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第25話 王の隣

 夜会の中盤、音楽が変わった。


 ゆるやかな舞曲。

 王族と高位貴族が最初に踊り、そこから広間全体へ輪が広がる。


 私は当然、踊れない。


 礼法教師のマルタ先生は、最低限の足運びだけは叩き込んでくれた。

 けれど「最低限」と「王の隣で踊れる」は、花びら一枚と花冠くらい違う。


「踊らなくてもよい」


 アシュレイ陛下はそう言った。


 私は心からほっとした。


「助かります」


「ただし、踊らない理由がいる」


「足を踏むからでは」


「私の足なら構わない」


「陛下」


「冗談だ」


 分かりにくい。


 陛下は広間を見渡した。


「今夜の目的は、君を見せることだ」


「見せ物ですか」


「違う。隠さないという意思表示だ」


 隠さない。


 王の仮婚約者として。

 王命特任修復師として。

 十五番の花冠を救った者として。


 私を隠さないことは、陛下の秘密を隠すことと矛盾しているようで、実はつながっている。

 隠しすぎれば消される。

 見せすぎれば利用される。

 その間を歩くのが王宮なのだろう。


 舞曲が始まる。


 セレスティア様が、ヴァーン公爵の隣にいた。

 何人もの貴族が彼女へ視線を向けている。王妃候補として、今夜陛下と踊るはずだった人。


 その彼女は、踊らなかった。


 咲かない蕾を胸に、静かに立っている。


 代わりに、ヴァーン公爵が近づいてきた。


「陛下。今宵の最初の舞をどなたとも踊られないのは、少々寂しいことでございます」


「必要ない」


「国民は王の幸福を見たいものです」


「幸福は見世物ではない」


 陛下の声が冷たい。


 公爵は微笑んだまま、私へ視線を移した。


「ミラ様。陛下のお隣に立つなら、王国の目を恐れてはいけませんよ」


 優しい声。

 逃げ道を塞ぐ言葉。


 周囲の視線が集まる。


 下級修復師は踊れるのか。

 王は踊らせるのか。

 仮婚約者は恥をかくのか。


 私は手のひらに汗をかいていた。


 その時、セレスティア様が動いた。


「父上」


 涼しい声が広間に通る。


「王の幸福を見たいのであれば、王の足元に罠を置くべきではありませんわ」


 公爵の笑みが固まる。


 セレスティア様は優雅に近づき、私の隣で礼をした。


「ミラ様は今夜が初めての王宮夜会。最初の舞を強いるのは、花を咲く前に摘むようなものです」


「セレスティア」


「それとも父上は、王国の花を急いで枯らしたいのですか」


 広間の空気が揺れた。


 刺す場所を選ぶ。

 セレスティア様は、それを完璧にやっている。


 アシュレイ陛下が静かに言った。


「セレスティアの言う通りだ。今夜、ミラに舞は求めない」


 公爵は一瞬だけ目を細めた。


「陛下がそう仰せなら」


 彼は礼をし、下がった。


 広間の緊張が少し緩む。


 セレスティア様は私を見た。


「逃げ道を使うのが遅いですわ」


「すみません」


「謝りすぎ」


 また叱られた。


 陛下がセレスティア様へ向き直る。


「助かった」


「陛下を助けたのではありません。父が見苦しかっただけです」


「それでも礼を言う」


 セレスティア様は一瞬だけ黙った。


 それから、胸元の蕾へ指を添える。


「礼なら、いつかこの蕾が咲かない理由を聞いても、笑わないでくださいませ」


 陛下の表情が少し変わった。


「笑わない」


「ミラ様も」


「はい」


 セレスティア様は満足したように頷き、広間の人波へ戻っていった。


 その背中を見送っていると、陛下が低く言った。


「彼女は強い」


「はい」


「強い人間ほど、折れる音が聞こえにくい」


 私は胸元の白薔薇を見た。


 踏まない訓練。

 咲かない蕾。

 父への反抗。


 セレスティア様もまた、どこかで保留箱を必要としているのかもしれない。


 夜会の後半、私は陛下の皿から菓子を一つ取った。

 毒対策。

 そういう名目だ。


 小さな蜂蜜菓子。


 口に入れる。


 甘さは、まだ遠い。

 でも、完全ではない。


「どうだ」


 陛下が聞く。


「少し分かります」


「そうか」


 陛下は安堵したように言った。


 その様子を、近くの貴族たちが見ていた。


 王が下級修復師の味覚を気にしている。

 王が自分の皿から菓子を取らせた。

 王が仮婚約者を庇った。


 噂は今夜、また花粉より早く飛ぶだろう。


 でも、私は不思議と怖くなかった。


 王の隣に立つことは、見世物になることではない。

 見られながらも、自分が何を踏まないか選ぶことだ。


 夜会の終わり、陛下は私を大広間の中央ではなく、少し外れた花灯りの下へ連れていった。


「疲れたか」


「はい」


「よく立った」


 その一言だけで、膝から力が抜けそうになった。


「まだ夜会は終わっていません」


「少し休め」


「仮婚約者が休んでよいのですか」


「王命だ」


「便利ですね」


「たまには使う」


 私は笑った。


 花灯りの下で、陛下は私の胸元の白薔薇を見た。


「セレスティアの花か」


「はい」


「枯れていないな」


「踏まれていませんから」


 陛下は少しだけ頷いた。


「君も、今夜は踏まれなかった」


「少し踏まれかけました」


「なら、次はもっと早く避けろ」


 その声には、かすかな笑いがあった。


 王宮の花は、まだ怖い。

 でも、王の隣には、少しだけ息をする場所があった。


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