第16話 院長の静かな刃
院長室の前には、修復師が二人立っていた。
どちらも正修復師。
花冠院の中堅で、普段なら下級修復師の私など目に入れない人たちだ。
けれど今は、私を見るなり道を塞いだ。
「ミラ・リース。ここは院長室です」
「リディア様は中にいますか」
「答える義務はありません」
ノア様が一歩前へ出た。
「王命で確認する」
修復師たちの顔色が変わる。
「王宮近衛が花冠院内部へ干渉するには、正式な」
「正式な手続きなら後で整える。今は人命確認だ」
ノア様の声は静かだった。
静かな分、剣より鋭い。
扉の向こうから、リディア様の声が聞こえた。
「私は無事です」
無事。
でも、声が硬い。
ノア様が扉を開けた。
院長室は、花冠院の中で最も整った部屋だった。
壁一面の記録棚。
中央の大机。
窓辺には、歴代院長の誓約花を編んだ古い花冠。
オルド院長は机の向こうに座っていた。
リディア様は部屋の中央に立たされている。
その手元には、封印された小箱。
切り取られた記録ページが入っているのだろう。
「騒がしいことです」
院長は穏やかに言った。
「花冠院は王宮市場ではありませんよ」
ノア様は礼をしない。
「リディア・カロル上級修復師の身柄を確認する」
「身柄とは物騒な。私は部下に事情を聞いていただけです」
リディア様は私を見た。
目で、何も言うなと告げている。
でも、私は机の上を見てしまった。
金の鋏飾り。
花冠院長の証。
十五番の残響で見えたものと同じ形。
断定はできない。
でも、花は覚えている。
「ミラ・リース」
院長が私の名を呼んだ。
「はい」
「君は最近、自分の立場を誤解しているようですね」
「どういう意味ですか」
「下級修復師は、花冠院の規定に従うものです。仮婚約者という一時的な立場があっても、修復師としての所属は変わらない」
院長の声は優しい。
優しい刃だ。
「君の能力について、正式な報告がありません」
来た。
胸の奥が冷える。
「能力とは」
「花の感情を読む力です」
ノア様が身構える。
リディア様が唇を噛む。
院長は続けた。
「隠していたのですか」
「正式に測定されたものではありません」
「ならば測定しましょう」
院長は机の引き出しから、黒い小箱を出した。
「花冠院には、特殊能力を持つ修復師を保護し、適切に配置する制度があります」
保護。
適切。
配置。
どれも綺麗な言葉だ。
けれど、箱の中から漂う匂いは綺麗ではなかった。
古い封印糸。
薬草。
そして、感情を鈍らせる眠り花。
リディア様が声を上げた。
「院長、それは旧式の測定花です。今は使用禁止のはずです」
「緊急時には許可されます」
「誰の許可ですか」
「院長の許可です」
自分で自分を許可する。
花冠院の閉じた輪。
私は一歩下がった。
ノア様が私の前に出る。
「ミラ・リースは王命で保護下にある」
「王命であっても、修復師資格の管理権は花冠院にあります」
院長は微笑んだ。
「それとも、陛下は仮婚約者を修復師ではなく所有物として扱われるのですか」
卑怯な言い方だった。
陛下は、私を所有しないと契約した。
それを知っているはずがないのに、院長は一番嫌な場所を突いてくる。
私はノア様の前へ出た。
「測定は拒否します」
院長の目が細くなる。
「拒否?」
「はい。修復師本人の同意なき能力測定は、現行規定では禁止されています」
リディア様が小さく息を呑む。
私は第三修復室で、規定書を何度も読んでいた。
上級修復師になるためではない。
下級修復師が、どこまで命じられていいのか知るためだ。
「君は規定を持ち出すのですね」
「花冠院の者なので」
院長の笑みが薄くなる。
「では、別の規定を教えましょう。修復師が重大な能力を隠し、王家花冠に無許可で触れた場合、資格停止の対象になります」
「王の許可はありました」
「花冠院の許可はありません」
静かな刃が、私の足元を削っていく。
資格停止。
修復師でなくなる。
それは私にとって、ただ仕事を失うことではない。
壊れた花を保留箱へ入れる理由を失うことだ。
その時、扉が開いた。
アシュレイ陛下が立っていた。
誰もすぐに声を出せなかった。
陛下は眠らない顔で、まっすぐ院長を見た。
「花冠院長。今の話は、私の前で続けろ」
院長が立ち上がり、礼をする。
「陛下。これは花冠院内部の」
「ミラ・リースは私の仮婚約者であり、王命で王家花冠修復に関わる者だ。内部の話では済まない」
「しかし」
「そして」
陛下の声が低くなる。
「彼女を所有物として扱わない契約を、私は彼女と結んでいる」
院長の目がわずかに揺れた。
契約。
王と下級修復師が、対等な条件を紙に残した。
王宮の常識からすれば異様だろう。
でも、だからこそ強い。
陛下は私の横に立った。
「彼女の能力測定は、本人の同意、代償記録、リディア・カロルの立会いなしには認めない」
リディア様が深く頭を下げた。
ノア様は、ほんの少しだけ安堵した顔をした。
院長は礼をしたまま言う。
「承知いたしました」
言葉だけなら従順だった。
けれど窓辺の歴代院長の花冠が、かすかに黒ずんだ。
私はそれを見た。
院長も、たぶん気づいた。
花は嘘をつかない。
この部屋の花冠は、今の従順が嘘だと知っている。
院長室を出る時、陛下が低く言った。
「次は、こちらから動く」
「どうするのですか」
「旧記録庫を開ける」
リディア様の顔色が変わった。
「陛下、あそこは」
「知っている。だから開ける」
花冠院の一番古い記録庫。
王家と竜の誓約に触れる場所。
十五番の糸は、そこへ続いているのかもしれない。




