第44話 花紐職人
民間の花冠職人は、店の奥で糸を煮ていた。
フロレアの裏通り。
表の巡礼通りが祈りと商売の声で満ちているのに対し、ここは湿った土と染料の匂いがした。戸口の看板には、花紐屋カッサと書かれている。
リナの商業奉公花を直した話は、半日で街に広がった。
それを聞いて宿へ手紙を寄越したのが、この店の主だった。
「王都の修復師が来たなら、見せたいものがある」
手紙にはそれだけ。
ノア様は罠を疑った。
リディア様は民間技術を見たいと言った。
陛下は短く「行く」と言った。
結果、私たちは裏通りの小さな工房にいる。
店主カッサは、白髪を短く刈った老女だった。細い腕で大鍋をかき混ぜながら、こちらをちらりとも見ない。
「王都の花冠院は、花を箱に入れたがる」
第一声がそれだった。
リディア様が苦笑する。
「否定はしません」
「あんたは少し違うね。箱の埃を知っている顔だ」
リディア様は黙った。
カッサは次に私を見る。
「そっちの若いのは、壊れた花ばかり触っている手だ」
「分かるんですか」
「分からないなら職人をやめてるよ」
鍋から引き上げられた糸は、灰色だった。
花冠院で使う修復糸は白や銀が多い。儀式用には金もある。けれど灰色の糸は見たことがない。
「これは何の糸ですか」
「保留糸」
胸が小さく跳ねた。
私が王宮で作った保留箱。
壊れた花を、すぐ裁かず、すぐ捨てず、いったん置くための箱。
それに似た言葉が、王都の外にあった。
カッサは糸を板にかけながら言う。
「地方じゃ、花冠院に持っていく金も時間もない。だから壊れた花をすぐ答えにしないための糸を使う。咲いたとも枯れたとも言わず、三日だけ待たせる」
「そんな技術が」
「王都が知らないだけだ」
イオが目を輝かせた。
「結び方を見てもいいですか」
「見るだけならね。真似は指が覚えてからだ」
カッサは棚から小さな花冠を出した。
婚姻用ではない。子どもの頭に乗るほど小さな、青と白の花冠。
「これは?」
「無花者の子に作る冠だ」
無花者。
税帳にも、門でも、重く響いた言葉。
「誓約花を持たない子は、祭で列に入れない。だから花を咲かせるのではなく、咲いていないことを隠さない冠を作る」
青い布花と、白い乾花。
そこに灰色の保留糸が編み込まれている。
花がないことを恥にしないための冠。
私はそっと触れた。
読み取れる感情はない。生きた誓約花ではないからだ。
それなのに、胸が温かくなった。
花冠は誓約の証だけではない。
誰かがそこにいていい、と示す形にもなる。
アシュレイ陛下が静かに聞いた。
「なぜ王都へ届けなかった」
カッサは初めて、まっすぐ陛下を見た。
「届けたよ。何度も。返事は『非公式技術につき採用不可』だ」
リディア様が目を伏せた。
花冠院の白い壁は、外から来るものをたくさん弾いてきたのだろう。
「その返事を出した者の名は」
「忘れたね」
「覚えている顔だ」
カッサは鼻で笑った。
「旅人にしては目が怖い」
ノア様が咳払いする。
「花材採取班の者です」
「はいはい」
明らかに信じていない返事だった。
カッサは奥の箱を開けた。
そこには、黒ずんだ花紐が入っていた。竜の鱗のような細かい模様が走っている。
私は息をのんだ。
「黒鱗」
「森の入口に落ちていた。夜明け竜胆を探しに行った巡礼者の荷に絡んでいたものだ」
リディア様が近づく。
「見せてください」
「ただし条件がある」
カッサは私たちを見回した。
「この街の無花者を、汚れものみたいに扱う役所の掲示を外せ。王都の許可証があるなら、そのくらいできるだろう」
ノア様が眉を寄せる。
「軽々しく約束はできません」
「なら黒鱗も渡せない」
工房に沈黙が落ちた。
私は陛下を見た。
王なら命じられる。
でも今は身分を隠している。
そして、命じるだけではたぶん直らない。
「掲示を外す前に、読ませてください」
私が言うと、カッサは片眉を上げた。
「何を」
「役所の掲示に使われている誓約花です。誰が何を守ろうとしてあの規則を作ったのか。それを読まないと、外しても別の形で戻ります」
カッサはしばらく私を見ていた。
やがて、短く笑う。
「壊れた花ばかり触っている手は、言うことも変だね」
「すみません」
「褒めたんだよ」
彼女は黒鱗の花紐を包み直した。
「明日の朝、役所へ行く。保留糸を一本貸してやる」
私は灰色の糸を受け取った。
花冠院の外に、花を捨てない技術がある。
それは私にとって、竜眠りの森の手がかりと同じくらい大きな発見だった。




