第39話 断片記録
鉄格子の隙間は、人が通れるほど広くなかった。
けれど、記録紙一枚なら通る。
イオが細い鉤針を使い、二番棚の目録写しを少しずつ引き寄せた。
私は息を止めて見守る。
ノア様は通路の入口を警戒し、リディア様は灯り花を手元だけに絞っていた。
旧記録庫の中は暗い。
封鎖された扉の向こうで、記録たちが息を潜めている。
「取れました」
イオが小さく言った。
紙束は古く、端がもろい。
無理に開けば破れる。
リディア様が慎重に一枚ずつめくった。
「王妃記録箱、第一箱。病中記録」
「それは見ました」
「第二箱。夜明け竜胆の花冠修復」
私たちは顔を見合わせた。
続きがある。
「場所は」
「旧記録庫三番棚、奥。封印名は、共眠誓約補修記録」
共眠誓約。
以前、リディア様が話してくれた言葉。
王と竜が眠りを分け合い、人の記憶を奪わないための誓約。
その補修記録がある。
ノア様が低く言う。
「三番棚は見えるか」
鉄格子の向こうを覗く。
見えない。
二番棚の奥、さらに曲がった先だ。
今の通路からは届かない。
リディア様は目録をさらにめくる。
「第三箱。王妃私信。封印」
「私信?」
「王妃様が誰かに宛てた手紙でしょう」
「誰に」
リディア様の手が止まった。
目録の文字は薄い。
けれど読める。
宛先、アシュレイ王子。
陛下への手紙。
私は胸が詰まった。
王妃様は、幼い陛下へ何かを残していた。
それが旧記録庫に封じられている。
「これは陛下に」
言いかけた時、ノア様が手を上げた。
足音。
乾燥室の外。
誰かが近づいてくる。
灯り花を消す。
暗闇。
乾いた花材の匂い。
私の心臓の音。
外から声がした。
「乾燥室の点検は終わったはずだ」
花冠院の修復師。
知らない声。
別の声が答える。
「院長命令だ。旧記録庫周辺は二重確認する」
ノア様が剣に手をかける。
リディア様は目録を胸元に隠した。
イオは青ざめている。
私は、足元に落ちていた小さな花びらに気づいた。
白い花びら。
端が少し黒い。
ユリアン・セイルの手紙に入っていたものと同じだ。
彼はここに来た。
あるいは、ここへ誘導するために花びらを残した。
足音が近づく。
ノア様が私たちを背後へ下げる。
扉が開く寸前、廊下の向こうで別の声が響いた。
「こちらです! 封印糸の束が落ちています!」
足音が止まる。
「何?」
修復師たちはそちらへ走っていった。
誰かが助けた。
今の声は、たぶんパウルだ。
若い修復師たちが、外で注意を逸らしてくれたのだ。
ノア様が低く言う。
「撤収する」
「でも三番棚が」
「今は目録だけで十分だ」
正しい。
ここで欲を出せば、全員捕まる。
私たちは乾燥室を抜け、別の階段から地上へ戻った。
王の書庫へ着くと、アシュレイ陛下が待っていた。
眠っていない顔。
でも、今夜はいつもより落ち着かない様子だった。
「遅い」
「すみません」
「無事ならいい」
短い言葉。
その短さに心配が詰まっている。
リディア様が目録写しを広げた。
「王妃記録箱には続きがあります。共眠誓約補修記録。さらに、陛下宛ての私信」
陛下の顔から色が引いた。
「私宛て?」
「はい」
陛下は目録に手を伸ばしかけ、止めた。
触れれば残響が来るかもしれない。
眠りの呪いを刺激するかもしれない。
彼は手を握りしめた。
「どこにある」
「旧記録庫三番棚奥です」
「封鎖を解く」
ノア様が言う。
「院長は抵抗します」
「分かっている」
陛下は目録を見つめた。
「だが、母が私に残したものを、これ以上他人の棚に置いておくつもりはない」
その声は、王のものだった。
同時に、息子のものでもあった。
私は黙って目録の端を押さえた。
そこに、薄い花の香りが残っている。
夜明け竜胆。
竜眠りの森にだけ咲く花。
共眠誓約の記録を開くには、王都の旧記録庫だけでは足りないのかもしれない。
森へ行く必要がある。
その予感が、花の香りと一緒に胸へ入ってきた。




