表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
45/83

第45話 王ではない声

 フロレアの役所は、巡礼広場の北側にあった。


 白い石造りの立派な建物で、入口には大きな花板が掲げられている。そこに書かれた規則の一つが、カッサの怒りの理由だった。


 無花者の市内滞在は三日まで。

 保証花を持たぬ者の宿泊は追加税。

 誓約花不所持の雇用契約は無効。


 文字だけなら、整っている。


 でもその下に吊るされた黒ずんだ花束が、言葉を脅しに変えていた。


「あれは警告花です」


 リディア様が眉をひそめる。


「本来は危険地域を知らせるためのものです。人に向けて吊るすものではありません」


 広場には多くの人がいた。

 巡礼者、商人、子ども、役人。


 そして花を持たない人々が、広場の端に集められていた。


 服が汚れているわけではない。怠けているようにも見えない。ただ、胸や髪や荷物に誓約花がないだけだ。


 それだけで、人の流れから外されている。


 アシュレイ陛下の横顔は静かだった。


 静かすぎて、ノア様が警戒している。


「アシュ様。ここで正体を明かすのは」


「明かさない」


「本当ですね」


「今は」


 ノア様が深いため息を飲み込んだ。


 役所の前で、地方官吏が私たちを迎えた。丸い顔に油断のない笑みを貼りつけた男で、名をベルクと言った。


「王宮の皆様、遠路ようこそ。地方誓約花の視察と伺っております」


 アシュレイ陛下はうなずくだけで、話はリディア様に任せた。


 私は警告花の前に立つ。


 黒ずんだ花束は乾いているのに、妙な湿り気を帯びていた。


 触れる前から、嫌な圧がある。


「この掲示は、いつから」


 リディア様が尋ねる。


 ベルクは滑らかに答えた。


「十年前からです。竜眠りの森の周辺で身元不明者が増えましてな。誓約花を持たぬ者は追跡が難しい。保護のためです」


 保護。


 便利な言葉だ。


 私は警告花に触れた。


 流れ込んできたのは、恐怖。

 森から戻らなかった人々への恐怖。

 身元の分からない遺品。

 泣く家族。


 そして、その恐怖を利用する冷たい手。


 最初は、確かに保護だった。

 けれど途中で変えられている。身元確認のための花が、排除のための花に編み直された。


「この花束は改変されています」


 私が言うと、ベルクの笑みが少し固まった。


「改変とは」


「元は森へ入る人の安全確認用です。でも後から、無花者を市外へ押し出す誓約文が足されています」


「誓約花を持たぬ者は危険です」


「誰にとってですか」


 その問いを発したのは、アシュレイ陛下だった。


 ベルクは彼を見た。


 旅装の男。

 王ではないはずの男。


 けれど、言葉の重さに思わず姿勢を正す。


「街にとってです。税を納めず、身元も示せず、契約も結べない者を自由に入れれば秩序が」


「秩序とは、弱い者を外に出すことか」


 広場のざわめきが遠のく。


 ベルクの額に汗が浮いた。


「あなたは」


「花材採取班の同行者だ」


 ノア様が素早く挟む。


 陛下はそれ以上、身分を匂わせなかった。


 けれど声は王のものだった。


「税を納める力がない者から、さらに税を取る。契約できない者を、契約できないことを理由に雇わない。結果、その者はますます花を持てない。これは保護ではない」


 ベルクは反論しようとして、言葉を失った。


 広場の端にいた無花者たちが、こちらを見ている。


 私は保留糸を取り出した。


 カッサから借りた灰色の糸。


「この警告花を、すぐ外すと混乱します」


 カッサが後ろで不満そうに鼻を鳴らした。


 私は続ける。


「でも、このまま吊るすと人を傷つけ続けます。三日だけ、効力を保留してください。その間に、身元確認と排除を分けた新しい掲示に変える」


 リディア様が頷く。


「保留糸なら可能です。王都式ではありませんが、花を殺さず効力を休ませられる」


「非公式技術ですぞ」


 ベルクが言った。


 アシュレイ陛下が返す。


「公式が人を傷つけているなら、非公式から学ぶべきだ」


 その言葉に、カッサが初めて満足そうな顔をした。


 私は警告花に保留糸をかける。


 黒ずんだ花束が震えた。


 指先に恐怖が流れ込む。

 森で消えた人。

 名前のない荷物。

 探されなかった無花者。


 胸が重くなった。


 でも、花束は少しずつ黒を薄める。


 警告は消えない。

 危険を知らせる役割は残る。

 けれど、人を追い払う棘だけが眠った。


 広場の端で、小さな子どもが母親の袖を掴んだ。


「入っていいの?」


 誰もすぐには答えられなかった。


 アシュレイ陛下が一歩前に出る。


「少なくとも、花がないという理由だけで追い出されることはない」


 王としてではなく。

 名を隠した一人の男として。


 その声は、広場の石畳に静かに広がった。


 私は思った。


 陛下が王冠をかぶらずに言った言葉の方が、時に人の近くへ届くことがあるのかもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ