第6話 刀工、二度だけ斬る
夕刻。
炉の火は落とされ、鍛冶場には橙色の余熱だけが残っていた。
エルザは入口の外で素振りを繰り返している。
振らない。
引く。
止めない。
頭では理解している。だが、身体がまだ追いつかない。
「……くそ」
小さく吐き捨てる。
刃筋が安定しない。
さっきよりは良い。だが、まだ“通す”感覚が曖昧だった。
その時、背後から声がした。
「それでは分からん」
振り向く。
兼真が刀架の前に立っていた。
いつもの無表情。
だが、手に一本、別の影打を持っている。
「……何だ」
エルザが問う。
「見るか」
短い言葉。
エルザは眉をひそめた。
「何をだ」
「斬りだ」
それだけだった。
兼真は作業台の横に置いてあった束へ手を伸ばす。
巻藁。
この世界には無いはずのもの。
だが、転移と共に持ち込まれていたのだろう。
それを一本、立てる。
足で軽く固定する。
距離を取る。
無駄のない動き。
エルザは思わず見入っていた。
兼真が刀を腰に落とす。
鯉口を切る。
静かだった。
森の音すら遠のいたように感じる。
「……居合だ」
ぽつりと告げる。
次の瞬間。
抜いた。
音が遅れてきた。
斬った感触は見えない。
ただ、刃が通った。
巻藁がずれ、時間差で崩れる。
静かに、二つに分かれていた。
エルザの目が見開かれる。
「……今の」
「引いている」
兼真は刀を納める。
それだけ。
何も誇らない。
何も説明しない。
ただ事実だけを置く。
「もう一つ」
兼真は言う。
同じ巻藁に向き直る。
今度は構える。
中段。
両手。
力は入っていない。
自然に立っているだけ。
だが、崩れない。
「これは分かるか」
エルザは頷く。
「構えだ」
「そうだ」
兼真は一歩だけ踏み込む。
大きくは動かない。
刃が動く。
引く。
それだけ。
また、音が遅れる。
巻藁が滑るように落ちた。
斬れている。
だが、先ほどとは違う。
より自然で、無駄がない。
「……同じだ」
エルザが呟く。
「違う」
兼真は否定する。
「同じ結果だ」
「何が違う」
「始まりだ」
エルザは黙る。
理解が追いつかない。
「居合は抜きながら斬る」
兼真が言う。
「今のは、構えてから斬る」
「……だが」
「どちらも引いている」
短い言葉。
だが、核心だった。
エルザは刀を見下ろす。
自分の動きと比べる。
確かに——。
自分は“振ってから引いている”。
兼真は“最初から引いている”。
「……最初から、か」
「そうだ」
兼真は巻藁を片付ける。
「叩くから遅れる」
「引くために動く」
エルザは構える。
今度は最初から意識する。
振らない。
最初から引く。
ゆっくりと動かす。
刃が空気を切る。
音が変わる。
「……これか」
「近い」
兼真は言う。
「だがまだ力が残っている」
「分かる」
エルザは小さく頷いた。
さっきより、はっきりと分かる。
どこで力が入っているか。
どこで止めているか。
全部、分かる。
兼真は刀架に影打を戻す。
「これは二度やった」
エルザを見る。
「次はやらん」
「なぜだ」
「見せるものではない」
それだけだった。
エルザは少しだけ笑う。
「十分だ」
そして構え直す。
今度は、さっきと違う。
迷いが減っている。
動きが繋がる。
引く。
流す。
止めない。
何度も繰り返す。
兼真はそれを見ない。
炉の方へ戻る。
炭を整える。
火を作る。
作業に戻る。
だが、耳だけは動いている。
刃が空気を切る音。
その変化を、聞いている。
数十回目。
わずかに音が変わった。
兼真の手が、一瞬だけ止まる。
だが、それだけだった。
何も言わない。
ただ、またフイゴを踏む。
火が生きる。
音が戻る。
そして鍛冶場は、また静かに回り始めた。




