第40話 竜眠りの森へ
旧記録庫の三番棚は、王命でもすぐには開かなかった。
オルド院長は、王家機密保全を盾にした。
貴族院は、戴冠十周年儀式前の混乱を避けるべきだと主張した。
神殿は、竜に関わる古い誓約を軽々しく扱うべきではないと文書を出した。
それぞれの言葉は正しい。
だから、王宮はまた動けなくなった。
アシュレイ陛下は三日間、ほとんど眠らずに各所へ命令と照会を出した。
私はその横で、目録写しを何度も読み返した。
共眠誓約補修記録。
王妃私信。
夜明け竜胆。
旧記録庫の中に答えはある。
けれど、答えの鍵は別の場所にある気がした。
夜明け竜胆。
王妃記録箱の封印に刻まれていた花。
王妃様の残響に出てきた花。
竜との共眠誓約に関わる花。
「竜眠りの森へ行くべきです」
私が言うと、書庫の全員が黙った。
アシュレイ陛下。
ノア様。
リディア様。
侍女長。
そして、若手修復師のパウル、ニナ、イオ。
今や王の書庫は、小さな修復班のようになっている。
陛下が低く聞いた。
「理由は」
「旧記録庫は封鎖されています。ですが、共眠誓約の原点は記録庫ではなく竜眠りの森です。夜明け竜胆もそこにしか咲きません」
リディア様が頷く。
「確かに、補修記録を読むにも原花が必要です。夜明け竜胆があれば、封印糸を傷つけずに開けられる可能性があります」
ノア様は渋い顔をした。
「王都を離れるのは危険です。儀式前、王妃選定前、花冠院と貴族院が動いている」
「王が王都にいても、封鎖は解けていない」
陛下が言った。
「なら、動く」
決断は早かった。
早すぎて、私の方が少し慌てた。
「陛下ご自身も行くのですか」
「私の母の記録であり、私の呪いだ」
「でも」
「君だけを森へ送ると思うか」
言い返せなかった。
ノア様はため息をつく。
「護衛計画を組みます。公には花材採取視察。同行者は最小限」
「私も行きます」
リディア様が言った。
「夜明け竜胆の扱いには上級修復師が必要です」
「私も」
イオが小さく手を上げる。
「封印糸の結びを見る人が必要です」
パウルとニナも何か言いたそうだったが、ノア様が首を横に振った。
「王都に残る目がいる。第三修復室と花冠院の動きを記録しろ」
二人は緊張した顔で頷いた。
役割が増えていく。
保留箱を持つ人が増えていく。
私は少しだけ心強かった。
その夜、出立準備の前にセレスティア様が来た。
「森へ行くそうね」
「はい」
「父は喜ぶでしょう。陛下が王都を離れる」
「危険ですか」
「とても」
セレスティア様はあっさり言った。
「でも、王都にいても檻の中です。森の方がまだ呼吸できるかもしれない」
彼女は小さな包みを差し出した。
中には、緑の糸で編まれた細い紐。
「これは?」
「ヴァーン家の古い旅守り。父のものではありません。母方のものです」
「いただいてよいのですか」
「返して。できれば、無事に」
彼女らしい言い方だった。
私は紐を受け取った。
「セレスティア様は、王都で」
「父を見張ります。咲かない蕾にもできることはあるわ」
胸元の蕾には、以前見た緑の筋がまだ残っている。
「ミラ様」
「はい」
「森で陛下を眠らせないこと」
「もちろん」
「でも、眠りを敵だと思いすぎないこと」
私は驚いた。
セレスティア様は少しだけ視線を逸らした。
「あなたたちを見ていると、そう思うの。陛下の眠りは怖い。でも、眠りそのものが悪ではないのでしょう」
「はい」
「なら、森でそれを忘れないで」
その言葉は、王妃候補ではなく、一人の女性からの助言に聞こえた。
翌朝、私たちは王都を出た。
表向きは花材採取視察。
実際には、王家の呪いと竜の誓約を追う旅。
同行は、アシュレイ陛下、ノア様、リディア様、イオ、私。
王宮の門をくぐる時、私は振り返った。
高い塔。
花冠院の白い屋根。
第三修復室の小さな窓。
そこから始まった物語は、王宮の外へ出る。
竜眠りの森。
そこには、王妃様が守ろうとしたものと、先代王が破ったものが眠っている。
馬車が動き出す。
隣で、アシュレイ陛下は目を閉じていた。
眠ってはいない。
けれど、ほんの少しだけ体を休めている。
私は契約紙の白い蕾を手元に置いた。
森へ行けば、眠りはもっと近くなる。
記憶も、代償も、嘘も。
それでも進む。
花冠は、ほどけた糸を追わなければ直せない。




