第62話 王家を拒む花
森の花は、アシュレイ陛下を避けた。
最初は気のせいだと思った。
道端の青い蕾が、陛下が近づくと葉を閉じる。苔の光が彼の影に触れる前に薄くなる。木の根に絡んだ白い小花は、彼の足音に合わせて土へ潜る。
王都の花は、王に向かって咲く。
この森の花は、王家を拒んでいる。
「当然だ」
陛下は短く言った。
当然。
その一言で片づけてしまう顔が、私は嫌だった。
「当然ではありません」
「父がこの森を歪めた」
「陛下が歪めたのではありません」
「王家が歪めた」
「それでも、陛下個人がすべての花に拒まれて当然とは思いません」
少し強く言いすぎた。
けれど陛下は怒らなかった。
眠気と罪悪感の混じった目で、森の花を見ている。
カッサが後ろから言った。
「花は人を裁くほど偉くないよ」
皆が振り返る。
老職人は杖をつきながら続けた。
「花が閉じるのは怖いからだ。怖がっている相手に、当然だと言って近づいたら余計に閉じる」
アシュレイ陛下は少しだけ目を伏せた。
「では、どうすればいい」
「待つ」
カッサの答えは短い。
「花が怖がっている時は、待つしかない」
待つ。
保留箱と同じだ。
結論を急がない。
咲けと命じない。
枯れたと決めない。
陛下は道端の蕾から一歩下がった。
その瞬間、閉じていた葉がほんの少し緩んだ。
私は小さく息を吐く。
「今、少し開きました」
「見えた」
陛下の声は、苦いけれど柔らかかった。
森を進むほど、王家を拒む反応は強くなった。
昼過ぎには、花だけでなく道も陛下を迷わせ始めた。彼が先に進もうとすると、根が足元へ伸びる。枝が視界を塞ぐ。眠気が急に重くなる。
トマが前から戻ってきた。
「王様、真ん中歩かない方がいい」
その呼び方に、全員が固まった。
トマはしまったという顔をする。
アシュレイ陛下は少し笑った。
「いつ気づいた」
「広場で。王様っぽかった」
ノア様が額に手を当てる。
「隠密とは」
トマは不安そうに陛下を見る。
「言っちゃだめだった?」
「構わない」
陛下は膝を折り、少年と目線を合わせた。
「この森では、私は王として嫌われているらしい。どこを歩けばいい」
トマは少し考えた。
「端。みんなと同じじゃなくて、少し後ろ。でも置いていかれないところ」
子どもの言葉は、時々制度より正確だ。
陛下は頷き、列の中央から少し後ろへ下がった。
すると、道の根が引いた。
森は彼を許したわけではない。
ただ、近づきすぎない王を少しだけ通した。
夕方、私たちは小さな水辺に出た。
水面には花が浮かんでいる。
白い花弁の中心に、黒い点。
リディア様が緊張した。
「記憶睡蓮です。夢や記憶を映す花です」
水辺を越えなければ、先へ進めない。
けれど陛下が近づくと、睡蓮は一斉に黒い点を広げた。
水面に映ったのは、幼いアシュレイの顔。
その後ろに、先代王の影。
陛下の呼吸が乱れる。
私は近づこうとして、止まった。
救うことと縛ること。
苦しみを奪わないこと。
「陛下」
私は少し離れた場所から呼んだ。
「見たくないなら、見なくていいです。でも、見るなら一人では見ないでください」
陛下は水面を見つめたまま言う。
「一緒に見るか」
「はい」
私は隣へ行く。
触れない距離で。
水面の花が震えた。
王家を拒む森は、それでも私たち二人の影を同じ水に映した。




