第97話 仮婚約解消
白い誓約花が咲いた翌日、アシュレイ陛下は仮婚約の解消を告げた。
場所は王宮書庫。
最初に仮婚約の条件を話した部屋。
あの時、私は王を怖がり、王は私を守るために制度を差し出した。眠りの呪いも、花冠院の圧力も、まだ形が見えていなかった。
今、机の上には仮婚約誓約書が置かれている。
白い誓約花は私の胸元で咲いている。
陛下はその花を見ないようにしている気がした。
「仮婚約を解消する」
分かっていた。
必要だと、私も思っていた。
それでも胸が痛い。
「はい」
返事をすると、陛下の顔が少し歪んだ。
「これは別れではない」
「分かっています」
「君を遠ざけたいわけでもない」
「分かっています」
「なら、なぜそんな顔をする」
言われて、自分が泣きそうな顔をしていることに気づいた。
分かっていても痛い。
保留箱に入れたい痛みではなく、ちゃんと今感じるべき痛みだ。
「守ってくれたものが終わるのは、寂しいです」
私は正直に言った。
陛下は息を止めた。
そして、ゆっくり頷く。
「私もだ」
仮婚約は檻ではなかった。
少なくとも、最初は。
花冠院から私を守り、王の呪いへ近づく許可を与え、二人で壊れた花を読むための足場になった。
でも、足場は家ではない。
そこに住み続ければ、いつか選択を奪う。
リディア様と記録官が立ち会う中、仮婚約誓約書を開いた。
花は枯れていない。
むしろ穏やかに咲いていた。
リディア様が驚いたように言う。
「解消に抵抗していません」
「この誓約は、役目を終えたと理解しているのだと思います」
私は花弁に触れた。
流れ込んできたのは、恐怖から始まった保護。
不器用な信頼。
眠らない夜。
書庫で交わした約束。
森で呼び合った名前。
そして、次へ行きたいという願い。
「ありがとう」
私は誓約花に言った。
陛下も手を添える。
触れるのは花にだけ。
でも、同じ花に触れている。
「君を守ってくれて、ありがとう」
彼の声は低かった。
花が静かに光る。
リディア様が銀針で誓約糸をほどく。
切るのではない。
ほどく。
仮婚約の花弁は、白い光になって二つに分かれた。
一つは私の誓約花へ。
一つは陛下の戴冠花冠へ。
それぞれの場所へ戻っていく。
解消は、消滅ではなかった。
役目を終えた糸が、次の形へ移ることだった。
手続きが終わると、書庫はひどく静かになった。
私は胸元の白い花に触れる。
候補ではない。
仮婚約者でもない。
では、私は何だろう。
修復師。
王の眠りの協力者。
自分の花を持つ者。
そして、彼を選びたい人。
アシュレイ陛下が言う。
「これで、君は私から離れることもできる」
胸がまた痛む。
でも今回は、まっすぐ答えられた。
「はい。離れられる形になったから、そばにいることも選べます」
彼の目が揺れた。
触れたい距離。
でもまだ触れない。
王妃選定は終わっていない。
王の眠りも完全には解けていない。
王家の罪状公表もこれからだ。
それでも、私たちは一つの糸をほどいた。
仮婚約は終わった。
別れではなく、本当の選択のために。




