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第12話 「フォトウェディング」

挿絵(By みてみん)

プロローグ


鏡の前で、白い布が一枚また一枚と重なっていく。

最初は少し頼りなく見えた肌襦袢が、長襦袢になり、掛下になり帯に支えられ、打掛の刺繍が肩にかかる頃には、もう「普段の自分」の気配が、ほとんど消えていた。


打掛は色打掛にした。

白地に、朱色や金、薄紫の花が咲いている。

母には「赤になさい」と言われていたけれど、顔が負けてしまいそうで、白地にした。


私は、着物を着るには、少し細かったようで両肩から胸に向かって、お腹のあたりにも綿を巻かれた。

ウエストのくびれを埋めるとか、体を寸胴にした方が、きれいに仕上がると説明された。

1月半ばの寒い時期で、よかったのかもしれない。


髪は古典的なアップスタイル。

美容師さんが「彼は背が高いと聞いているので、バランスを見ながらまとめていく」と言っていた。

最後に白いダリアの花を挿してくれた。


それにしても、重い。

綿布団を被せられた様に重い。

でも、不思議と嫌ではなかった。


鼓動が速いのは、着物のせいなのか緊張なのか、自分でもよくわからない。

花嫁になっていく途中というより、何か大事なものに包まれていく途中みたいだった。



1


和装での撮影は、スタジオでの撮影だった。


扉を開けて、彼が入ってきた。

最初に目に入ったのは、黒紋付の胸元に入った白い紋だった。

いつもの制服の黒よりもずっと深い、光を吸い込むような黒。


素敵、なんて軽い言葉のように思えた。

目に入ったのは「彼」なのに、違う人のようだった。

何を着ても、美しい人はどこまでも美しい。


袴の縦縞がまっすぐ落ちて、いつも見上げている背の高さが、さらに高く感じた。



目が合ったなら、何かが崩れてしまいそうで、私はとっさに視線を落とした。


打掛の裾の模様を、無意識に数えようとしている自分がいた。

帯で締めつけられたお腹のあたりに、さっきまでとは違う熱が集まってきた。


すごい、とか、かっこいい、とか、そんな言葉が頭の中をぐるぐる回るのに、のどまで上がってきては、帯に押し戻されるように消えていく。

目を上げたらきっと、全部顔に出てしまう。

「素敵です」の一言さえ、いま口にしたら、泣いてしまいそうで怖かった。


「ひよ」


低くて、聞きなれた声が、スタジオの空気の中に響く。

顔はまだ上げられないのに、耳だけがその声を拾っている。

そんな声で、呼ばないで。

私も「恒一さん」と呼びたいのに。


ああ、この人と写真を撮るんだ。

この姿で、隣に並ぶんだ。

そう思ったら、名前を呼ぶことさえ、息が詰まる。


花嫁とか新郎とか、そんな言葉より先に「一緒に生きていく人」という実感だけが、静かに膨らんでいく。


まだ、目を上げられない。

このどうしようもない気持ちを、最初のシャッター音が鳴るまで、私だけの秘密にしておきたかった。



***


スタジオの扉を開けた途端、視界の真ん中に、白と金がふわりと浮かび上がった。

まっすぐ正面に立っているはずの彼女は、なぜか少しだけ肩をすくめていた。

視線を床に落としている。


ヤバい。

ヤバいのは、わかっているが、何か言わないといけない。

綺麗だとか、似合っているだとかの準備してきた言葉が全部、子どもの感想みたいに軽く思えた。


必死で絞り出した声で、やっと言ったのは彼女の名前だった。


「ひよ」


彼女のまつ毛が、伏せたまま、かすかに震える。


顔を上げてほしいと思う。

今、どんな表情をしているのか、ちゃんと見たい。


彼女が目を伏せているのは、きっと帯が苦しいからだけじゃない。

だけど、無理に「こっちを見て」と言ったら、壊してしまいそうな気もする。


少しだけ体を傾けた。


選んだ言葉は、なんともありきたりだったが、思ったまま言った。


「綺麗だ。すごく」


伏せていたまつ毛が、そっと持ち上がる。

涙をこらえた目が、ようやく俺をとらえてくれた。


その瞬間を逃さないように、遠くでシャッターの音が鳴った。


撮影は始まったばかりなのに。


今日一日、この姿を見て平静でいられる気がしなかった。



2


ああ、今からが本番なのだ。


目をくらませてばかりはいられない。

カメラマンがいろいろ言ってくるが、打掛が重い。


「はい、そのまま」


「新婦さん、お顔上げて新郎さん見てください」


「新郎さんも、はい、見つめ合って」


「いいですよー」


などと、ノリにノッている。


私の後ろでは、スタッフさんが、打掛の裾や袖が動くたびに素早く調整を繰り返している。


見つめ合ってって……


もう、私、ヤバいんですけど。


「もう、少し近くに寄って」


「今度は引きで」


「新婦さん、新郎さんのほう、体ごと向いて右足だけ半歩前」


「前に出した足に体重掛けてください」


「はいはい、もう少し」


コケるって!



「後ろ姿いきまーす」


「手をつないでー」


「はい、見て見て」


いや、見たら、ヤバいです。


「新婦さん、もう少し笑って」


笑ってと言われても。


隣に恒一さんがいるだけで、正気を失いそうなのに。



***


綺麗すぎるひよりを見て、感慨にふけってはいられなくなった。


次から次へと、こうして、ああして。


俺はいいが、ひよりは体が重そうだ。


見つめあえと言われて、ひよりを見た。


目に薄く涙がたまっていて、指でそっと拭った。


そのとたんに、ものすごい連写音がした。


「新郎さん、いい!」


いいと言われたが、即座に近寄ってきたのは、メイクさんだった。

ひよりの目元を、押さえに来たようだ。


「はい、向かい合ってー」


「両手取ってくださーい」


一生懸命、カメラマンに従うひよりがかわいい。


涙を拭っていいなら、もう少し触りたい。


ああ、でも、ダメだ。


触ったら、ちょっと正気を失うかもしれない。


「はい、最後にもう一枚」


そう言いながら、連写音が続いていた。



3


和装での撮影が終わった。


お互い別室に連れ去られるように退場した。


選んだ、ドレスはビスチェドレスでレースオーバートップスを合わせている。


アクセサリーは、いろいろ考えたが、やっぱりアクアマリンをつけることにした。

ピアスは、もちろん恒一さんからのクリスマスプレゼントの真珠の葡萄だ。


髪を結い直して、パールのティアラをつけてもらった。


それにしても、まだドキドキが止まらない。

ちゃんと帰れるのか心配になってきた。



ドレスでの撮影は、スタジオのチャペルセットで行われるらしい。

白いアーチの向こうには、大きな窓があった。

窓は、色とりどりのステンドグラスだった。

室内には柔らかな光が満ちていて、白いドレスが少し眩しく見えた。


落ち着き払って、この時間を終えられるとは考えられないけれど。


洋装の恒一さんは、きっと、まともに見ると過呼吸になる危険性があるに違いない。



その中に足を踏み入れると、もう恒一さんは来ていた。

白いアーチのそばで、立ったままスタイリストさんにジャケットの裾を軽く整えてもらっている。


恒一さんが、こちらを向いた瞬間息が止まった。


さっきまで、和装で一緒にいたはずなのに、タキシード姿の恒一さんは、別の世界の人みたいに見えた。


目がくらみそうなほど格好良くて、まっすぐ見るのが怖い。

ちょっと、これは反則だ。


この距離で見つめたら、何か大切なものまで持って行かれそうで、視線がドレスの裾と靴のつま先の辺りをさまよう。


それでも、つい顔を上げてしまう。

視線が合った瞬間、また胸がきゅっと縮んだ。



***


今度は、別のセットでの撮影らしい。


そのような段取りになっていたんだろうか。

その辺は、適当に聞いていたので、ひよりはわかっているだろうが。


スタイリストがそばにしゃがみこんで、ジャケットの調整をしている。

入口の方へ目を向けると、ひよりだ。


ここにいるやつらには見えないだろうが、背中に羽が生えている。

白いドレスの中で、クリスマスに渡した真珠が小さく揺れていた。

撮影のときにつけてほしいと言った。

よく似合っている。本当に。


触りたいと思った。

でも、ダメだ。

触るのは、マズい。


手だけなら、何とか持ちそうだ。


ひよりが、そばに来たと思ったら、もうカメラは構えられて、さっきの和装のときのように、あれこれ指示を出された。


「背中合わせに」とか、「手をつないで」とか、いろいろ言った後に、恐ろしいことを言い出した。


「はい、新郎さん、抱っこできる?」


コイツ、俺を殺す気か。


「腰です。腰から」


「は?」


マズいだろ、それは。


腰って…


今、触るのは…ひよりを触るのは、まずい気がするが仕方ない。


ひよりもギョッとしている。


そんなことも知らずに、カメラマンは容赦がない。


「新婦さん、肩に手を回して」


「そうです、そうです」


持ち上げるだけなら、家でも時々寝落ちしたひよりをベッドまで連れていくことはあるが。


今日は、ダメだろ。


それをするには、綺麗すぎる。


それに、ひよりの腕が肩を回っていて、顔が近い。


持ち上げた瞬間、ひよりが小さく息をのんだ。


肩に回った腕に、ほんの少し力が入る。


「新郎さん、顔が硬いですよー」


何を言ってる。


硬くさせたのはお前だよ。


……まずい。


今日の撮影で、一番あぶないのは俺の方かもしれない。


もう、意識まで飛びそうだ。


カメラマンは、いたって元気だ。


「はい、いいですよー」


「新婦さん笑顔―!」




「はい、ありがとうございました。下ろして大丈夫でーす」


大丈夫じゃない。


だが、下ろさないわけにもいかない。


腰を支えたまま、そっと下ろすと、ひよりはしばらく俺の腕を離さなかった。


「……ひよ」


「すみません」


小さな声だった。


俺の方こそ、すみませんと言いたかった。




ひよりの花嫁姿が見たいと思って、フォトウェディングを後押ししたのは自分だ。


あの時の自分を呪いたい。

それでも、魂を売ってでも見たかったものは、確かにここにあった。



4


「はい、オッケーです。おふたり、とても素敵でした。」

「控室に戻っていただいて結構でーす」


最後のシャッター音が響いて、カメラマンさんがニコッと笑った。


この人の笑顔が、不敵に見えるのは私だけだろうか。




スタジオから廊下に出ると、ひんやりした空気が頬に触れる。


ドレスの裾を気にしながら、歩いていると隣に並んだ恒一さんの歩幅が、私にそっと合わせられた。


「……終わりましたね」


自分の声が、思ったよりもほっとしていた。


「うん」


低い声が、上から降ってきて緊張がほどけていく。


褒められ慣れてないからか、視線のやり場に困って、ついスカートの裾を見つめた。


「それでも、一生分得した」


「また、そういうことをさらっと言う……」


ライトよりもドレスよりも、あのテンション高いカメラマンさんよりも、この人の言葉に一番振り回されている。


「さっき、スタジオで」

「笑ったひよは、桜が咲いたみたいに綺麗だった」


もう…呼吸がうまくできなくなる。

顔が熱くてたまらなくて、逃げるみたいにドアノブへ視線をやる。


「自覚がないと思うけど、あなただって…」

「もう、知らないっ」


控室のドアの向こうに、まだ遠い春が、が少しだけ鮮やかに見えた。




エピローグ


家に帰り着くころには、外はすっかり暗くなっていた。

玄関で靴を脱いだ瞬間、全身の糸がぷつぷつと切れていくみたいに、どっと疲れが押し寄せる。


髪をほどいて、スプレーの匂いを洗い流し、メイクも全部落とした。

鏡に映るのは、スタジオにいた花嫁ではなくて、いつもの私だった。


リビングに入っていくと、恒一さんがいて、こたつは柔らかい暖かさで迎えてくれる。


テーブルの端にピアスの箱が置いてある。

ピアスの箱を開けて、クッションに真珠の房を戻した。


「おつかれさま」


恒一さんが言った。

彼は背もたれに体を預けて、こちらを見ている。


「片づけるの?」


「落としたら、嫌だから…」


彼は、少し目を細めて言った。



「似合ってた。今日のそれ」


不意に言われて、こたつの中でつま先が落ち着かずに動いた。


「はい」


それ以上言うと、声が震えそうで黙っていた。


しばらくして、ぽつりと言葉がこぼれた。


「写真綺麗に撮れてるといいな」


あのライトの下で笑っていた自分を思い出した。

ちゃんと、あの時の私が写っているだろうか。


恒一さんは、即答だった。


「撮れてる」


迷いのない声に、彼を見た。


「見たんですか?」


「見た」


「いつ?」


問いかけると、彼はほんの少し口元を緩めた。


「ずっと」


その言い方が、おかしくて。


「ずるい」


隣に座る彼の目の中に、今日の私が残っているのなら、私も同じ。



暗くなった外とは反対に、胸の中に小さな明かりがともった気がした。




ひより日和 婚約編 第12話 「フォトウェディング」 おわり



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