第88話 恋敵を救う花
ユリアは、翌日にも候補辞退を申し出るはずだった。
貴族院の一部はそれで済ませようとした。
花冠を傷つけた候補者。
脅されたとはいえ実行した令嬢。
早く退場させれば、選定の品位は守られる。
品位。
便利な言葉だ。
壊れた花を見えない場所へ運ぶ時にも、よく使われてきた。
私はユリアの控室を訪ねた。
彼女は椅子に座り、桃色の従順花を膝に置いていた。花弁は縮み、ほとんど蕾に戻っている。
「なぜ来たのですか」
声はかすれていた。
「私、あなたにとって邪魔でしょう」
その言葉に、胸が痛んだ。
候補ではない私でさえ、彼女からは恋敵の一人に見えるのだろう。
「邪魔かどうかで、花は見ません」
私は椅子を少し離して座った。
「見せていただけますか」
ユリアは迷った。
やがて、花冠を差し出す。
従順花は柔らかい花だ。
本来は、相手に寄り添う力を持つ。だがユリアの花は、寄り添うことと逆らえないことを同じにされ、形を失っていた。
私は深く読みすぎないように触れる。
幼いユリア。
借金のある家。
叔父の手。
「従順な娘は愛される」という言葉。
「王妃候補になれば家を救える」という鎖。
彼女は悪役にされるためにここへ来たのではない。
誰かの計算の小さな針にされたのだ。
「あなたの花は、従うことに疲れています」
ユリアの目から涙が落ちた。
「逆らったら、家が」
「逆らうことと、一人で家を壊すことは違います」
「でも、誰も助けてくれません」
その声は、フロレアで聞いた多くの声と似ていた。
制度の中で孤立させられた人の声。
「助けるというより、証言を分けます」
私は言った。
「ユリア様が受けた脅迫を、花と記録官と候補者本人たちで確認します。一人の告白にしません」
彼女は顔を上げた。
「候補者本人たち?」
「はい。あなたが望むなら」
午後、候補者たちが小講堂に集まった。
アリアナ、メイベル、フィオナ、レティシア、クララ、エレナ、セレスティア。
誰も楽しそうではない。
けれど誰も、ユリアを追い出せとは言わなかった。
ユリアは震えながら立ち、叔父に命じられたことを話した。
従順花が彼女の胸元で小さく揺れる。
途中で声が出なくなると、フィオナが水を渡した。
クララが「ゆっくりでいい」と言った。
レティシアは腕を組んだまま、叔父の名を記録官へ確認させた。
メイベルは借金の証文に商業偽装がないか見ると言った。
アリアナは北方侯爵家の保護名義を一時的に貸せると申し出た。
私は驚いて彼女たちを見た。
候補者たちが、候補者を守っている。
セレスティア様は最後に言った。
「王妃選定が候補者を互いに争わせる場なら、わたくしたちはその前提を拒みます」
咲かない蕾が、静かに光る。
ユリアは泣き崩れた。
彼女の従順花が、少しだけ形を戻す。
アシュレイ陛下は小講堂の後ろで、その様子を見ていた。
王が命じたのではない。
候補者たちが自分で選んだ。
それが大切だった。
後で廊下に出ると、陛下が私に言った。
「君は恋敵を救うのだな」
冗談のようで、少し痛い言葉だった。
「恋敵として見たくありません」
「強いな」
「強くありません」
私は首を振る。
「痛いです。でも、痛いからといって見捨てたら、私の花が壊れます」
陛下は黙った。
そして、静かに言った。
「君を選びたいと思う理由が、また増えた」
私は返事をしなかった。
今はまだ、言うだけ。
でも胸の中の花は、確かにまた一枚開いた。




