのありますよ」

「キレイめなワンピースとか、似合うと思うんだけど」


小森さんは、あちこちのラックから何着か取り出して見せてくれた。


「ネイビーとグレージュ、あと淡いブルーがあります」

「高阪さんなら、こっちも似合うと思う」


そう言いながら、グレージュのワンピースを持ち上げた。


恵美が小森さんの持ち上げた服を見て言った。


「いい色じゃない。顔合わせならネイビーかグレージュ」

「可愛すぎないほうがいいと思うな」


「時間が大丈夫なら試着してみてください」


小森さんも後押しする。



試着して、少しカーテンを開けた。


「どう?」


「いいんじゃない?」

「朝倉さんの横に立っても、ちゃんと奥さんに見える」


ちょっと!嬉しいけど、声が大きい。

私は、そのあと小森さんと目を合わせられずにいた。


でも、小森さんは明るく笑って言った。


「すごく、お似合いです!お洋服もですし、朝倉さんとも」


いたたまれないけど、なんだか嬉しかった。



2


今日、俺は休みでひよりは早番だ。

暑いのと仕事の疲れで、昼近くまで寝ていた。

ダイニングテーブルに、買い物メモと朝飯が置いてあった。

おにぎりだ。

買い物メモの隅に、「お味噌汁は鍋の中」と書いてある。


ひよりのおにぎりを食べながら、スマホで食事会の店をいくつかピックアップした。

どこにするか、ひよりと一緒に決めるために。


天気が崩れそうだ。

洗濯は外に干さないほうがいいだろう。

いつも、ひよりはタオルだけは乾燥機で乾かしているので、干すものはそんなに多くない。


実家に電話もしなければならない。

親父に直接話すほうがいいだろう。

ならば、夜のほうがいいな。


今にも雨が降りそうな空だ。

買い物は車で行くか。

買い物をして、駅で待っていればひよりを乗せて帰れる。

完璧だ。



雨が降りだした。

17時にひよりに〈駅まで迎えに行く〉とLINEを入れておいた。

朝は、降っていなかったので傘を持って行かなかったらしい。


「お昼くらいから、降りそうだと思ってたんです」

「助かりました」


ひよりはサイドシートでシートベルトを掛けながら、安堵した顔で言った。


車の中で、ひよりは3階のアパレルテナントのなんとかさんの話をしていた。

それから、前田さんが個室のある店がいいと言っていたとか、顔合わせ用の服を見たとか、いろいろ話していた。


俺は「そうか」とか「うん」しか言ってないが、話は一応聞いている。


俺たちの家が見えてきた。

もうすぐ着く。



晩飯を食べた後、ひよりが風呂へ行ったので、リビングで親父に電話をした。


親父は案外早く電話に出た。


「あ、恒一だけど」


―おお、元気か?どうした?


「春に結婚する」


―前に、聞いた人?


「そう。で、両親の顔合わせの食事会を今月中にしたい」

「こっちまで来れる?」

「母さんの予定もあると思うし、向こうの両親の都合もあるから」


―ああ、母さんには聞いとくよ


「候補日を上げて連絡して欲しい」

「あと、場所と費用は俺が持つから」


―美咲は?


「来たいならくればいい」


―わかった

―多分行くって言うだろ


「じゃ、そういうことで」


―いや、待て

―結納はどうする?


「結納?そんな大げさなことしなくていい」


―それはお前が決めることじゃない

―先方のご両親が決めるんだ


「あ…そういうもの?」


―結納ってのは、家と家の約束事だからな

―先方さんは、一人娘さんだろ?


「うん」


―これまで、大事に育ててきて、犬の子じゃあるまいし

―あげました、もらいましたじゃ格好がつかない

―うちにだって、美咲がいる

―軽く扱うような家にはやりたくない


「うん」


―ちゃんと、朝倉の家として失礼のないように迎えるってことだ

―それも聞いて連絡しなさい


「はい」



結納と言う言葉は知っていた。

けれど、内容はほとんど知らない。

結婚する前の、古い儀式くらいにしか思っていなかった。


でも、親父が言っているのは、儀式の話ではない。

筋を通せ、ということだと思った。


もう、一緒に暮らしている。

だからこそ、なし崩しにするのではなく、ひとりの女性をきちんと礼をもって迎える。

そういうことなのだと、少し遅れて分かった。



3


お風呂から上がってダイニングの椅子に座り、髪を扇風機で乾かしていた。


恒一さんは、リビングで電話をしていたみたい。

実家に電話すると言っていたから。


恒一さんがダイニングへ入ってきて言った。


「親父に、結納はどうするんだって聞かれた」


「結納……ですか?」


言葉は知っているけれど、どういうものかわからない。


ふたりして沈黙だ。



恒一さんが、お父さんとの話をかなり簡略化して教えてくれた。


「大げさにやれって意味じゃないと思う」

「ただ、ひよりの家に確認しないまま、なしで済ませることじゃないって」


「んー…ママに聞いたほうがいいですよね?」


「うん。親父に聞けって言われた」





「ママ?今いい?」


―はいはい


「朝倉さんのお父さんが、結納はどうしますかって」


―結納まではいいわよ

―でも、そう言ってくださるお気持ちは、ありがたいわね

―ひよちゃんをひとりの女性として、礼を尽くそうとしてくださってるんだから


「結納ってよくわからないから……」


―婚約の証よ。家と家の縁を正式に確認しましょうってこと

―もう、一緒に住んでるから、いろいろ省いて終わりにすることもできるでしょう?

―でも、そうじゃなくて、きちんと順を踏もうとしてくださったのよ

―だから、ありがたいと言ったの


「うん。そういうことなら、なんとなくわかった」


―顔合わせの食事会をきちんとしてくれたら、それで十分

―費用はあなたたちふたりで出しなさい?

―あなたたちのことで、みんなに集まってもらうんだから


「それは、そのつもりよ」


―なら、いいわ

―日程はまだね?


「2、3日後には大丈夫」





電話を切って、恒一さんに伝える。


「結納まではしなくていいって」

「でも、お気持ちはありがたいって」

「顔合わせの食事会をちゃんとしましょうって言ってた」


恒一さんは、頷いて言った。


「わかった」

「親父にもそう伝える」


結納って、たぶんおせち料理とか七五三みたいに、ひとつひとつに意味があるものなのだと思う。

でも、今はおせち料理を買う人が多いように、昔の形そのままでなくてもいいのかもしれない。

大事なのは、形を全部なぞることではなくて、その意味を粗末にしないことなのだろう。


少し、わかった気がした。



4


今日は休み。

恒一さんは、休み明け早番だ。

両家顔合わせの日程は、9月14日になりそうだ。


3階の小森さんから、取り置きしてもらっている、グレージュのワンピースの写真が送られてきた。

カシュクールの胸元からウエストにかけてのラインが美しい。

Aラインのスカート部分は生地がたっぷりで、歩いた時の広がり方がとっても優雅。

靴は白か同系色か…

恒一さんに聞いてみようかと思ったけれど、どっちもいいと言うに決まっている。

恵美に聞くほうがいいだろう。


今日は、場所をどこにするか相談しないといけない。

はっきり言って、私はよくわからない。

場所が決まらないと、お店も決まらない。


恒一さんは、不測の事態でもない限りもうすぐ帰ってくるはずだ。

夕ご飯は、もう出来てる。

お風呂も沸いている。

今日は、炊飯器も大丈夫。

明日は、燃えるゴミの日でだいたいまとめてある。

完璧だ。



鍵の音。

ドアを開けたときの空気が揺れる感じ。


「おかえりなさい」


「ただいま」


シャツのボタンを外しながら、恒一さんはダイニングへ入ってきた。

暑いらしい。

疲れているみたいだけど、いつもの顔だった。


「エアコンもう少し温度下げます?」

「お風呂沸いてますけど?」


「先にご飯食いたい」


私は、扇風機のスイッチを入れて、涼しいリビングの冷気を送った。


今日は、揚げ出し茄子だし、冷めてもおいしい。

恒一さんは、白身魚のホイル焼きのホイルを破って、なんだか嬉しそうな顔をしている。

美しい顔は、どんな時も美しい。


ああ、見とれている場合じゃない。


「場所考えてたんですけど」


「うん」


「川崎とか横浜とか、色々見たんですけど」


「うん」


「見すぎてわかんなくなっちゃって」


ゴーヤの胡麻和えに箸を伸ばして「うん」しか言わない。

お腹が落ち着くまで、待つことにした。

私も食べよう。


「品川がいいと思う」

「駅に近いホテル」


恒一さんが、唐突に言った。


「……聞いてたんですか?」


「聞いてる」


ああ、そうだった。

この人は返事がなくても、聞いてる人だった。


「うちの親が来やすい。新幹線もあるし、ホテルも取りやすい」

「ひよりのご両親も、横浜からなら遠くないだろ」

「ホテルの中の店なら迷わないし」


「そこまで考えてたの?」


「うん。一応」

「うちの親は土地勘ないし」


「ホテルなら、個室もありますね」

「半個室と個室両方あるみたい」


恒一さんにスマホの画面を見せる。


「そこ、俺も電車の中で見てた」


私は、もうお腹いっぱいだけど、彼はまだ、茄子に夢中だ。


「あの…ご飯、おかわりする?」


「うん。お願い」



お味噌汁を最後に飲み干して、ふぅーっと、息をついたのを見計らって、私は言った。


「恒一さんのご両親、日帰りですか?」


「いや、前日に来てもらう」

「ホテルも同じところに取る」


「それはそうですよね」


「ママがね、費用は私たちふたりで出しなさいって」

「私たちふたりのことで集まってもらうんだからって」


「俺もそのつもりだった」


「ふたりで、ね?」


「…………」


「全部出す気だった?」


私は、少し前のめりになって言った。


「ちょっと」


彼の声が小さい。


「私たちのことだから、私も出したいから」


恒一さんは、少し黙ってから言った。


「わかった」

「ふたりで出す」



恒一さんがスマホを持って言った。


「まだ、20時だし大丈夫だろ」


私は、キッチンで洗い物をしていた。

恒一さんは、一緒にするから置いといてと、言ってたけど。

今日、私は休みだったし、暑そうだし、お風呂入りたいだろうし。


「9月14日、12時から」

「ええ、そう。そうです。顔合わせです」

「大人7人。はい、できれば個室で」


なんだか、いよいよって気がしてきた。


「予約取れた」


春へ続く道の途中に、ホテルのレストランへ寄ることが決定した。


「親父に電話しとく」




***


呼出音が鳴っている。

1回、2回……5回。


―もしもし!お兄ちゃん?!


美咲だ。


「なんでお前が出る」


―パパが出ていいって


……ため息が出た。

高い声が、耳に痛い。


「父さんと代わって」


―お兄ちゃん、ひよりさんいるんでしょ?

―代わって、代わって


「うるさい。代わらない」

「すぐ、会える」

「早く、代われ」


―ケチね。ひよりさんの写真送って?いいでしょ?


美咲の声の向こう、少し遠いところから父の声が入る


――もう、いいだろ。貸しなさい


親父の声だ。


当日、美咲が来るのは、本当にキケンだ。

来ない方向で、段取ればよかった気がする。



***



なんだか、賑やかそうだった。

恒一さんが、電話を切ったあとに聞いてみた。


「美咲さんですか?」


「言った通り、うるさいだろ」


「楽しそう」


「調子に乗るから、本人には言うなよ」


私は、笑ってごまかした。



そして今日、小森さんが送ってくれたワンピースの写真を恒一さんに見せた。


「顔合わせの食事会用に、これ、どうですか?」


「似合う」


「まだ、着てないです」


「似合うだろ」


恒一さんは、私を見て言った。

あなたも、当日はきっと素敵なんだろうな。


「きれいに見えるといいな」


「俺は、そのままのほうが好きだ」

「別人にならなくていい」


「え?」


スマホを見ていた視線を上げた。


「親に会うのは、その服じゃなくて、ひよりだから」



ワンピースも、日程も、レストランも決まった。

スマホのカレンダーのその日に予定を書き込んだ。


はじめましての準備は、整った。




ひより日和 婚約編 第5話 「はじめましての準備」おわり



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