終 唐棣色のうつろい易き春の日に
両親が不在になって五日目、桜の花弁が散った河川敷を歩いていた。下校時刻の西空は、夕焼けを準備しているらしい。肌寒い風の中で、淡い日差しが新緑に弾かれている。
輝かんばかりの葉っぱ群は、癒しの効果があるはずだ。それなのに、僕の心が優れないのは、渡瀬の言葉を思い出していたからだ。
「生体科学省を甘く見ないほうがいい」
僕の隣の空席を見ながら、笑顔で言い切った。
その言葉の意味を質問しようとしたが、すぐに、体の向きを変えて僕を無視した。桜菜が、一週間、学校を欠席したのは、生体科学省の差し金だろうか? 委員長に質問したくなったが止めた。学校に来ているものの体調不良そうだから。余計な負担をかけるわけにはいかない。
官房長官も、エクトゲート暴走の一件が紛糾して政局とやらになったため、大忙しのようだ。一個人にまで関わっている時間など無いだろう。
鉄砲塚は、体がだるい。と言っていたが、本人は元気そうだ。しかし、何の役にも立たない。力仕事でもない限りには。
こんなことなら、連絡先を訊いておけばよかった。後悔しても今更だな。と考えながら、葉桜を眺めながら歩き、立ち止まった。
別に、急いで帰る必要も無い。家には誰もいないのだから。
僕は一本の桜の木に近づき、ザラザラとした幹に触れた。
確か、桜菜は、この木の花弁を集めていたような気がする。
せいぜい、二週間前の出来事なのに、あやふやにしか覚えていない。自分の記憶力の無さに呆れ果てながら、木の幹に頭を何回もぶつける。
頭を離したとき、真っ黒で、人差し指の爪より長い蟻が一匹、目に入ってきた。上へ行ったり、下に行ったり、止まって触覚を動かしている。一体、こんな場所で何をしているのか? 独りっきりの蟻は、目的を忘れて彷徨っているようだ。
口を膨らませて、思いっきり息を吹きかけてみようかと思った。けど、止めた。何処からか現れた同じ種類の蟻と、触覚で会話しているように見えたから。歩き始めた二匹を邪魔する権利など誰にも無いと感じたから。
僕は、桜の木から離れて歩き出した。
ここにいるより、家に帰ってテレビでも見て……いや、小説でも読もう。蝋燭の柔らかい光の中で、寝落ちするまで好きな話を楽しもう。
少しだけ気持ちが前向きになってきた。でも、まだまだスッキリとしていない。無理矢理にでも気分を盛り上げるため、スキップでもしてみようか。けど、誰かに見られたら恥ずかしい。
迷いながら踏み出した足元の地面が爆発した。
鞄を持っていない左手で顔をかばった。けど、威力はそんなに無かったようで、足に砂がかかった程度だ。どうして、こんなところに地雷が埋まっている? などとは考えない。と言うより、考える必要もない。学ラン姿の鉄砲塚が桜の木陰から出てきたから。
「家は、逆の方角じゃなかったのかよ」
「いや、ちょっと用事があってな」
鉄砲塚は、口元を微妙に開きながらつま先であぜ道を何度も叩いている。推理小説のラストを語りだしそうな雰囲気だが、巨漢の男じゃ絵にもならない。太陽に向かって叫んでいるほうがまだマシだろう。
僕はスルーしようとした。くっだらないことに巻き込まれるのは、ゴメンだから。軽やかに通り過ぎようとしたら、鉄砲塚の背後に委員長がいた。
隠れていたように感じられたのは、気のせいだろうか? 蝶が舞うような春風が横に流れて、委員長のポニーテールが揺れた。でも、当人はそんなこと気にしていない。眼鏡の奥から、学校ではあまり見せない人懐っこい眸で僕を見つめてきた。それが、小っ恥ずかしくて、視線を逸らすと、両手にスーパーの袋を持っている。
「今から、何処へ行くと思う?」
訊かれて首を傾げた。でも、そんなことする必要は無い。この状況で行く場所なんて限られているんだから。
「よく買い物に行く時間があったね」
「ギリギリセーフ。一応、鉄砲塚君にここで時間稼ぎをしてもらうことになっていたから、行き違いは無いと安心していたけどね」
「危うく、喧嘩を売られるとこだったよ」
僕は、食材であろうスーパーの袋を持とうと手を差し出すと、横から鉄砲塚が荷物を奪い取る。
ホント、春だってーのに、暑っ苦しい奴だ。夏になったら、どうしてくれよう。って無駄口をたたきたくなるのをひたすら我慢していると、セーラー服姿の委員長は、荷物がなくなってスッキリしたのか、ストレッチ体操のように両手を天に伸ばした。
「那智君は、観音寺さんのこと、どう思っていたの?」
さらっと無頓着に訊いてきた。ように見せかけて、眼鏡の奥から千里眼の能力で、僕の心を透視しようとしている。
理論上、人の心を読むなんて能力はありえない。そんなこと解っているけど、視線を逸らした。すると、体を傾けて何かを覗き込む。
「尻尾が布団でも叩くときのようにパタパタと動いているってことは……」
「そういうの止めてよ」
「なら、ちゃんと話してもらわないと、ね」
「こんなところじゃなくってもいいじゃないか」
って、失敗した。これじゃ、焼肉を食べながら大追求大会になること間違いない。この失言、気がつかないでいてくれたら。と思っていると、委員長は雰囲気を一変させた。
「観音寺さんに逢いたい?」
鉄砲塚は一歩下がって、背を向けた。お前、ちょっと、気を遣いすぎだろ。
冗談っぽく、答えようと思った。しかし、委員長の真摯な視線を感じて、息を呑んだ。
「逢いたくない。って言ったら嘘になる。けどさ、今、すぐにでなくてもいいと思う。だって、解っているから。エクトゲートでの感覚、抽象的かもしれないけど、確信しているんだ。桜菜とは、また逢えるって」
「そう……」
委員長は、赤子を見つめる母親のような笑顔を見せた。眼鏡を外して目を閉じると、唐突に僕に背を向けた。
「那智君は、何を話すつもり? 観音寺さんと逢って」
「何だろう。いっぱいあるんじゃないかな。僕のこと、両親のこと、エクトゲートのこと、そして、委員長や鉄砲塚のこと」
「私たちのこと?」
「うん。委員長がエクトゲートで幻影の霊力使ってくれたこととか、話しそびれちゃったからね」
「それ、絶対に秘密にしてよ。政治家が幻影使うんじゃ、とてつもない煽動家っぽく思われちゃうから」
「確かに。珍しい(レアな)霊力が無くても委員長は、十分に人の心を操ってる(マインドコントローラーだ)からね」
「一応、誉められたことにしておいてあげる。でもね、あんまりそういうこと言っていると天罰が下るから」
くるっと半回転、ポニーテールを揺らし、僕の方に向き直った委員長に、何かの合図のように人差し指を突きつけられた。
その勢いに、思わず一歩下がってしまう。と、背後からあぜ道を踏みしめる音が聞こえた。
僕は、猫系人間だからか、耳がいい。常人の聞こえない蚊の羽音を五月蝿く感じて、寝れないことがあるくらい。
その僕が、誰かが近づいてくるのに気づかないことはない。だから、尻尾を意識的に、立てて……。
「えいっ!」
って背中からの叫び声に合わせて、剣道の上段から面を放つときのように尻尾を振り下ろした。
「痛たたたたぁ」
振り返ると、やっぱり桜菜がいた。グレーのニットカーディガンに白のブラウス。ブルーの水玉模様が入ったミニスカートにブラックのロングブーツ。
落ち着いた雰囲気の服装なのに、ミニスカートがブーツに引っかかって裏地が見える。
「観音寺さん、ちょっと焦りすぎ。もう少しじっくりと狙わないと」
って、委員長、アナタは犯罪者を教育するボスかいな。
「うーん。失敗は成功のもとって言うから、次は頑張るね」
「いやいや、頑張らなくて、いいから。マジで」
「ぶー」
僕が手を差しだすと、桜菜はギュっと手首を掴んだ。冷たくて、反射的に手を引くと、その勢いを利用して、頬をフグっぽく膨らませながら立ち上がる。
「それじゃあ、那智君の家に行きますか?」
「あれ? 桜菜の家じゃないの?」
「えーそれ無理。私の家、鍵が無いから。生体科学省の人に返してもらわないと」
「ん? 僕が持っているけど」
鍵を差し出すと、桜菜は嬉しそうに微笑んだ。
「待てよ、観音寺。危ないぜ」
存在を忘れていた鉄砲塚が、背後から意味不明なことを言ってくる。
「そうね。非常に危険って言わざるを得ない。まずは、鍵を変えないと」
何それ、委員長まで。僕のことを疑っている?
「うーん。みんな心配しすぎじゃない? 那智はそんなことしないよ。うん、間違いない」
「でも、何か問題があってからじゃ遅いから。もっとも、観音寺さんが、那智君のこと好きだって言うなら、別だけど」
「そうね、私、好きだよ。って言うのも、昔っから、猫、好きだから。やっぱり、犬派じゃなくて猫派なんだよね。ホントはね、肉球が一番好き。あの、プニプニとした感触、無理矢理に爪を出すのも楽しい。でも、肉球が無くてもいいんだ。尻尾も大好きだし。犬の尻尾は無節操な感じがあるけど、猫の尻尾って、ストイックじゃない」
冗談、ではなく本気で言っていた。官房長官の会見時より真剣な表情で、僕の背後にいる委員長に向かって話しかけている。
思わず、後ろを向くと、委員長が明らかに逃げるように首を右に向ける。鉄砲塚にいたっては、スタスタと歩き始めている。
ちょっと、どうなってんのよ。これ。
「あのさ、那智は猫として生まれてきて良かった?」
あ、あの、一言だけ言わせてくれないか。
大事なこと。ええ、とっても重要なことなんだ。だって、僕の存在とか尊厳とかに関係する問題なんだから、ね。
大きく息を吸い込んだ。肺活量を測定するときと同じくらいに。そして、桜菜の背後に見えるでっかい夕陽に向かって叫ぶ。
「百パーセント人間だってば!」
春の夕陽は秋と同じくらいの短さだ。空が夕焼けに染まったかと思いきや、すぐに雀色に変わりだす。色を濃くした天空に、一つ、二つと星が瞬き、気がつけば、イルミネーションは完成している。
淡い星明りの下で、花の散った桜の木々は、誰が見ても寂しそう? いや、そんなことない。青々とした葉っぱを持ち、生命感に溢れてる。僕は、新芽の息吹を感じ取り、尻尾を立ててみんなと一緒に歩き出した。
了




