第114話 人前で眠る王
アシュレイ陛下は、広場で十分だけ眠った。
十分。
短い。
けれど王国にとっては、十年より長い十分だった。
人々は息を殺していた。
王が眠る。
花冠が光る。
眠りが輪を通って流れる。
誰かの記憶が奪われるのではないかと、誰もが怖がっていた。
私も怖かった。
白い誓約花を握る手に、汗がにじむ。
しかし眠りは、穏やかに広がった。
広場にいた人々は、少しずつ目を細めた。
眠気が来る。
でも、それは暴力ではなかった。
疲れた時に椅子へ座るような眠気。
誰かのそばで目を閉じてもよいと思える眠気。
子どもが一人、母親の膝で寝息を立てた。
それを見た瞬間、広場の緊張が少し解けた。
王が眠る横で、子どもも眠る。
誰も記憶を奪われずに。
トマが小声で言った。
「王様、普通に寝てる」
カッサが笑いをこらえる。
「そうだね。ようやく普通だ」
普通。
その言葉が、こんなに尊いものだとは思わなかった。
十年、眠れなかった人が普通に眠る。
ただそれだけのことが、国の形を変えている。
十分後、陛下は目を開けた。
最初に自分の手を見る。
次に、周囲を見る。
「誰か」
「大丈夫です」
私はすぐ言った。
「誰も大切な記憶を失っていません。眠気を分けただけです」
リディア様が記録を確認する。
「軽度の眠気共有。記憶欠落反応なし。花冠の保留層、正常」
広場から、息を吐く音が広がった。
拍手はすぐには起きなかった。
人々はまだ、何が起きたのか確かめていた。
やがて、誰かが小さく手を叩いた。
一人。
二人。
それが少しずつ広がる。
祝福だけではない拍手。
安堵と、警戒と、まだ続く監視の拍手。
アシュレイ陛下は立ち上がり、人々へ頭を下げた。
王が、人前で眠ったことへ。
眠りを見守った人々へ。
そして、これからも見守ってほしいという誓いへ。
その後、王宮内に「公開休眠室」が作られることになった。
名前は少し硬い。
王だけでなく、花冠院の修復師、記録官、必要な立会人が眠りの状態を確認する部屋。
眠りを隠さないための場所。
ノア様は警備計画で頭を抱え、メイベルは維持費の計算を始め、フィオナは神殿の祝祷を入れるべきか悩み、カッサは「寝るだけの部屋に名前をつけるんじゃないよ」と文句を言った。
私は少し笑った。
こういう騒がしさが、日常になっていくのかもしれない。
夕方、陛下は書庫でまた短く眠った。
今度は人前ではない。
でも隠れてもいない。
私は記録係としてそばにいた。
眠る横顔は、まだ疲れている。
けれど、以前のように自分を罰する眠らなさではない。
目を覚ました時、彼は私を見た。
「普通に眠るのは、難しいな」
「練習が必要です」
「君も休む練習をしている」
「はい」
お互い様だ。
でも以前のような危うさではない。
互いに止め、頼り、記録するためのお互い様。
人前で眠る王は、弱く見えるかもしれない。
けれど私は、その姿を強いと思った。
強さを隠すためではなく、弱さを扱うための強さだった。




