第17話 旧記録庫の鍵
旧記録庫は、花冠院の地下にある。
そう教えてくれたのはリディア様だった。
「今は使われていないことになっています」
なっている、という言い方が引っかかった。
私たちは王の書庫に集まっていた。
アシュレイ陛下、ノア様、リディア様、私。
机の上には十五番の婚約花冠、封印糸第二七束の断片記録、そして院長室で回収した入職誓約花の黒ずんだ花びら。
小さな証拠が増えるほど、部屋の空気は重くなっていく。
「旧記録庫には何があるのですか」
私が聞くと、リディア様はすぐには答えなかった。
「花冠院が、表の記録に残したくなかった修復記録」
「違法なものですか」
「全部がそうではないわ。王家の私的な花冠、戦時中の緊急修復、失敗した誓約の記録。公表すれば混乱するものを、封印して残した場所」
ノア様が眉をひそめる。
「残しているだけまし、と見るべきか」
「消す勇気もなかったのよ」
リディア様の声には、自分を責める響きがあった。
陛下が言う。
「リディア。君は旧記録庫に入ったことがあるな」
「一度だけ」
「いつ」
「王妃様が亡くなられた年です」
部屋が静まった。
王妃様。
陛下の母。
アシュレイ陛下は、表情を変えなかった。
けれど、指先が机の上で止まった。
「母の記録があるのか」
リディア様は目を伏せた。
「あるはずです」
「なぜ今まで言わなかった」
責める声ではなかった。
だからこそ、リディア様は苦しそうに唇を噛んだ。
「怖かったからです」
短い答え。
けれど、その中に十年分の沈黙があった。
「王妃様の死のあと、旧記録庫は院長権限で封鎖されました。当時の私は正修復師になったばかりで、何もできなかった。記録を見たことも、見た内容も、誰にも言えませんでした」
陛下はしばらく黙っていた。
「今は言えるか」
「はい」
リディア様は懐から小さな鍵を取り出した。
黒い鉄の鍵。
持ち手に、夜明け竜胆の模様が刻まれている。
「旧記録庫の副鍵です。捨てられませんでした」
鍵は、リディア様の手の中でわずかに震えていた。
私はその震えを見て、昨夜の十五番を思い出した。
恐怖で折れた花。
恐怖で閉じた記録。
「リディア様」
「何?」
「怖いなら、私が持ちます」
リディア様は少し驚いた顔をした。
それから、首を横に振った。
「いいえ。怖いから、私が持つわ」
その答えに、私はこの人を前より少し好きになった。
旧記録庫へ向かうには、花冠院の地下回廊を通る必要がある。
院長に知られず入るのは難しい。
だから陛下は、あえて正式に通知した。
王命により旧記録庫を開示せよ。
真正面から。
オルド院長は拒まなかった。
拒めば、そこに何かあると認めることになるからだ。
ただし、彼は立会いを求めた。
花冠院長、上級修復師二名、王宮監査官、近衛、王。
そして、仮婚約者である私。
仰々しい一行で地下へ降りることになった。
階段は湿っていた。
壁の灯り花は古く、ところどころ枯れている。
花冠院の上階はいつも香りに満ちているのに、地下は土と錆の匂いがした。
リディア様が鍵を握りしめている。
陛下は隣を歩いていた。
「大丈夫か」
誰に向けた言葉か、一瞬分からなかった。
リディア様か。
私か。
それとも、自分自身か。
「大丈夫です」
私は答えた。
リディア様も、少し遅れて頷いた。
旧記録庫の扉は、地下回廊の突き当たりにあった。
黒い鉄扉。
蔓の模様はなく、花もない。
ただ、中央に夜明け竜胆の古い紋章が刻まれている。
オルド院長が言った。
「陛下。旧記録庫には、王国の安定に関わる機密が含まれます。開示範囲は慎重に」
「慎重に見る。隠すためではなく、壊さず開くために」
リディア様が鍵を差し込む。
回らない。
彼女の手が震える。
「貸してください」
私が言うと、リディア様は迷ったあと鍵を渡した。
鍵は冷たかった。
私は鍵穴に触れる前に、扉へ耳を近づけた。
花はない。
でも、誓約の残響はある。
この扉は、ずっと何かを閉じ込めてきた。
私は鍵を差し、ゆっくり回す。
かちり、と音がした。
扉が開く。
中から、古い花の香りが流れ出した。
白薔薇。
竜草。
月桂樹。
そして、どこかで嗅いだ黒い鱗の匂い。
陛下が息を止めた。
旧記録庫の奥、一番古い棚の上に、黒い布をかけられた箱があった。
箱には、王妃の紋章。
アシュレイ陛下の母の花冠記録が、そこに眠っていた。




