第2話 女騎士、刀に合わせて変わる
魔物の血の匂いが、森に広がっていた。
エルザは呼吸を整えながら、刀を構えたまま動かない。
さっきまで自分が振っていたはずの武器が、まだ理解できていなかった。
軽い。
だが軽すぎるわけではない。
力を込めれば応える。だが、力を込めなくても斬れる。
その“余裕”が、気持ち悪いほどに手に馴染んでいた。
茂みの奥で、また音がする。
二体。
さっきと同じ魔物だ。
「来るぞ」
背後から、兼真の声。
振り向かない。
「分かっている」
エルザは低く答え、足を開く。
今度は迷わない。
両手で柄を握る。
肩の力を抜く。
視線は魔物ではなく、その軌道へ。
飛び出してきた一体目。
さっきまでの自分なら、踏み込んで叩きつけていた。
だが——。
踏み込まない。
半歩、引く。
同時に、刃を滑らせる。
通る。
また、抵抗がない。
魔物の身体がずれ、遅れて崩れた。
エルザはそのまま次へ移る。
二体目。
今度は真正面から突っ込んでくる。
反射的に身体が前へ出かける。
「出るな」
短い声。
兼真だ。
エルザは踏み込みを止める。
代わりに、軸を残したまま刃だけを動かす。
引く。
浅く、しかし正確に。
刃が首元をなぞる。
次の瞬間、魔物の頭部がずれた。
音もなく落ちる。
静かすぎた。
エルザはしばらく動けなかった。
剣で戦ってきた感覚と、あまりにも違う。
「……おかしい」
思わず口に出る。
兼真は金床の前から動かない。
「何がだ」
「手応えが無い」
「必要か」
「——」
言葉に詰まる。
必要か、と問われれば、必要ではない。
だが、戦っている実感が無い。
それが、恐ろしい。
エルザは刀を見下ろした。
「これは……武器なのか」
「武器だ」
「違う」
エルザは首を振る。
「これは、剣じゃない」
「刀だと言った」
兼真は短く返す。
エルザは黙る。
その言葉の意味は分からない。
だが、さっきから自分がやっている動きが、これまでの戦いとは別物だということだけは理解できた。
力で断つのではない。
当てるのでもない。
通す。
ただ、それだけで斬れている。
エルザはゆっくりと刀を構え直した。
今度は自然だった。
肩の力も、足の位置も、最初よりずっと無理がない。
兼真が言う。
「さっきより良い」
「分かるのか」
「見れば分かる」
淡々とした声。
褒めているわけでも、評価しているわけでもない。
ただ事実を言っているだけだ。
それが逆に、エルザの意識を引き締めた。
「……教えろ」
エルザが言う。
兼真は少しだけ視線を上げた。
「何をだ」
「さっきの動きだ」
「もうやっている」
「違う。もっと正確にだ」
エルザは一歩踏み出す。
刀を握ったまま、兼真の方へ。
「このままでは、いずれ癖で戻る」
その言葉に、兼真の目がわずかに動いた。
「戻る前に、直す」
エルザは続ける。
「そのためのやり方を教えろ」
兼真は少し考えた。
そして、言う。
「構えろ」
エルザはすぐに構える。
「力を抜け」
抜く。
「抜きすぎだ」
少しだけ戻す。
「そこだ」
兼真は顎で指した。
「その位置で止めろ」
エルザは動きを止める。
「振るな」
「振らない?」
「振るから叩く」
兼真は一歩近づいた。
エルザの刀を軽く指で押す。
「引け」
エルザはそのまま、刃を引く。
空気を切る音が、わずかに変わる。
「それだ」
兼真は言う。
「今のが斬りだ」
エルザは動きを止めたまま、呼吸を忘れていた。
「……これが」
「そうだ」
しばらく沈黙が落ちる。
やがてエルザはゆっくりと刀を下ろした。
「この刀、どこで打った」
「ここだ」
兼真は炉を顎で示す。
エルザは初めて、鍛冶場全体を見回した。
森の中にあるには異様すぎる光景だった。
炉は燃え続けている。
金床は中央に据えられている。
水槽、作業台、そして壁際の刀架。
そこに、数振りの刀が掛けられていた。
「……全部、同じか」
「違う」
兼真は首を振る。
「全部影打だ」
「本物は無いのか」
「無い」
「なぜだ」
兼真は炉の火を見る。
「まだ答えが出ていない」
エルザはその言葉を理解できなかった。
だが、それ以上は聞かなかった。
代わりに刀を握り直す。
「もう一度だ」
森の奥で、また音がする。
今度は三体。
エルザは構える。
最初から両手。
力を抜き、軸を残す。
兼真は金床の前に立ったまま、言う。
「叩くな」
「分かっている」
「引いて斬れ」
エルザは答えず、踏み込まずに迎えた。
そして——。
今度は、迷いなく斬った。




