第54話 救うことと縛ること
聖堂から戻ったアシュレイ陛下は、手に煤をつけていた。
古文書の一部が燃えかけたらしい。
黒く変色したページをリディア様が保護し、イオが必死に写しを取った。犯人は見つからない。だが地下書庫の換気口に、騎士団の装備に使われる油布の切れ端が残っていた。
ガレス団長。
あるいは、その背後にいる者。
陛下は机に写しを置いた。
「君の仮説と合う」
私は紙を受け取る。
古い文字はところどころ欠けていたが、リディア様の注釈が添えられている。
花ある者は夢を結び、花なき者は夢を逃がす。
眠りは器に溜めず、道に流す。
無花者は欠けた存在ではない。
共眠誓約の中で、眠りを逃がす役割を持っていた。
私は言葉を失った。
フロレアが排除してきた人々こそ、本来は誓約を支える一部だった。
「先代王は、眠りを一か所に集めたのかもしれません」
リディア様が言う。
「戦争で利用するために、眠りを逃がす道を塞いだ。無花者を制度から外したのも、その延長なら」
「王家だけの呪いになった」
アシュレイ陛下が続けた。
部屋に重い沈黙が落ちる。
彼の呪いは、彼だけのものではなかった。
国全体から切り離され、王に集められた眠りの残骸。
救うためだったのかもしれない。
勝つためだったのかもしれない。
守るためだったのかもしれない。
でも結果として、たくさんの人が花の外へ追いやられた。
私は陛下を見た。
「顔色が悪いです」
「君に言われるとは」
「私は今日は触っていません」
「偉いな」
子ども扱いのような言い方だった。
少しむっとした。
その小さな感情が、ちゃんと胸に来た。
私は自分でも驚いた。
「今、少し腹が立ちました」
「それは良いことなのか」
「たぶん」
陛下の目元がわずかに緩む。
喜びはまだ遠い。
でも、感情の道は完全には塞がっていない。
夜、私たちは宿の屋上に出た。
フロレアの屋根の向こうに、竜眠りの森の黒い影が見える。王都では遠い伝説だった森が、ここでは空の端を占めている。
陛下は長く黙っていた。
「私は、君を止めた」
「はい」
「救うためだと思っていた」
「救われました」
「縛りもした」
私は返事に迷った。
彼は続ける。
「私の眠りも、元は誰かを救うために歪められたのかもしれない。恐怖を奪えば兵は戦える。悲しみを奪えば国は動く。だが、それは救いではなく支配だ」
夜風が花の匂いを運ぶ。
私は手すりに触れた。
「私も、直したいと思う時、相手の苦しみを早く消したくなります」
「それは悪いことではない」
「でも、苦しみを消すことだけを急ぐと、その人が守っているものまで切ってしまう」
リナの商業奉公花。
老夫婦の不揃いな婚姻花。
トマの空白の冠。
壊れて見えるものの中に、守るべき形があった。
「救うことと縛ることは、近いのだな」
陛下が言った。
「近いから、怖いです」
「では、どう分ける」
私は考えた。
花を読む時のように。
最後の感情ではなく、その感情が何を守ろうとしたのかを探すように。
「相手が選べる余地を残すことだと思います」
陛下は私を見る。
「君にも?」
「はい」
「私にも?」
「もちろん」
少しだけ、強く言えた。
陛下は目を閉じた。
眠ったのではない。
ただ、夜風を受け止めている。
「なら、私が眠ることも、いつか選べるようになるだろうか」
胸が痛む。
「なります」
「根拠は」
「今から探します」
陛下は小さく笑った。
その笑いに、遅れていた喜びがほんの少し戻ってきた。
薄い光のような喜びだった。
でも確かに、私のものだった。




