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第89話 拒む準備

 セレスティア様は、候補者たちを自室へ招いた。


 王宮の客間ではなく、王妃候補として与えられた控えの間。壁にはヴァーン家の紋章が掛けられていたが、彼女はそれを外し、代わりに白い布を掛けた。


 何も描かれていない布。


「父の紋章を背に話すと、父の言葉に聞こえるでしょう」


 彼女は淡々と言った。


 メイベルが笑う。


「商談でも看板は大事ですものね」


 アリアナは腕を組み、フィオナは祈るように手を重ね、レティシアとクララは隣同士に座った。エレナは黒い喪花を膝に置き、ユリアは少し離れた席で従順花を抱えている。


 私は記録係として隅にいた。


 候補者ではない。


 でも、彼女たちは私を追い出さなかった。


 セレスティア様が口を開く。


「王妃選定を拒む準備をします」


 部屋の空気が変わった。


 レティシアが眉を上げる。


「全員辞退ということですか」


「違います。辞退も参加も、本人が選べる状態にする準備です」


 セレスティア様は一枚の紙を置いた。


 候補者本人宣言。


 そこには、候補者が家門の代理ではなく本人として選定に参加すること、撤回の権利を持つこと、花冠検分結果を本人の同意なく家門が利用しないこと、他候補者への妨害を候補者全員への攻撃と見なすことが書かれていた。


 メイベルが感心したように口笛を吹きかけ、慌てて品よく咳払いした。


「これは効きますね。家門は嫌がるでしょう」


 フィオナが静かに言う。


「神殿もです。王妃を清めの象徴にしたい人々には、本人の迷いは邪魔でしょうから」


 エレナは黒い喪花を撫でた。


「私は、辞退するかもしれません」


 誰も責めなかった。


 エレナは続ける。


「領地を救う方法を、王妃になる以外にも探したい。ですが、逃げたと思われれば領地が危うくなる」


 メイベルがすぐ身を乗り出す。


「商都伯家として融資再編の話ならできます。もちろん利益はいただきますが、結婚よりましな条件で」


 エレナが少し笑った。


「商人ですね」


「ええ。野心はありますので」


 アリアナが言う。


「北方は冬の備蓄支援を必要としている。王妃になることより、制度交渉の方が領地に役立つかもしれない」


 候補者たちは、自分たちの価値を王妃の椅子だけに置かない方法を探し始めていた。


 その中心に、セレスティア様がいる。


 かつて王妃になるためだけに育てられた彼女が。


 私は胸が熱くなった。


 セレスティア様の蕾は、まだ咲かない。


 でも部屋に集まった花たちが、彼女の周りで少しずつ呼吸し始めている。


 話し合いの終盤、彼女は私を見た。


「ミラ様」


「はい」


「あなたは、この宣言に修復師として署名できますか」


 私は驚いた。


「私が?」


「候補者花冠の検分者として。本人同意の証人が必要です」


 候補ではない私が、候補者たちの選択の証人になる。


 それは、王の隣に立つこととは別の形で、この場に必要とされることだった。


「署名します」


 私が答えると、セレスティア様は頷いた。


 その夜、候補者本人宣言に八人の名が並んだ。


 そして証人として、私とリディア様、王宮記録官の名が加わった。


 最後にセレスティア様が自分の名を書いた時、胸元の蕾が一度だけ大きく震えた。


 咲く準備ではない。


 拒む準備。


 選ぶ準備。


 その震えは、確かに美しかった。


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