第115話 誰も全部を奪われない
共眠誓約の結び直しから一月後、最初の報告会が開かれた。
場所は花冠院の大講堂。
もう白い壁だけの場所ではない。
入口にはフロレアの保留糸の見本、無花者の空白冠、記憶保留花の作り方、候補者本人宣言の写しが並んでいる。
第三修復室の札は外されていた。
代わりに、新しい札がかかっている。
再読室。
壊れた花をもう一度読む場所。
私はその札を見るたび、まだ少し落ち着かない。
でも、嫌ではない。
報告会では、各地の状況が共有された。
王の眠りは、週に三度、短時間から始めている。
眠りのたびに、軽い眠気共有はあるが、重大な記憶欠落は起きていない。
記憶保留花は王都だけでなく、フロレア、北方、商都、神殿領へ広がっている。
無花者の身分記録制度は、花を持たないことを欠落として扱わない形へ改定中。
商業奉公花の追加条件監査も始まった。
すべて順調、ではない。
反発もある。
貴族院の一部は、王が民に頼りすぎると批判している。
地方では、無花者保護を嫌う役人が抵抗している。
花冠院内部にも、昔の規格へ戻したがる者がいる。
それでも、問題が記録に上がるようになった。
隠されない。
それだけで、以前とは違う。
報告会の最後、記憶被害の追跡が行われた。
戻った記憶。
戻らない記憶。
別の人が補っている記憶。
老婦人は蜂蜜菓子の甘さをまだ思い出せない。
けれど孫が一緒に作り直し、新しい味を記録した。
リナは母の菓子の配合を一つ失ったままだ。
だが、その空白から新しい菓子が生まれ、宿の名物になり始めている。
トマは昨日遊んだ子の顔を思い出せなかったことを、相手の子と一緒に絵に描いた。
完全には戻らない。
でも、消えたまま一人で抱えるのでもない。
報告を聞きながら、私は母の痛みを思う。
私も全部は戻していない。
でも、その空白と暮らし始めている。
アシュレイ陛下は報告席で、一つ一つに耳を傾けていた。
王が謝罪して終わるのではなく、記録を聞き続ける。
それも王の仕事になった。
報告会の後、再読室に一人の少女が来た。
壊れた婚約花を抱えている。
昔の私のように、不安そうな顔。
「これは、捨てられますか」
私は首を振った。
「まず、保留箱に入れましょう」
少女は泣きそうになった。
「すぐに悪い花だと決まらないのですか」
「決めません」
私は箱を開ける。
白い布が敷かれた、小さな場所。
少女の花をそこへ置く。
花は震えながらも、少しだけ息をした。
誰も全部を奪われない。
その言葉は、眠りだけではなく、花にも人にも必要だった。
再読室の窓から、王宮の庭が見える。
アシュレイ陛下が、公開休眠室へ向かうところだった。
途中でこちらに気づき、小さく手を上げる。
私は笑って頷いた。
王は眠りに行く。
私は壊れた花を保留箱に入れる。
それぞれの仕事が、同じ輪の中にある。
その日、再読室の棚には十五番の押し花も置かれた。
花の墓場と呼ばれた場所から始まったものが、今は誰かの記憶を置いておく棚になっている。
完璧ではない。
でも、続いている。




