第42話 税印花
フロレアの巡礼宿は、花の匂いが濃すぎた。
玄関には旅人のための帰願草、食堂には商談用の銅貨草、階段には婚姻を願う二人花。部屋の扉ごとに小さな鉢が掛けられ、宿帳にも押し花の印が貼られている。
王都では誓約花に近づける人間が限られている。
ここでは誰もが花に触れ、花に見張られていた。
私たちの部屋は二階の奥だった。
表向きは王宮花材採取班。アシュレイ陛下は「アシュ」という名で通すことになった。ノア様は護衛兼会計係、リディア様は上級修復師、イオは助手、私は下級修復師。
宿の女将は私たちの通行証を見て、ほっとしたように笑った。
「王都の修復師様なら、うちの花も見ていただけますか」
「何か」
「税印花が、今年だけ妙に重くて」
女将が案内したのは、食堂の奥の壁だった。
そこには、木枠に収められた黄色い花が三輪咲いていた。花弁の先に、小さな銅貨形の斑点がある。税印花。商売の正直さを誓う花で、街の税率を決める目安に使われるという。
「重い、とは」
「去年より多く取られるんです。帳簿は変わっていないのに、花の色が濃いから利益が増えたはずだと役所に言われて」
私は花を見た。
黄色は確かに濃い。けれど健康な濃さではない。煮詰めた砂糖のように、少し焦げている。
「触っても?」
「もちろんです」
指先を花弁に近づける。
伝わってきたのは、欲ではなかった。
恐れ。
隠したいもの。
それから、疲れ切った善意。
税印花は宿の利益を告げていない。宿が誰かを泊めたことを隠そうとしている。
「女将さん」
私は声を落とした。
「ここに、税を払えない人を泊めましたか」
女将の顔色が変わった。
ノア様が扉を見る。廊下に人はいない。
「答えなくていい」
アシュレイ陛下が言った。
その声は、旅人のものではなかった。
女将は両手を握りしめる。
「去年の冬、巡礼証をなくした母子が来ました。外は雪で、子どもが熱を出していて。宿帳に書けば、無花者の宿泊で罰金です。だから、食堂の床で一晩だけ」
無花者。
誓約花を持たない者。
咲かせられない者。
失った者。
王都でも聞いたことはある。けれどそれは書類の言葉だった。ここでは、罰金と門前払いの言葉になっている。
「その母子は」
「翌朝、竜眠りの森の方へ行きました。夜明け竜胆を探すと言って」
リディア様が息をのむ。
森。
また、そこへ繋がる。
税印花の花弁が少し震えた。
私は道具箱を開け、細い銀針を取り出す。焦げたような黄色の筋を、一本ずつほどく。
「この花は、あなたの不正を告げているのではありません。あなたが罰を恐れて善意を隠したことを苦しんでいます」
「でも、規則では」
「花は規則のために咲いたのではないと思います」
言ってから、少し怖くなった。
王都の修復師として、そんなことを言っていいのか。
けれどアシュレイ陛下は止めなかった。
私は修復糸をかけた。
税印花の色が、少しずつ薄くなる。銅貨色の斑点は消えない。けれど焦げたような重さが抜け、花弁が柔らかく開いた。
女将が口元を押さえた。
「罰は、なくなりますか」
「役所がどう判断するかは」
「私が見る」
陛下が言った。
女将は目を瞬かせた。
ノア様が頭を抱えそうな顔をする。
「アシュ様」
「花材採取班として、地方誓約花の運用記録を確認する。問題はない」
「言い方の問題です」
イオが小さく吹き出しかけて、慌てて口を押さえた。
その夜、私たちは宿の小部屋でフロレアの税制帳を見せてもらった。
勤勉花、税印花、奉公花、帰願草。
花の状態で税が上下する仕組みが、細かく書かれている。
一見、公平に見える。
でも花を咲かせる余裕のある者ほど税が軽く、花を失った者ほど税が重くなる。
困っている人ほど、誓約花に追い詰められる。
アシュレイ陛下は長い間、帳簿を見ていた。
「王都にいたままでは、これは見えなかった」
「陛下のせいでは」
「王のせいだ」
短く言われて、私は言葉を失った。
陛下は自分を責める時だけ、迷いがない。
「すべてを一人で背負うのは、直すことと違います」
私が言うと、陛下はようやく顔を上げた。
「君は、私をよく叱る」
「叱っているわけでは」
「では、修復か」
少しだけ、声が柔らかくなった。
私は返事に困り、税制帳へ視線を落とした。
部屋の隅で、税印花が淡く咲いている。
花は嘘をつかない。
でも、人が花に嘘を背負わせることはできる。
フロレアで読むべきものは、思っていたよりずっと多い。




