第66話 眠りの兵器
石の寝台の奥には、地下へ降りる階段があった。
森の中に階段。
不自然なはずなのに、根と石が絡み合い、最初からそこに生えていたように見える。階段の壁には、古い花冠院の印と王家の竜紋が交互に刻まれていた。
「研究施設です」
リディア様の声は硬い。
「森の中に、こんなものを」
地下は冷えていた。
棚には割れた鉢、黒い糸、兵士の名札、無花者の空鉢が並ぶ。机の上には、眠りの流れを示す図が残っていた。
王から兵へ。
兵から敵へ。
民から王へ。
無花者から森へ。
矢印で人の眠りが動かされている。
私は吐き気を覚えた。
ここでは、人の心が水路のように扱われていた。
ノア様が名札を手に取る。
「近衛の旧名簿があります。戦後、急に退役した者たちだ」
アシュレイ陛下は黙って資料を見ている。
彼の目は怒りで冷えていた。
悲しみの次に来たのは、怒りだった。
それは必要なものだと思う。
王妃の痛みを知っただけで終われば、彼は自分を責め続ける。怒りがあれば、外へ向けて動ける。
「これを王都へ持ち帰れば、先代王の戦争功績は覆ります」
ノア様が言った。
「王家の権威も傷つく」
陛下は資料を置いた。
「傷ついていないふりをしてきただけだ」
リディア様が別の箱を開けた。
中には、花冠院の研究記録がある。
「オルド院長の署名ではありません。前院長時代のものです。でも、現在の院長が引き継いだ形跡があります」
つまり、過去の罪では終わらない。
花冠院は今もこの技術の一部を隠している。
イオが震えながら紙を拾った。
「これ、祝福花の偽装と同じ式です」
王宮で起きた祝福花の事件。
あれは単独の嫌がらせではなく、この研究の応用だった。
糸がつながる。
つながりすぎるほど。
私は机の上の黒い花弁を見た。
黒花の原型らしい。
触ってはいけない。
そう分かっている。
でも、花弁の奥で誰かが泣いているような気がした。
「読みたいのか」
アシュレイ陛下が聞いた。
「読みたいです」
正直に答える。
「でも、今は読みません」
陛下は少しだけ息を吐いた。
「助かる」
「陛下も、今ここで全部背負わないでください」
「難しい要求だ」
「知っています」
地下室の奥に、大きな壁画があった。
竜が眠り、その周りに人々が輪を作っている古い図。
後から黒い線で塗りつぶされているが、元の絵はまだ残っている。
花ある者が夢を結び、花なき者が夢を逃がす。
王は輪の中心ではなく、輪の一部にいた。
先代王は、その輪を壊し、中心に王を置いた。
眠りの兵器とは、眠りを奪う技術だけではない。
輪を壊し、一人に集める考え方そのものだ。
「この壁画を写します」
イオが言った。
手は震えている。
でも目は強い。
「花冠院に戻っても、これをなかったことにされたくありません」
リディア様が頷く。
「私も証言します」
カッサは棚から古い保留糸を見つけ、舌打ちした。
「地方の技術も盗んでるね。使い方だけ雑にして」
怒る人が増えている。
それは心強かった。
私たちは資料を分類し、持ち出せるものを選んだ。
すべては運べない。
だから写しを取り、封印を保留し、場所そのものを記録する。
地下室を出る前、アシュレイ陛下は壁画の前で立ち止まった。
「王は輪の中心ではなかった」
彼は呟いた。
「中心でなくていいのだな」
「はい」
私は答えた。
「輪の中にいてください」
その言葉を、彼はしばらく黙って受け取っていた。
地上へ戻ると、森の空気が少し変わっていた。
眠りが深くなっている。
竜が、私たちの見つけた真実に気づいたようだった。




