第96話 白い誓約花
候補者本人宣言の最終確認日、私の白い契約花が咲いた。
突然だった。
大講堂で候補者たちの署名を保全し、王宮記録官が封をした直後、胸元の契約紙が温かくなった。
白い蕾が、音もなく開く。
花弁は五枚。
そのうち一枚は母の花弁のように少し薄く、一枚は夜明け竜胆の青を淡く含み、一枚はフロレアの保留糸を思わせる灰色の縁を持っていた。
完全な白ではない。
だから美しかった。
講堂が静まった。
アシュレイ陛下も、王座の前で動きを止めている。
リディア様が震える声で言った。
「誓約花の開花です」
誰との、と誰も聞かなかった。
花が答えていた。
私の花は、王だけに向かって咲いたのではない。
母の記憶。
王妃エリシアの願い。
フロレアの保留糸。
候補者本人宣言。
そして、アシュレイ陛下を選びたいという私自身の意思。
それらを全部抱えて咲いた。
貴族院の一人が立ち上がる。
「これは王妃適性の証では」
「違います」
私は自分で言った。
声が講堂に響く。
「これは私の誓約花です。王妃適性の花ではありません」
アシュレイ陛下が私を見ている。
私は花に触れた。
感情が流れ込む。
選びたい。
でも縛りたくない。
守りたい。
でも嘘にしたくない。
壊れた花を、壊れる前に戻すのではなく、続けられる形へ直したい。
私の花だった。
リディア様が記録する。
「開花理由、本人意思の確立。仮婚約誓約から独立した自発開花」
独立。
その言葉に胸が震えた。
仮婚約に守られて咲いた花ではない。
仮婚約の中で育ち、そこから自分の意思として開いた花。
アシュレイ陛下が一歩前へ出る。
触れない距離で止まる。
「ミラ」
「はい」
「その花を、私のものだと言いたくない」
胸が痛く、そして温かくなる。
「はい」
「だが、綺麗だ」
たったそれだけで、泣きそうになった。
候補者席から、セレスティア様が言う。
「ようやく咲いたのね」
「はい」
「候補者の前で咲くなんて、なかなか大胆だわ」
少しだけ笑いが起きた。
重い講堂に、初めて柔らかい空気が流れる。
メイベルが目を輝かせ、アリアナが微かに頷き、フィオナが祈るように微笑む。クララは小さな芽を胸に抱き、ユリアは従順花をそっと撫でた。
候補者たちの花も、それぞれに揺れた。
私の開花は、王妃選定の勝敗ではない。
選べる花が咲くこと。
その証だった。
しかし、その美しい瞬間を、貴族院はすぐ政治にしようとした。
「自発開花ならば、ミラ・リースを正式候補に加えるべきです」
別の者が言う。
「いや、仮婚約を正式化し、混乱を収めるべきだ」
言葉が飛び交う。
私の花が、また誰かの制度に編み込まれようとしている。
アシュレイ陛下の声が響いた。
「静まれ」
講堂が止まる。
「その花を、誰かの都合で使うな」
王の声だった。
でも、私の花を守るだけの声ではない。
候補者たち全員の花を守る声だった。
「王妃選定は、本人意思を確認する場だ。自発開花を見たなら、なおさら本人の意思を待つ」
私は白い花を見つめる。
咲いた。
だからこそ、次に必要なのは選ぶ時間だ。
白い誓約花は、誰の所有物にもならず、私の胸元で静かに咲いていた。




