第116話 第三修復室ではなく
第三修復室の札を外す日、私は少し泣いた。
自分でも驚いた。
あの部屋は、最初は処分室だった。
壊れた花冠、規格外の誓約花、誰も触りたがらない花が送られてくる場所。下級修復師の私が、一人で花の最後の感情を読んでいた場所。
寂しくて、暗くて、でも私の居場所だった。
だから札が外される時、嬉しいだけではなかった。
終わることは、やはり少し寂しい。
パウルとニナが脚立を押さえ、イオが新しい札を持っている。
リディア様は儀式めいた顔で立っていた。
カッサは「札くらいさっさと替えな」と言いながら、わざわざ見に来ている。
新しい札には、こう書かれている。
再読室。
その下に小さく。
保留、記録、本人同意。
私は古い札を手に取った。
第三修復室。
木の角が擦り切れている。
たくさんの花を受け取った手の跡がある。
「捨てますか」
イオが聞いた。
私は首を振る。
「記録として残します」
リディア様が頷いた。
「処分室だった歴史も、消さない方がいい」
古い札は、再読室の棚に置かれることになった。
見える場所に。
隠さないために。
再読室の運用は、以前と大きく変わった。
壊れた花は、まず保留箱へ。
持ち主本人への聞き取り。
修復師二名以上の確認。
深読みには同意書と補助糸。
代償記録の義務。
民間技術の参照。
無花者や花を持たないケースの相談窓口。
書類は増えた。
面倒でもある。
でも、その面倒さが人を守る。
昼過ぎ、アシュレイ陛下が再読室を訪れた。
新しい花冠は今日は身につけていない。代わりに、簡素な休眠用の花紐を手首に巻いている。
「様子を見に来た」
「視察ですか」
「半分」
「残り半分は」
彼は少し黙った。
「君の居場所が変わる日を見たかった」
胸が温かくなる。
この人は、そういうことを言うようになった。
以前なら、王命や必要性の形をしていた言葉が、今は少し不器用なまま届く。
「寂しいです」
私は正直に言った。
「良い変化なのに」
「良い変化でも、寂しいものは寂しい」
陛下は頷く。
「私も、古い戴冠花冠をほどいた時、少し寂しかった」
王を縛った冠でも。
眠りを奪った冠でも。
それは彼の十年を一緒に過ごしたものだった。
私たちは、悪いものを捨ててすっきり終わるわけではない。
悪かったものにも、自分の時間が絡んでいる。
だから記録する。
私は古い札を棚に置いた。
その隣に、新しい保留箱を並べる。
第三修復室ではなく、再読室。
処分ではなく、保留。
孤独な読み取りではなく、共同の記録。
でも、壊れた花を見捨てないという核は変わらない。
陛下が言った。
「似合っている」
「部屋がですか」
「君も、部屋も」
私は少し照れた。
カッサが後ろで咳払いする。
「仕事場で甘い空気を出すんじゃないよ」
リディア様が真面目に「甘味反応は検出されていません」と返し、全員が少し笑った。
再読室は、笑い声から始まった。
それは第三修復室にはなかった音だった。




