第13話 「干せないもの」
1
毎日、寒い日が続く。
フォトウェディングの撮影も終わり、写真の選定もした。
お姫様抱っこされた写真は、ボツにした。
なんだか、異様にふたりして表情がよくなかった。
カメラマンは「いいですよー」「笑って―」とテンションは、高かったが。
結局は自然体の写真の恒一さんが、いちばん素敵だった。
あの時の余韻も冷めきらない1月下旬の夕方。
「写真どうだった?」
お弁当の蓋を開けたところで、向かいの席の恵美が身を乗り出してきた。
「えっと…」
私は卵焼きをつまんだ箸を、いったんお弁当に戻した。
「まずね、カメラマンさんのテンションがすごかったの」
「あさイチから、ずっとフルスロットっていうか」
「フルスロットル?!」
「はい、おふたり最高ですー!いいですね、いいですねー!」
「はーい!次くっついてくださーい!」
「って、ずっと」
「最初の5分でもうお腹いっぱいって感じ」
恵美がぷっと噴き出す。
「想像つく。ひよりは固まるタイプ」
「そうなの。緊張しすぎて、笑ってくださいって言われても、顔が引きつっちゃって」
「しかも、恥ずかしくて、恒一さんの顔あんまり見られなくて……」
「え、なんでそこで、朝倉さん?」
「だって、至近距離で『見つめ合ってくださーい!』とか言われるんだよ?」
「彼の証明写真でさえ直視できないのに、結婚の写真で見つめ合うなんてハードル高すぎるよ…」
思い出して、耳の辺りが熱くなる。
「で、どうしたの」
「もう、仕方ないからカメラマンさんの肩越しあたりを見て、ちょっと視線をずらしてごまかしてたら」
「新婦さーん、新郎さんのお顔見てくださーい!」
「って、秒でバレた……」
「指摘入ったんだ」
「うん。『そこはぜひ、見つめ合うところで!』って」
「恒一さんは、なんか平然と私のこと見てるし」
「なんか私だけ、ずっと逃げ腰で」
「でも、あんたがケロッとしてたらさ、こっちが心配になるじゃん」
「それ本当に結婚する相手?って」
「ひどい。…でも、ちょっとわかるかも」
ひとしきり、カメラマンのテンションと自分の緊張具合を話し終えると、私はようやく一口食べて、ふぅっと息をついた。
そのとき、視界の端に休憩室の壁の張り紙が目に入る。
「…あ、また増えてる」
「ん?」
恵美もつられてそちらを見る。
「『近隣で女性用衣類の盗難発生。ベランダや共用物干し場に注意』だって」
「この前は『自転車盗難注意』だったのに」
「ヤダね……」
恵美が、少し眉を顰める。
「でも、ほんと他人事じゃないよ」
そういって、恵美がペットボトルのお茶を一口飲む。
「そういえばさ。友達が昔、それで警察来たって言ってた」
「えっ、実際に?」
「うん。」
恵美は箸先でお弁当のきんぴらをつつきながら続ける。
「その子はね、最初に下着がなくなったとき、盗まれたと思わなかったんだって」
「え、そうなんだ」
「風で飛んだのかなとか、どこかにしまっちゃったかなーとかそのくらいの感覚」
「1,2枚なくなっても、『自分がどこかにやったんだろう』で流しちゃって」
「なんか、わかるかも……まさか盗まれたって、すぐは思わないかもね」
「でしょ。 で、そこから1年以上経って、急に警察が家に来たらしい」
「1年以上あとに?」
「そう、『近所で窃盗の捜査してる』って。犯人のスマホの中に、ベランダの写真とか下着の写真が大量にあったみたいよ」
背中に、すっと冷たいものが走る。
「スマホに?」
「しかも、下着だけじゃなくて表札の写真も一緒に撮ってたんだって」
「どこの誰のものか、ちゃんとわかるように」
「えええええ?こわっ」
「警察から、『ここは、あなたの家ですよね?』って確認されて」
「そこで、初めて『あ、盗まれてたんだ』ってちゃんとわかったって」
「しかもさ、全部の家が被害届出せるわけじゃないみたい」
「え、なんで?」
「証拠と被害者が盗まれてたって自覚が一致しないと警察はわかってても…ねぇ?」
「それ、モヤモヤするね?」
「被害者のほうだって、下着盗られて、警察からの調書ではいろいろ聞かれるみたいでさ」
「盗られた下着の時価とかまで、聞かれるとか何とか」
「時価?」
「買った時の値段じゃなくて、今いくらか」
「下着に時価って」
思わず、失笑した。
ふたりして、微妙な笑いが漏れる。
「でも、笑い事じゃないよね。こわいもん、それ」
「ひよりも気をつけなよ?」
「うちは、マンションだからさ」
「油断禁物」
恵美が、いつもの現実的な口調で言う。
「あ…」
顔を上げると、恵美の肩越しに神田さんが、休憩室に入ってくるのが見えた。
「神田さんだよ」
恵美に言うと、彼女は振り返って「おつかれさまー」と声をかけて言った。
「亮」
「はいはい」
神田さんは、なんだか楽しそうに近寄ってきた。
「女性用の下着の時価額ってどう思う?」
面白半分で聞く、恵美。
「警備室、戻らないと。用事思い出した」
神田さんは、一瞬考えてから、ここは撤収する方が得策と思ったようだ。
「まだ、何も言ってないよ」
「いや、もう、なんとなく、話の行き先が…」
そう言ったあとに怖い目になって恵美に言った。
「盗られたのか?」
「あたしじゃないわよ」
両手を振って慌てて、否定する恵美。
「盗られた側は、気持ち悪いよね」
神田さんはちょっと、ほっとしたように言った。
神田さんの声が、さっきまでより少し低く聞こえた。
冗談みたいな話だったはずなのに。
盗られた側は気持ち悪い。
その言葉だけが、妙に胸に残った。
2
遅番で退勤すると、帰宅は22時前だ。
マンションの共用廊下を歩きながら、夕方の休憩中に恵美とした話が蘇る。
今までそんなこと、考えもしなかった。
そういえば、恵美は言ってた。
犯人は表札の写真も撮ってたと。
下着の写真も大量に。
被害者は、盗まれたと気づかなかった。
ちょっと、背中がぞくっとした。
早く部屋に入ろう…
部屋に入って、鍵を閉める。
1時間もしたら、恒一さんが帰ってくる。
どうせすぐ帰ってくるからと、施錠しないでいると恒一さんは、ちょっと機嫌が悪くなる。
「鍵」って、言うだけだけど。
昼前に干した洗濯物を取り込むために、ベランダへ行く。
遅番で帰ると、まずこれをする。
雨でない限り。
靴下、タオル、部屋着…
毎日洗濯をしているから、数はそんなに多くない。
失くなっているものはない。
当たり前だ。
ここは、マンションのベランダで3階だから。
だけど、何か失くなっていることに、気づくかしら?
何も起きてないのに。
少し、気になっただけ。
こたつの上に置いた、スマホが震える。
LINEだ。
〈今終わった〉
恒一さんだ。
……彼に言った方がいいかな…
〈今日ね、恵美から休憩中に変な話聞いちゃって〉
〈なに〉
〈休憩室の張り紙から、恵美の友達の話になって〉
下着泥棒のスマホに下着写真のコレクションと玄関の表札、1年以上経って警察が来たこと。
かいつまんで、送信した。
すぐに「既読」はついた。
ちょっと間をおいて返信。
〈外に洗濯物出してるのか〉
〈今、取り込みました〉
―送信
―返信
〈帰ったら見る〉
〈なにを?〉
―送信
私は、スマホの画面を見つめた。
「見るって…なにを?」
そうつぶやいたけれど、返信はもう来なかった。
たぶん今頃、恒一さんは真面目な顔をしている。
それだけは、なんとなく想像できた。
そして、その真面目な顔があまり良い方向に向いてないことも。
3
遅番のいつもの時間に、恒一さんは帰ってきた。
「おかえりなさい」
いつも通りに言ったけど、恒一さんは「ああ」って言っただけだった。
靴を脱いでコートを着たまま、その足でベランダへ直行している。
後ろをついて、ベランダのそばまで行った。
恒一さんは、ベランダの端まで行って隣の部屋の方まで見ている。
そのままベランダを出て、玄関で靴を履いている。
私も一緒になって、カルガモのように後を追いながら、ついて行った。
共用廊下を端から端まで歩いて、見ている。
そのあと、非常階段まで行って、上から下まで見ていた。
何も言ってくれないので、辛抱が切れて聞いた。
「なにしてるんですか?」
「確認だ」
それだけ?
帰宅して、「ああ」と「確認だ」しか聞いていない。
コートを脱ぐ恒一さんを、じっと見ていた。
部屋に戻って、ちょっと拗ねたような顔になっていたのかもしれない。
恒一さんは、私の頭を撫でて言った。
「わかったから」
そう言って、やっと説明してくれた。
「ベランダの周りの壁」
「パイプとかあるとそこを足掛かりにして、登ることだってできるだろ?」
「隣の部屋のベランダから、何か長い棒でも差し込まれて、洗濯物取れそうかとか」
ああ、なるほど。
そんなことまで、思いつかなかった。
「非常階段も?」
「うん。死角になるところ」
「共用廊下に不自然に人が立っていても、目立たないところがあるかどうか」
「そういう確認」
その「確認」が終わって、大丈夫だと思ったのかシャツのボタンに手をかけていた。
「そんなとこまで?」
「そりゃあ、見るだろ」
「当務の夜、俺はいない」
ちょっと、うつむいて私は言った。
「そうだけど…」
「下着の話じゃない」
「人の生活圏に、勝手に入られる話だ」
そう言われると、ちょっと怖い
盗まれるかどうかではなく、知らない誰かに、私たちの暮らしを覗かれることが。
私はもう一度、ベランダまで行って内側からベランダを見る。
そして、振り返ってさっき取り込んだ、洗濯物を見た。
昨日まで考えもしなかったけれど、同じ景色なのに違って見える。
リビングの入り口から、恒一さんの声がする。
「まぁ、この部屋は大丈夫だと思う」
彼を見て言った。
「そう?」
「絶対はないけどな」
私は、急いで恒一さんのそばへ行って彼のシャツの袖を掴んで言った。
「怖いこと言わないでください」
彼は、小さく笑って言った。
「とりあえず」
「遅番のときは、洗濯は中で干して」
「鍵は掛けろ。必ず」
「変なやつがいたら、すぐに言えよ?」
「はい」
私は頷いて返事をした。
「それから」
恒一さんは、まっすぐに私を見て、ゆっくり言った。
「ひとりで考えすぎるな」
「…はい」
さっきまで、ただの変な話だと思っていた。
でも、今は少しだけ違う。
怖いと思ったのは、下着泥棒の話じゃない。
恒一さんのいない夜のことを、想像してしまったからだった。
4
翌日の休憩時間に恵美と社員食堂で、昼食を取っていたら神田さんが入ってきた。
彼も休憩か。
恵美を見つけて、隣に座った。
「おつかれさまです」
神田さんは、そう言ってニヤリと笑った。
ひょっとしたら、お昼の休憩は社食にいると打ち合わせでもしていたのかもしれない。
もう、彼らの仲は公然の秘密になりつつある。
最近は、ふたりを好奇の目で見る人も少なくなった。
3人で、日替わり定食を食べながら、昨日の夜の話をした。
「昨日、恒一さんに恵美から聞いた話をしたの」
「休憩室に張り紙もあるから、そういう事件も多いかなって思って」
恵美は、エコ箸を取ろうとして軽く腰を上げたら、神田さんが腕を伸ばして代わりに取ってあげている。
「でね、帰ってきてから、ベランダ見て、共用廊下往復して角まで曲がって、非常階段」
恵美は、ちょっと笑ってお味噌汁の蓋を開けている。
「結構、徹底してるわね」
「念には念をって感じ?」
「マンションの外壁にパイプとかくっついてるから、それを足がかりに登ることもできるって」
私は、唐揚げを箸でつまんで言った。
すると、さっきまで笑っていた神田さんが、少し真面目な顔になって言った。
「でも、気になると思いますよ?主任は」
恵美が神田さんの方を向いて言った。
「3階だよ?」
「それでも。俺たちは当務の夜は帰れない」
恵美は、ちょっと黙った。
「ベランダの洗濯物だけならまだいいけど、そうじゃない場合もあるかもしれない」
恵美も昨日の私と同じことを言った。
「怖いこと言わないで」
恵美は箸の動きを止めて言った。
「じゃあ、恵美さんも洗濯物外に干さないで」
「命令?」
「いや、お願い」
恵美は「言い方」と小さく言いながらも、神田さんの方を見て笑っていた。
エピローグ
ふたりで早番の今日、帰りに買い物して帰ることにした。
冬の18時は、もう夜で寒い。
彼と手をつないだまま、私の右手は彼のジャケットのポケットの中にあった。
スーパーで、食材を買う前に2階の雑貨売り場へ足を向けた。
エスカレーターを上がると、洗剤やティッシュの並ぶフロアの一角に、物干しラックがずらりと並んでいた。
「いっぱいありますね」
「折りたためるのがいい」
恒一さんは、すでに実用品モードで、タグを裏返している。
「ベランダの前に置くって言ってただろ」
「これなら、ベランダの前でも圧迫感ないかも」
私は恒一さんが持っている商品をのぞきこんで言った。
「高さは、これくらいでいいか。タオルとシャツなら足りるな」
「そこまで?」
「そこまで」
恒一さんは、真面目な顔になって言った。
「下着の時価額を、警察官とはいえ、男から聞かれるのは……正直、許しがたい」
「……え」
低い声が、静かに続ける。
「知らない男に説明することじゃない」
「それはそうかもしれないけど……」
「職業柄、いろいろ見るけどな」
「男の想像力を甘く見ないほうがいい」
「真顔で、そういうこと言わないでください」
少し、間があって恒一さんは私を見た。
「ひよのそういう…細かい数字を知ってていいのは」
「俺だけ」
室内物干しを見ていたのに、急に別のものを見せられた気分になった。
「そんなことにならないようにする出費と思えば安いもんだ」
「そんな理由付け、初めて聞きました」
私は、顔を赤くしていたと思う。
冬なのに。
「間違ってないだろ」
「……うん」
手をつないだまま歩き出すと、さっき選んだ物干しラックよりも、隣にいる人の方がずっと頼もしく思えた。
ひより日和 婚約編 第13話 「干せないもの」 おわり




