第46話 無花者の子
三日間の保留は、街を少しだけざわつかせた。
無花者を追い出す掲示が眠ったことで、役所には苦情と相談が同時に押し寄せた。宿屋は追加税の扱いを尋ね、商人は契約無効の判断を恐れ、巡礼者は森へ入る許可について不安を訴えた。
そして、これまで役所に近づけなかった人々が、広場の端から一歩ずつ前に出てきた。
その中に、花冠をかぶった少年がいた。
生きた花ではない。
青い布花と白い乾花を灰色の糸で編んだ、小さな冠。
カッサの工房で見た、無花者の子のための冠だ。
少年は十歳くらいで、左手に古い木箱を抱えていた。母親らしい女性に背中を押され、私たちの作業卓へ近づいてくる。
「修復師様」
女性は深く頭を下げた。
「この子の花を、見ていただけませんか」
少年は唇を固く結んでいる。
私は椅子を引いた。
「名前を聞いてもいいですか」
「トマ」
少年は短く答えた。
「トマさん。箱を見せてもらえますか」
木箱の中には、小さな鉢が入っていた。
土だけ。
枯れた茎も、根もない。
「生まれた時に、誓約花が出ませんでした」
母親が言う。
「医師は体質だと。でも学校では、花を持たない子は誓約の授業に出られません。奉公先も見つからない。このままでは」
トマは箱を抱きしめた。
「いらない」
小さな声だった。
母親が驚く。
「トマ」
「いらない。どうせ咲かないなら、見てもらわなくていい」
私は手を止めた。
誓約花を持たない。
それは、壊れた花を持つこととも違う。
私は壊れた花なら読める。
でも、ない花は読めない。
沈黙の中で、アシュレイ陛下が膝を折った。
王が、少年と同じ目の高さになる。
「花がないと、困るか」
トマは警戒した目で陛下を見る。
「困る。みんな、僕が嘘つきになるって言う」
「君は嘘つきなのか」
「違う」
「なら、まずそれでいい」
トマは目を丸くした。
陛下の言葉は、不器用だ。
慰めの形をしていない。
でも、嘘ではない。
私は木箱の土を見た。
乾きすぎているわけではない。悪い土でもない。ただ、何もない。
そこへ、カッサが杖をついて近づいてきた。
「無理に咲かせようとするんじゃないよ」
「カッサさん」
「花がない子に一番悪いのは、偽物の花を植えることだ。あとで必ず腐る」
リディア様が頷く。
「王都にも偽花移植の禁例があります。本人の感情と結びつかない花は、成長後に精神負荷を起こす」
母親の顔が青くなる。
「では、この子は一生」
「花以外の証を作る」
陛下が言った。
全員が彼を見る。
「誓約花だけを信用の証にしているから、花のない者が排除される。なら、別の証が必要だ」
ベルク官吏が、苦い顔で記録板を抱えていた。
「制度を変えるには王都の承認が」
「申請書を書け」
「どなたの名で」
一瞬、危うい沈黙が落ちた。
ノア様が素早く口を挟む。
「王宮花材採取班の調査報告として出します」
陛下は少し不満そうだったが、黙った。
私はトマの花冠を見た。
布花。乾花。保留糸。
生きた花ではない。
でも、誰かが彼のために編んだものだ。
「トマさん」
「何」
「この冠を、少し直してもいいですか。花を咲かせるのではなく、あなたが持っているものを見えるようにするために」
トマは迷ったあと、冠を外した。
私は灰色の糸を整える。
そこに、王都から持ってきた白い補修糸をほんの少しだけ足した。
誓約ではない。
でも、彼がここにいることを示す印。
布花の間に小さな空白を残す。咲いていないことを隠さないための場所だ。
冠を戻すと、トマは指で空白に触れた。
「穴がある」
「はい」
「変じゃない?」
「変ではありません。そこは、無理に埋めなくていい場所です」
トマは黙って冠を見た。
やがて、小さく頷く。
その表情を見た瞬間、胸の奥に灯るはずの喜びが、少し遅れてやってきた。
遅れたことに、私は気づいてしまった。
代償は進んでいる。
アシュレイ陛下も気づいたのだろう。
視線が私の手元に落ちる。
「ミラ」
「大丈夫です」
そう答えた声が、少し軽すぎた。
陛下はそれ以上、ここでは何も言わなかった。
広場の鐘が鳴る。
保留の三日は、街だけではなく私たちにも問いを突きつけている。
花がない者を、どう信じるのか。
花が壊れた者を、どう待つのか。
花が咲いた者を、どう縛りすぎないのか。
答えはまだない。
でもトマの冠の空白は、答えのない場所にも人は立てると教えてくれた。




