第26話 祝福花の毒
夜会の終わり際、最初に倒れたのは神殿の誓約監督官だった。
白い髭の老人で、儀礼の間ずっと王家の祝福花を管理していた人だ。
彼は祝福花の杯を手にしたまま、突然膝をついた。
広間が悲鳴で揺れる。
毒。
誰もがそう思った。
ノア様は一瞬で陛下の前に出た。
近衛たちが広間の出入り口を封鎖する。
侍女長が私の腕を引き、柱の影へ下げようとした。
「待ってください」
「ミラ様、下がって」
「祝福花を見ます」
「今は毒の可能性が」
「だからです」
倒れた監督官の近くには、祝福花を浮かべた銀杯が落ちていた。
花は白い。
けれど香りが変だ。
毒草の匂いではない。
腐敗でもない。
むしろ、香りが整いすぎている。
私は近づこうとして、ノア様に止められた。
「触るな」
「触れません。見るだけです」
「君の見るだけは信用ならない」
ひどいが、反論しづらい。
アシュレイ陛下が言った。
「ノア。距離を取って見せろ」
「陛下」
「彼女は毒見ではなく花を見る」
ノア様は渋々、私を銀杯の近くまで連れていった。
触れない距離。
でも、香りは分かる。
祝福花は、式典や夜会で無害な祝福を示す花だ。
本来なら、香りは薄く、少しだけ蜜のような温かさがある。
今落ちている花は、その温かさが不自然に強い。
強すぎる祝福。
私は息を止めた。
「毒ではありません」
周囲がざわめく。
「何だと」
貴族の誰かが言った。
「監督官は倒れている」
「毒なら花は拒絶反応を起こします。この花は拒絶していません。むしろ、祝福を過剰に見せようとしています」
リディア様が近づき、花を確認した。
「祝福偽装」
彼女の声が硬くなる。
「古い手口です。毒ではなく、祝福花の意味を過剰に増幅して、受け取った者の誓約感覚を乱す」
誓約感覚。
人が花冠や誓約花を正しく認識するための感覚だ。
それが乱れれば、花の意味を読み違える。
「監督官は」
「命に別状はないはずです。ただ、一時的に祝福と命令の区別がつかなくなる可能性があります」
命令を祝福だと思う。
祝福を命令だと思う。
夜会でそれが起きれば、誰かの発言や誓約が歪められる。
アシュレイ陛下の顔が冷えた。
「誰を狙った」
リディア様は祝福花を見た。
「監督官ではありません。花は杯に触れた者全員へ薄く影響するよう調整されています」
広間の貴族たちが一斉に自分の杯を見る。
祝福花は、乾杯の時に全員の杯へ浮かべられていた。
私は自分の杯を思い出した。
飲んでいない。
陛下の皿から菓子は取ったが、杯には口をつけていない。
陛下も、ほとんど飲んでいないはずだ。
でも、セレスティア様は?
視線を探す。
彼女は広間の端に立っていた。
顔色が悪い。
胸元の咲かない蕾が、かすかに震えている。
ヴァーン公爵がその隣で、穏やかに何かを囁いていた。
私は足を踏み出した。
ノア様が止める。
「どこへ」
「セレスティア様の花が変です」
「今は動くな」
「でも」
その時、セレスティア様がゆっくりと前へ出た。
公爵の声が聞こえる。
「王妃候補として、陛下へ祝福を」
祝福。
命令。
区別がつかなくなる。
セレスティア様の足取りが、どこか不自然だった。
彼女自身の意思ではなく、祝福という形をした命令に押されている。
私は侍女長の手を振りほどいた。
「セレスティア様!」
広間中の視線が私へ集まる。
セレスティア様がこちらを見る。
その目は、冷静に見えて、奥が揺れていた。
「その花を見てください」
私は叫んだ。
「あなたの蕾です。今、咲こうとしているのではなく、こじ開けられています」
セレスティア様の指が胸元の蕾へ触れた。
公爵の顔から笑みが消える。
「ミラ様。夜会の場で何を」
「祝福偽装です」
私は公爵を見ずに言った。
「祝福花が、命令を祝福に見せています。セレスティア様の花は拒んでいます」
ざわめき。
リディア様が銀杯を掲げた。
「花冠院上級修復師として証言します。祝福花に偽装反応あり」
神殿監督官はまだ倒れている。
誓約監督の証言は取れない。
だから、今この場で花を見る者が必要だった。
セレスティア様の蕾が、震えながら閉じ直した。
彼女は一歩下がる。
それだけで、公爵の命令から逃れたのだと分かった。
アシュレイ陛下が広間の中央へ進み出る。
「全ての祝福花を回収し、封印せよ。今宵の追加誓約、婚約、祝福宣言は無効とする」
王の声が広間を支配した。
貴族たちは青ざめ、侍女たちは杯を回収し、近衛は出入り口を固める。
公爵は礼をした。
「陛下。何者かが春祭りを汚したようですな」
「そうだな」
陛下は公爵を見た。
「誰が汚したか、必ず調べる」
公爵は笑っていた。
けれど、白薔薇の香りが少しだけ濁っていた。
夜会は、そのまま中断された。
毒ではなかった。
だからこそ、もっと王宮らしい事件だった。
人を殺すのではなく、意思を花で曲げる。
十五番の婚約花冠と同じ手つきが、今度は祝福の形で広間に現れたのだ。




