第90話 王の限界
アシュレイ陛下の限界は、朝議の最中に来た。
王妃選定、花冠院再編、王家罪状公表、貴族院との折衝。
それらが重なり、短い共眠補助だけでは足りなくなっていた。
朝議の席で、陛下は貴族院議長の発言を聞いていた。
「王家の罪を公にする前に、王妃選定を完了すべきです。国民には安定の象徴が必要であり」
安定。
また便利な言葉だ。
私は記録官席の後ろに控えていた。
候補者花冠検分者として、必要な時だけ呼ばれる立場だ。だが今日は、陛下の顔色が気になって仕方がなかった。
目の下の影が濃い。
手元の文書を見ている時間が長い。
眠気を押さえる時の、あのわずかな呼吸の乱れ。
ノア様も気づいていた。
だが朝議は止まらない。
議長が続ける。
「また、王の睡眠に関する噂が広がっております。ここで強い王妃を迎え、王室の印象を」
その時、アシュレイ陛下の手から文書が落ちた。
紙が床に滑る。
小さな音だった。
しかし王座の間では、雷のように響いた。
陛下のまぶたが落ちかける。
眠りが、来た。
ノア様が動く。
私も同時に走った。
「陛下」
王座の前で膝をつく。
触れない。
白い契約花を出す。
だが貴族院議長が声を上げた。
「何をしている。王座の前で」
「共眠補助です」
私は短く答えた。
議場がざわめく。
アシュレイ陛下は必死に目を開けようとしている。
「ミラ、ここでは」
「ここだからです」
声が震えた。
でも言った。
「隠して倒れる方が危険です」
ノア様が議場へ向き直る。
「静粛に。王の医療補助を妨げる者は退廷させます」
医療補助。
その言い方が正しいのか分からない。
でも、今は必要だった。
リディア様が呼ばれ、保留糸を展開する。
私は契約花を陛下の前に置く。
浅い入口だけ。
一人に集めない。
議場にいる者たちの前で、眠りを敵にしない。
アシュレイ陛下が息を吐いた。
ほんの数秒、目を閉じる。
白い花が淡く光る。
私の記憶は奪われない。
陛下の眠りは、花を通って薄く広がり、保留糸に受け止められる。
議場の空気が変わった。
恐怖ではなく、目撃。
王が眠りに近づき、それでも誰も壊れなかった瞬間を、彼らは見た。
数秒後、陛下は目を開けた。
顔色は悪い。
けれど倒れてはいない。
彼は王座から立ち上がった。
「今見た通りだ」
声は低いが、議場に届いた。
「私は眠りに問題を抱えている。隠してきた。隠したことで、さらに多くを歪めた」
貴族院議長が青ざめる。
「陛下、今この場で」
「今この場で言う」
陛下は遮った。
「王妃を迎えれば隠せる、という考えをここで終わらせる。王妃は王の弱さを隠す布ではない」
私は息をのむ。
候補者たちの花が、遠い場所で揺れた気がした。
「今日の朝議は中止する。次回、王の眠りと王家罪状公表を正式議題にする」
そう言って、陛下は議場を出た。
足取りは危うい。
でも、逃げてはいなかった。
廊下へ出ると、彼は壁に手をついた。
私はそばに立つ。
「無理をしました」
「君もだ」
「はい」
お互い様になってしまう。
でも今日は、少し違う。
彼は人前で眠りの入口を見せた。
王の弱さを、隠すべき汚点ではなく、扱うべき事実として置いた。
それは王妃選定の意味を根から変える一歩だった。




