表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/33

第8話 十五番の再調査

 エミリア・ヴァーンは、私よりひとつ年上の娘だった。


 淡い栗色の髪を低く結び、飾り気のない灰色のドレスを着ている。ヴァーン家の人間と聞いて想像する華やかさはなかった。

 むしろ、王宮の椅子に座っているだけで消えてしまいそうに見える。


 それでも彼女は、花冠の箱から目を離さなかった。


「焼かないでください」


 もう一度、彼女は言った。


 隣に座る父親が慌てて頭を下げる。


「陛下の御前で失礼を」


 アシュレイ陛下は窓辺に立っていた。

 表向きには、仮婚約者である私の花冠選びに同席しているだけ、という形だ。実際には十五番の再調査。


 王宮では、真実ほど表向きの衣が必要になる。


「構わない」


 陛下は短く言った。


「ミラ。進めろ」


 私は箱を開けた。


 十五番の婚約花冠が、小さく震える。

 エミリア様の顔がくしゃりと歪んだ。


「まだ、残っていたのですね」


「処分承認は出ていました。でも、止めました」


「なぜ」


「不誠実で枯れたようには見えなかったからです」


 エミリア様の父親が息を呑む。


 彼女自身は、しばらく声を出せなかった。


「誰も、そう言ってくれませんでした」


 その一言だけで、部屋の空気が変わった。


 リディア様が記録机の前に座っている。ノア様は扉の横。侍女長は茶器を用意しながら、誰が何を言うかを静かに見ていた。


「婚約相手の名を確認します」


 私が記録札を読む。


「ローレン・ディクス。ディクス男爵家長男。破談理由は、エミリア様の不誠実。証人二名。花冠院判定済み」


 エミリア様の手が膝の上で固く握られた。


「私は、裏切っていません」


「何があったのですか」


 彼女は父親を見た。

 父親はうなずいた。


「弟が病気でした。薬代が必要で、家は借金をしていました。ローレン様は、借金を肩代わりすると言いました。その代わり、破談の理由を私の不誠実にしてほしいと」


「なぜそんなことを」


「ローレン様には、別に結婚したい方がいたのです。でも向こうの家は、婚約破棄の非がローレン様にあるなら許さないと」


 よくある話だ。

 花冠院では、よくある話として処理されてしまう話だ。


 誰かが傷つき、誰かが花を偽り、書類上はきれいに片づく。


「あなたは承諾したのですか」


「弟の薬代が必要でした」


 エミリア様は顔を伏せる。


「でも、花冠は承諾してくれなかった。式の前に黒くなって、ローレン様は言いました。ほら、花も君が不誠実だと言っている、と」


 私は十五番の花冠に触れた。


 指先から残響が来る。


 暗い部屋。

 閉じた扉。

 男の声。


 君が悪いことにすれば、君の家は助かる。

 君の弟の薬代も出る。

 誓約花はどうせ枯れる。

 枯れた理由など、花冠院が決める。


 恐怖。

 屈辱。

 それでも守りたいもの。


 私は指を離した。


 今度は怒りが少し遠くなった。

 本当なら震えるほど腹が立つはずなのに、胸の中は白い布で覆われたように静かだった。


 だから、淡々と言えた。


「この花冠は不誠実で枯れたのではありません。強要で折れています」


 エミリア様が泣き出した。


 父親が顔を覆う。


 しかし、リディア様はすぐに記録を取らなかった。


「ミラ。残響だけでは正式証拠にならない」


「分かっています」


 花冠院の規定では、感情残響は補助証言にすぎない。

 形、香り、根の状態、封印糸の痕跡。物的な証拠が必要だ。


 私は花冠を裏返した。


 薄青のリボンの内側。

 そこに、ほんのわずかな糸のよじれがあった。


 普通なら見逃す。

 でも、昨日リディア様が同じ場所を見ていた。

 そして、彼女の顔色が変わった。


「リディア様」


 私は銀針でリボンを少しだけ持ち上げた。


 細い赤糸が一本、花冠の内側に結ばれている。


 リディア様が立ち上がった。


「封印糸」


「花冠院のものですか」


「外部では扱えない。少なくとも、普通の男爵家には無理よ」


 部屋の中が静まる。


 アシュレイ陛下が低く言った。


「つまり、花冠院の誰かが偽装に関わった」


 リディア様は唇を噛んだ。


「断定はできません。封印糸が盗まれた可能性も」


「盗まれたなら、それも花冠院の責任だ」


 ノア様が扉の横で姿勢を変えた。


「ディクス男爵家を拘束しますか」


「まだだ。先に証人を押さえる」


 陛下の声は、眠らない人のものとは思えないほど鋭かった。


 私はエミリア様の前に花冠を置いた。


「この花冠は、あなたを責めていません」


 エミリア様は震える指で花に触れた。


「私は、もう結婚しなくていいのですか」


 陛下が答えた。


「しなくてよい。破談理由は再審理する。強要と偽装が確認されれば、君の名誉は王命で回復する」


 エミリア様は泣きながら、何度も頭を下げた。


 事件は小さく見えた。

 分家の娘の破談。王宮の片隅の不正。


 けれど、私は分かっていた。


 花冠院の封印糸が使われていた。

 誰かが、花の声を変えた。

 それは、戴冠花冠の黒い鱗と同じ根を持っている。


 応接室を出たあと、リディア様が私を呼び止めた。


「ミラ。あなた、さっき何を失ったの」


「怒りが、少し」


「少しで済んだの?」


「たぶん」


 リディア様は苦い顔をした。


「たぶん、で済ませないで。あなたの力は、花冠院が欲しがるには危険すぎる」


「花冠院が?」


「ええ」


 彼女は廊下の奥を見た。


「花の真実を知りたい人間より、花の真実を都合よく使いたい人間の方が多いのよ」


 その言葉が終わる前に、遠くで鐘が鳴った。


 花冠院の院長が、王へ面会を求めているという知らせだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ