第8話 十五番の再調査
エミリア・ヴァーンは、私よりひとつ年上の娘だった。
淡い栗色の髪を低く結び、飾り気のない灰色のドレスを着ている。ヴァーン家の人間と聞いて想像する華やかさはなかった。
むしろ、王宮の椅子に座っているだけで消えてしまいそうに見える。
それでも彼女は、花冠の箱から目を離さなかった。
「焼かないでください」
もう一度、彼女は言った。
隣に座る父親が慌てて頭を下げる。
「陛下の御前で失礼を」
アシュレイ陛下は窓辺に立っていた。
表向きには、仮婚約者である私の花冠選びに同席しているだけ、という形だ。実際には十五番の再調査。
王宮では、真実ほど表向きの衣が必要になる。
「構わない」
陛下は短く言った。
「ミラ。進めろ」
私は箱を開けた。
十五番の婚約花冠が、小さく震える。
エミリア様の顔がくしゃりと歪んだ。
「まだ、残っていたのですね」
「処分承認は出ていました。でも、止めました」
「なぜ」
「不誠実で枯れたようには見えなかったからです」
エミリア様の父親が息を呑む。
彼女自身は、しばらく声を出せなかった。
「誰も、そう言ってくれませんでした」
その一言だけで、部屋の空気が変わった。
リディア様が記録机の前に座っている。ノア様は扉の横。侍女長は茶器を用意しながら、誰が何を言うかを静かに見ていた。
「婚約相手の名を確認します」
私が記録札を読む。
「ローレン・ディクス。ディクス男爵家長男。破談理由は、エミリア様の不誠実。証人二名。花冠院判定済み」
エミリア様の手が膝の上で固く握られた。
「私は、裏切っていません」
「何があったのですか」
彼女は父親を見た。
父親はうなずいた。
「弟が病気でした。薬代が必要で、家は借金をしていました。ローレン様は、借金を肩代わりすると言いました。その代わり、破談の理由を私の不誠実にしてほしいと」
「なぜそんなことを」
「ローレン様には、別に結婚したい方がいたのです。でも向こうの家は、婚約破棄の非がローレン様にあるなら許さないと」
よくある話だ。
花冠院では、よくある話として処理されてしまう話だ。
誰かが傷つき、誰かが花を偽り、書類上はきれいに片づく。
「あなたは承諾したのですか」
「弟の薬代が必要でした」
エミリア様は顔を伏せる。
「でも、花冠は承諾してくれなかった。式の前に黒くなって、ローレン様は言いました。ほら、花も君が不誠実だと言っている、と」
私は十五番の花冠に触れた。
指先から残響が来る。
暗い部屋。
閉じた扉。
男の声。
君が悪いことにすれば、君の家は助かる。
君の弟の薬代も出る。
誓約花はどうせ枯れる。
枯れた理由など、花冠院が決める。
恐怖。
屈辱。
それでも守りたいもの。
私は指を離した。
今度は怒りが少し遠くなった。
本当なら震えるほど腹が立つはずなのに、胸の中は白い布で覆われたように静かだった。
だから、淡々と言えた。
「この花冠は不誠実で枯れたのではありません。強要で折れています」
エミリア様が泣き出した。
父親が顔を覆う。
しかし、リディア様はすぐに記録を取らなかった。
「ミラ。残響だけでは正式証拠にならない」
「分かっています」
花冠院の規定では、感情残響は補助証言にすぎない。
形、香り、根の状態、封印糸の痕跡。物的な証拠が必要だ。
私は花冠を裏返した。
薄青のリボンの内側。
そこに、ほんのわずかな糸のよじれがあった。
普通なら見逃す。
でも、昨日リディア様が同じ場所を見ていた。
そして、彼女の顔色が変わった。
「リディア様」
私は銀針でリボンを少しだけ持ち上げた。
細い赤糸が一本、花冠の内側に結ばれている。
リディア様が立ち上がった。
「封印糸」
「花冠院のものですか」
「外部では扱えない。少なくとも、普通の男爵家には無理よ」
部屋の中が静まる。
アシュレイ陛下が低く言った。
「つまり、花冠院の誰かが偽装に関わった」
リディア様は唇を噛んだ。
「断定はできません。封印糸が盗まれた可能性も」
「盗まれたなら、それも花冠院の責任だ」
ノア様が扉の横で姿勢を変えた。
「ディクス男爵家を拘束しますか」
「まだだ。先に証人を押さえる」
陛下の声は、眠らない人のものとは思えないほど鋭かった。
私はエミリア様の前に花冠を置いた。
「この花冠は、あなたを責めていません」
エミリア様は震える指で花に触れた。
「私は、もう結婚しなくていいのですか」
陛下が答えた。
「しなくてよい。破談理由は再審理する。強要と偽装が確認されれば、君の名誉は王命で回復する」
エミリア様は泣きながら、何度も頭を下げた。
事件は小さく見えた。
分家の娘の破談。王宮の片隅の不正。
けれど、私は分かっていた。
花冠院の封印糸が使われていた。
誰かが、花の声を変えた。
それは、戴冠花冠の黒い鱗と同じ根を持っている。
応接室を出たあと、リディア様が私を呼び止めた。
「ミラ。あなた、さっき何を失ったの」
「怒りが、少し」
「少しで済んだの?」
「たぶん」
リディア様は苦い顔をした。
「たぶん、で済ませないで。あなたの力は、花冠院が欲しがるには危険すぎる」
「花冠院が?」
「ええ」
彼女は廊下の奥を見た。
「花の真実を知りたい人間より、花の真実を都合よく使いたい人間の方が多いのよ」
その言葉が終わる前に、遠くで鐘が鳴った。
花冠院の院長が、王へ面会を求めているという知らせだった。




