第87話 偽装された候補花
候補者晩餐の最中、クララの花冠が割れた。
大きな音ではない。
白い追従花の根元が、細く乾いた音を立てただけだった。
だが、その瞬間、晩餐室の空気は凍った。
軍務伯家の妹。
姉の予備として扱われていた候補者。
彼女の花冠が、公衆の前で壊れた。
軍務伯が立ち上がる。
「不吉だ。候補辞退を」
「待ってください」
私は席を立った。
修復師席は壁際にある。候補者たちから少し離れた場所だ。それでもクララは、助けを求めるように私を見た。
アシュレイ陛下が頷く。
「検分を」
私は花冠を受け取った。
追従花は割れている。
でも割れ方が不自然だった。
内側からではない。
外から細い針で裂かれている。
「これは自然破損ではありません」
晩餐室がざわつく。
レティシアが立ち上がった。
「誰が」
彼女の勝利花が赤く燃える。
クララは青ざめている。
私は花冠に触れた。
流れ込んできたのは、クララの恐怖。
その上に、別の感情。
焦り。
候補者同士を争わせたい悪意。
姉妹の役割を固定し、妹を壊れものとして退場させる計算。
そして、香水の匂い。
晩餐室の中で、同じ香りがする。
私は顔を上げた。
若い令嬢ユリア。
貴族院が急遽押し込んだ候補者。
彼女は震えていた。
悪意の主というより、悪意を持たされた人の震え方だった。
「ユリア様」
名前を呼ぶと、彼女の顔が真っ白になる。
付き添いの叔父がすぐ立ち上がった。
「無礼な。証拠もなく」
「証拠は花にあります」
私はクララの花冠をリディア様へ渡し、ユリアの花冠を見た。
彼女の冠は、淡い桃色の従順花で編まれている。
花が震えていた。
「触れてもよろしいですか」
ユリアは叔父を見る。
叔父は首を振った。
その瞬間、アシュレイ陛下が言った。
「本人に聞いている」
フロレアの食堂でリナに言った時と同じ声だった。
ユリアは涙を浮かべ、頷いた。
花冠に触れる。
すぐに分かった。
彼女はクララの花冠へ針を入れた。
だが、自分の意思ではない。
叔父から渡された小さな針。
「候補者同士の競争ではよくあること」という嘘。
逆らえば実家の借金を暴くという脅し。
私は手を離した。
「ユリア様は花冠を傷つけました。ただし、強い圧力と脅迫のもとです」
叔父が叫ぶ。
「嘘だ!」
ユリアの従順花が、その声に反応して縮む。
私は陛下を見る。
彼はノア様へ視線を送った。
近衛が叔父を囲む。
晩餐室は混乱した。
だがその中で、レティシアがクララの前に立った。
守るように。
「妹は辞退しません」
軍務伯が怒鳴る。
「壊れた花冠で何を」
「壊された花冠です」
レティシアの声は鋭かった。
「そして、私は妹を予備として扱う家の方針に異議を申し立てます」
クララが姉を見る。
白い追従花の割れ目から、小さな芽が出ていた。
追従ではない。
まだ名前のない芽。
私はその芽を見て、胸が熱くなった。
候補者を蹴落とすための偽装は、姉妹の関係を壊すはずだった。
けれど花は、別のものを見せた。
候補者同士は敵ではない。
そう証明する最初の夜になった。




