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第84話 咲かない蕾

 セレスティア様の検分は、最後に行われた。


 彼女は一人で来た。


 付き添いも、侍女も、ヴァーン公爵もいない。白い手袋を外し、胸元の蕾をこちらへ見せる。


「本人同意はあります」


「深読みになります」


「構いません」


 声は落ち着いている。


 けれど蕾の緑の筋は、今までで一番濃かった。


 咲かない蕾。


 初めて見た時は、欠陥のように扱われていた。王妃候補として、咲かない花は不吉だと。


 でも今なら分かる。


 この蕾は、閉じることで守っている。


 私はリディア様と記録官を確認し、セレスティア様へ頷いた。


 指先が蕾に触れる。


 冷たい。


 すぐに、広い屋敷の廊下が見えた。


 幼いセレスティアが歩いている。背筋を伸ばし、足音を立てず、笑みを崩さないように。


 父の声。


 咲きなさい。


 母の沈黙。


 咲けば選ばれる。

 咲かなければ価値がない。


 蕾は開こうとした。


 だが開く直前、幼いセレスティア自身が内側から花弁を押さえた。


 違う。


 この花は咲けなかったのではない。


 咲かないことを選んだ。


 ただ、その選択を本人も忘れるほど長く押し込められていた。


 記憶が進む。


 王宮の夜会。

 アシュレイ陛下へ向けられる期待。

 ヴァーン公爵の手が、セレスティアの肩に置かれる。


「王妃になるのだ」


 その時、蕾の中で小さな声がした。


 私は王冠ではない。


 私は息をのんだ。


 セレスティア様の指が震える。


 現実の彼女にも、同じ声が届いているのだろう。


 さらに奥へ行く。


 火事の日。

 旧記録庫で箱を抱えたセレスティア様。

 父の手を振り払う瞬間、蕾の緑の筋が光った。


 咲かないまま、根を張った。


 私は手を離した。


 深く息を吸う。


「この蕾は欠陥ではありません」


 セレスティア様は私を見ている。


「咲くことを強制されたため、咲かないことで本人の意思を守っています」


 記録官が筆を走らせる。


 リディア様の目が赤い。


 セレスティア様は静かに聞いた。


「咲かせる方法は」


 私は慎重に答えた。


「あります。でも、今ここで咲かせるべきではありません」


「なぜ」


「この蕾は、咲くためではなく選ぶために閉じています。咲かせるなら、誰かに見せるためではなく、セレスティア様が望む形を決めてからです」


 長い沈黙。


 セレスティア様は胸元の蕾に触れた。


「わたくし、王妃になりたかったのかしら」


 誰も答えられない。


 それは彼女自身が見つける問いだ。


 彼女は少し笑った。


「少なくとも、父の王妃にはなりたくないわ」


 鋭い言葉だった。


 父のための王妃。

 家門のための王妃。

 そうではなく、自分の意思で選ぶ道。


 検分室の扉が叩かれた。


 入ってきたのは、ヴァーン公爵だった。


「検分は終わったか」


 彼の目はセレスティア様ではなく、私の記録紙に向いている。


 セレスティア様が一歩前に出た。


「終わりました」


「結果は」


「わたくしの蕾は、わたくしの意思で閉じています」


 公爵の顔が凍る。


「馬鹿な」


「記録されています」


 セレスティア様の声は静かだった。


「そして今後、わたくしの花を家門の証として扱う場合、本人同意の確認を求めます」


 父と娘が向き合う。


 蕾は咲かない。


 でも、確かにそこにある。


 公爵は私を睨んだ。


「下級修復師が、娘に余計な言葉を」


 セレスティア様が遮った。


「いいえ、お父様。これはわたくしの蕾です」


 その言葉は、以前応接室で言ったものよりずっと強かった。


 咲かない蕾は、もう黙っていなかった。


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