第47話 保留広場
保留三日目の朝、広場には人が集まりすぎていた。
役所の前に仮の作業台が並び、リディア様とカッサが向かい合って座っている。王都の上級修復師と地方の花紐職人。二人は昨日まで互いの技術を慎重に観察していたが、今朝にはもう同じ紙の上で結び方を書き比べていた。
「この結びでは誓約文が抜けます」
「抜けていいんだよ。三日だけ息をさせる糸なんだから」
「しかし記録としては」
「記録より先に人が倒れたら、何を残すんだい」
会話は刺々しいのに、手はよく合っている。
イオは二人の間で必死にメモを取っていた。
私は相談に来た人々の花を順番に見る。
税印花。
奉公花。
帰願草。
婚姻の小花。
雇用証の蔓。
王都では一つ一つが事件だったものが、ここでは生活の数だけ並ぶ。
その多さに、時々息が詰まる。
「次の方」
声を出すと、老夫婦が前に出た。
二人の間には、小さな鉢がある。花は二輪。片方は白く、片方は薄い紫。だが茎の根元が別々の方向へ引っ張られている。
「婚姻花ですか」
老婦人が恥ずかしそうに笑った。
「五十年も前のものです。今さら直すのも変ですが」
老紳士が咳払いする。
「役所が、花の形が悪いから相続誓約に不備があると言いまして」
五十年の婚姻まで、税と書類に引っかかる。
私は鉢に触れた。
伝わってきたのは、喧嘩。
たくさんの喧嘩。
怒り、意地、沈黙、仲直りの失敗。
その下に、毎朝同じ茶を淹れる手。
風邪の夜に置かれた水。
言葉にしないまま続いた心配。
花は美しく整っていない。
でも、枯れていない。
「これは、形が悪いのではありません」
二人が同時に私を見る。
「長く一緒にいた花です。根元が別々の方向へ伸びているのは、それぞれの意志が残っているからです。むしろ健全です」
老婦人が笑い、老紳士は耳を赤くした。
私は保留糸を少しだけ巻く。
相続誓約の審査にかけられている間、花が「不備」と読まれないように。
花を直すというより、花にかけられた読み方を直す作業だった。
次に来たのは若い奉公人。
その次は商人。
その次は、花を失くした巡礼者。
広場の端で、アシュレイ陛下は人々の声を聞いていた。
王として命じるのではなく、旅人として聞く。
「役所は花しか見ない」
「花を咲かせる薬が高すぎる」
「誓約できない者は、最初から疑われる」
「王都は何も知らない」
最後の言葉に、陛下は目を伏せた。
私は作業の合間にそれを見て、胸が痛くなる。
陛下は知らなかったことを罪として受け取る。
でも、知らなかった王が知ろうとしていることを、誰かが見てくれればいいのにとも思う。
昼過ぎ、騒ぎが起きた。
ベルク官吏の部下が、保留処理を受けた花を再検査すると言い出したのだ。
「非公式処理は正式証明にならない!」
広場に不安が走る。
カッサが杖を鳴らした。
「だったら正式な目で見な」
彼女はリディア様を指した。
「王都の上級修復師がここにいる」
リディア様は静かに立った。
「保留糸による処理は、誓約花本体を傷つけていません。むしろ誤読による破棄を防ぐ応急技術として評価できます」
「しかし、前例が」
その時、アシュレイ陛下が口を開いた。
「前例がないものは、すべて禁じるのか」
部下は言葉に詰まる。
「なら、最初の誓約花も禁じられていたはずだ。誰かが初めて信じたから、制度になった」
広場が静かになる。
陛下の声は大きくない。
でも、逃げ道を作らない。
「今日ここで見た花は、制度を壊すためのものではない。制度からこぼれた人を、制度へ戻すためのものだ」
私は手元の花を見た。
保留糸に包まれた小さな商業花が、淡く光っている。
制度へ戻す。
でも、元の形に押し込むのではない。
壊れた場所が分かるように、直す。
夕方、ベルク官吏は三日延長の臨時許可を出した。
小さな勝利だった。
けれど、広場で笑い声が起きた時、私はその温かさを半分しか感じられなかった。
喜びが、また遅れる。
遅れて、薄く届く。
私は作業台の下で手を握った。
アシュレイ陛下が隣に来る。
「顔色が悪い」
「少し疲れただけです」
「嘘は下手だ」
「陛下ほどではありません」
言ってから、失礼だったと気づく。
でも陛下は少しだけ笑った。
「それなら、二人とも練習が必要だ」
その笑みだけは、遅れずに胸へ届いた。
私はほっとしてしまう。
まだ全部は失っていない。
広場には、保留された花が並んでいる。
答えを急がないための花。
今の私にも、少し似ていた。




