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叩く剣の世界で、「引いて斬れ」と教えたら戦いが変わった  作者: 翡翠


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第3話 刀工、刃を整える



 血の匂いが、ようやく薄れてきた。


 森は静かだった。


 エルザは肩で息をしながら、刀を下ろす。


 三体。


 今度は迷いなく斬れた。


 だが、それでも完全ではない。


 斬れているのに、どこかが違う。


「……くそ」


 小さく舌打ちする。


 刃筋が甘い。


 最後の一体、わずかに引きが遅れた。斬れはしたが、理想ではない。


「止めろ」


 背後から、兼真の声。


 エルザは振り向かない。


「まだ来るかもしれん」


「来ない」


 断言だった。


 兼真は炉の火を見たまま言う。


「血の匂いは広がっている。だが、今来る連中はもういない」


「……どういう意味だ」


「今の連中は、先に寄っていたやつだ」


 エルザは眉を寄せた。


 理屈は分からない。


 だが、この男が無駄なことを言っていないのは、もう理解している。


 ゆっくりと刀を見下ろす。


 刃に血が付いている。


 だが、不思議なことに、べったりと残っているわけではない。滑るように落ちていく。


「……手入れはどうする」


 エルザが問う。


 兼真が初めてこちらを見る。


「持ってこい」


 短い言葉。


 エルザは一瞬迷ったが、すぐに鍛冶場の中へ足を踏み入れた。


 炉の熱が、肌を刺す。


 森の空気とは明らかに違う。


 ここだけが別の世界のようだった。


 金床の前まで来て、刀を差し出す。


 兼真はそれを受け取った。


 視線が変わる。


 戦闘を見ていた時の目ではない。


 完全に“刀を見る目”だった。


 刃先から、ゆっくりと視線を滑らせる。


 次に、峰。


 そして、茎のあたりで止まる。


「……浅い」


 ぽつりと呟く。


「何がだ」


「引きが足りていない」


 エルザは眉をひそめた。


「斬れていた」


「斬れているだけだ」


 兼真は刀を少し傾ける。


 光が刃に走る。


「ここだ」


 指先で一点を示す。


「力が残っている」


 エルザはその部分を見た。


 だが、違いは分からない。


「分からん」


「だろうな」


 兼真はあっさりと言った。


「だが、刃は分かっている」


 そう言うと、水槽の方へ歩く。


 軽く水をすくい、刃に流す。


 血が落ちる。


 布で拭う。


 動きに無駄がない。


「刃は正直だ」


 兼真は言う。


「お前の癖も、全部残る」


 エルザは黙る。


 戦いの結果ではなく、過程が残る。


 そういうことか、と理解した。


「……なら」


 エルザは言葉を選ぶ。


「どう直す」


「さっき言った」


「引け、か」


「違う」


 兼真は刀を返す。


「止めるな」


 エルザは受け取る。


「止める?」


「引いた後、止めている」


 兼真は金床を軽く叩いた。


「そこで力が残る」


 エルザは目を細める。


 思い返す。


 確かに、斬った後に一瞬止めている。


 確認のためだ。


「確認するな」


 兼真が言う。


「斬れたかどうかは、見なくても分かる」


「そんなものか」


「そんなものだ」


 エルザはしばらく黙っていた。


 そして、刀を構える。


 その場で、ゆっくりと動かす。


 振らない。


 引く。


 そして——止めない。


 流す。


 空気を切る音が、わずかに変わった。


「……今のか」


「近い」


 兼真は短く答える。


「だがまだ遅い」


「どこがだ」


「最初から遅い」


 エルザは舌打ちした。


「全部か」


「全部だ」


 即答だった。


 だが、否定された気はしなかった。


 むしろ、はっきりしている分だけ分かりやすい。


「……いい」


 エルザは刀を下ろす。


「全部直す」


 兼真は何も言わない。


 ただ、炉に戻る。


 フイゴを踏む。


 風が入り、火が強くなる。


 エルザはその様子を見た。


「……打つのか」


「打つ」


「材料はあるのか」


「無い」


 即答だった。


 エルザは目を瞬かせる。


「無い?」


「玉鋼は依頼分だけだ」


 兼真は淡々と答える。


「今あるのは、あれだけだ」


 顎で刀架を示す。


 数振りの影打。


 それだけ。


「増やせないのか」


「材料が無い」


「鉄なら——」


「鉄では打てない」


 きっぱりと言い切る。


 エルザは黙る。


 この男の言葉は、短いが重い。


「……つまり」


 エルザは整理する。


「その刀は、もう増えない」


「そうだ」


「壊れたら終わりか」


「そうだ」


 あまりにも簡単に言う。


 だが、それが事実なのだと理解できた。


 エルザは刀を見下ろす。


 さっきまでただの武器だったものが、急に重くなる。


「……なら」


 ゆっくりと握り直す。


「壊さなければいい」


 兼真はフイゴを踏みながら、わずかに視線を向けた。


「そのために余裕を残してある」


 短い言葉。


 だが意味は分かる。


 壊さないための刀。


 同時に、使い手を選ぶ刀。


 エルザは深く息を吐いた。


「教えろ」


「何をだ」


「壊さない使い方だ」


 兼真は少しだけ考えた。


 そして言う。


「まず、叩くな」


 エルザは小さく笑った。


「分かっている」


「分かっていない」


 即座に否定される。


「分かっていれば、さっき止めない」


 エルザは口を閉じた。


 確かに、その通りだ。


「……なら」


 もう一度構える。


「最初からやる」


 森の奥で、また音がする。


 エルザは視線を向ける。


「来るな」


 兼真が言う。


「今度は少し離れてやれ」


「なぜだ」


「ここは作業場だ」


 それだけだった。


 エルザは一瞬だけ呆れた顔をしたが、すぐに頷いた。


 そして鍛冶場の外へ出る。


 振り返らない。


 兼真は金床の前に立ったまま、その背中を見る。


 刀は、まだ答えではない。


 だが、あの使い手なら——。


 少しは近づく。


 炉の火が強くなる。


 兼真は鎚を手に取った。


 そして、次の一打を振り下ろした。

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