第65話 母の死の真相
記憶睡蓮の水辺を越えた先に、石の寝台があった。
森の中とは思えないほど滑らかな白い石。周囲には夜明け竜胆の枯れた茎が輪を描き、中央に黒い封印糸が焼きついている。
リディア様が顔を覆った。
「ここで、儀式が行われています」
「何の儀式ですか」
イオの声は小さい。
「眠りの移し替えです」
アシュレイ陛下は石の寝台を見つめていた。
王妃の残響を見たあと、彼はほとんど話していない。歩き方はしっかりしているのに、どこか記憶の中を歩いているようだった。
私は寝台の縁に近づく。
触れなくても分かる。
ここには、強い痛みが残っている。
王妃エリシアは、ここで先代王に止められた。
それだけではない。
たぶん、ここで死んだ。
口にするのが怖かった。
けれど陛下は先に言った。
「母は病で亡くなったのではないな」
誰も答えなかった。
沈黙が答えだった。
リディア様が黒い封印糸を調べる。
「王妃様は共眠誓約を元に戻そうとした。眠りを王から民へ、民から道へ返す儀式です。ですが、途中で逆向きの封印がかけられています」
「逆向き」
「王妃様が開こうとした道を閉じ、その反動を王妃様自身へ返した」
言葉が冷たく落ちる。
つまり、王妃は自分の儀式に押し潰された。
アシュレイ陛下の手が震えた。
「父が」
声にならない声。
ノア様がそばへ行こうとして、止まった。
私も動けない。
王の痛みを、誰も代わりに受け取れない。
その時、石の寝台の上に光が浮かんだ。
王妃の記憶ではない。
もっと荒く、割れた残響。
先代王の声がした。
「国を守るためだ」
黒い影が、白い石の上に立つ。
「眠りを散らせば、兵は恐怖を思い出す。民は戦を拒む。王国は滅びる」
王妃の声が応じる。
「恐怖を知るから、人は戦を終わらせられるのです」
「甘い」
「眠りを奪われた国に、朝は来ません」
影が揺れた。
幼いアシュレイの泣き声。
王妃が振り返る。
その隙に、黒い封印糸が彼女の胸元の夜明け竜胆へ突き刺さった。
私は思わず声を上げた。
残響だ。
もう終わったことだ。
それでも目の前で王妃が倒れるのを見るのは、耐えがたかった。
アシュレイ陛下は動かなかった。
動けなかったのだと思う。
残響の中で、王妃は石の寝台に手をついた。
「この子に、眠りを集めないで」
最後の言葉は、王へではなく森へ向けられていた。
「いつか、この子が一人ではない道を」
そこで残響は途切れた。
森が深く沈黙する。
アシュレイ陛下はゆっくり膝をついた。
石の寝台に、額が触れるほど深く。
「母上」
声はかすれていた。
「私は、あなたが守ろうとしたものを知らずに、十年王でいた」
私は胸が痛かった。
でも、王妃の言葉を思い出す。
責めるより先に取り戻しなさい。
「陛下」
私は少し離れた場所で言った。
「王妃様は、陛下だけを守ろうとしたのではありません」
「分かっている」
「だから、陛下が生きて王でいることも、王妃様の仕事の続きです」
彼は顔を上げない。
でも聞いている。
「知らなかった十年を、なかったことにはできません。でも、知った今から直すことはできます」
それは自分にも言っていた。
壊れる前には戻らない。
壊れたあとに続けられる形へ。
アシュレイ陛下は長い沈黙のあと、石の寝台から手を離した。
その手には、枯れた夜明け竜胆の花弁が一枚ついていた。
青ではなく、灰色に近い花弁。
それでも形は残っている。
「持って帰る」
陛下は言った。
「母の死を、病として終わらせない」
森の奥で、竜の寝息が一度大きくなった。
真実を知ったことで、封印はさらに弱まったのだ。




