表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
73/81

第73話 一輪だけ開く

 森の奥で、夜明け竜胆は一輪だけ待っていた。


 それは花畑ではなかった。


 巨大な竜の骨のような根が地面を覆い、その中心に青い花が一つだけ咲いている。花弁は朝と夜の境目の色をしていた。近づくほど、眠気ではなく目覚めの痛みが胸に刺さる。


 アシュレイ陛下は花の前で立ち止まった。


「これが、母が開けようとした道か」


 リディア様が慎重に観察する。


「おそらく。夜明け竜胆は眠りを返す花ですが、ここまで強い個体は記録にありません」


 私は花を見つめた。


 触れなくても分かる。


 この一輪は、十年分の朝を抱えている。


 王妃が届かなかった朝。

 兵士たちが取り戻せなかった朝。

 無花者たちが道具にされた朝。

 アシュレイ陛下が眠れなかった朝。


 すべてが、青い花弁の内側で震えていた。


「触れば、何かが起きます」


 私は言った。


 陛下がこちらを見る。


「危険か」


「はい」


「必要か」


「はい」


 短い答えしか出ない。


 怖い時ほど、言葉は簡単になる。


 リディア様が道具を広げる。


「三人で行います。ミラさんが花の感情を読み、私が封印糸を処理し、陛下が眠りの流れを受け止める。ただし、受け止めるだけです。一人で抱え込まないでください」


 陛下は頷いた。


 以前なら、ここで一人で背負うと言ったかもしれない。


 今は言わなかった。


 私たちは花の周りに膝をつく。


 森の空気が静まり返った。


 遠く、夢抜け道へ向かったノア様たちの気配はもうない。ここにいるのは、私たち三人と、竜の眠りだけ。


 私は夜明け竜胆へ手を伸ばした。


「危なくなったら」


 陛下が言う。


「止めてください」


 私が先に答えると、彼は少しだけ目を細めた。


 そして、私の手ではなく、白い契約花の蕾に手を添えた。


 直接触れない。

 でも同じ花を支える。


 私は夜明け竜胆に触れた。


 朝が流れ込んできた。


 まぶしいほどの青。

 眠りから覚める子どもの息。

 戦場で目を閉じる兵士。

 森の奥で竜が見る長い夢。

 王妃エリシアの手。


 そして、母の声。


 私の母。


 なぜここに。


 驚く間もなく、景色が変わる。


 花冠院の片隅。

 若い母が、壊れた婚約花を抱えている。隣には王妃エリシアがいた。


「あなたの花は、眠りを逃がす性質があります」


 王妃が言う。


「もし私が戻らなければ、この技術を隠してください。子どもにまで届かないように」


 母は青ざめて頷く。


 私の母は、王妃の協力者だった。


 壊れた婚約花は、ただの家庭の不幸ではなかった。

 共眠誓約に関わる花だった。


 記憶が揺れる。


 母の花が壊された日。

 家の中に黒い封印糸の気配。

 幼い私を抱きしめる母。


「ミラ。壊れた花を、怖がらないで」


 あの言葉は、私を慰めるだけではなかった。


 託していた。


 私は息ができなくなった。


 母の痛みが、王妃の痛みと繋がっている。


 アシュレイ陛下の声が遠くから聞こえる。


「ミラ、戻れ」


 戻りたい。

 でも、夜明け竜胆の奥にまだ続きがある。


 母が隠したもの。

 王妃が託したもの。


 私は手を離さなかった。


 その瞬間、白い契約花が強く光り、陛下の眠りが私へ流れ込みかけた。


 違う。


 一人に集めない。


 私は叫んだ。


「一緒に、見てください!」


 夜明け竜胆の光が三つに分かれた。


 私、アシュレイ陛下、リディア様。


 朝の記憶は一人ではなく、三人に分かれて降りた。


 一輪だけ開いた花が、初めて道を分けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ