第105話 目覚めの代償
アシュレイ陛下が目覚めた時、大広間の花は半分散っていた。
彼はゆっくり目を開けた。
最初に見たのは、王冠ではなかった。
天井でも、近衛でもない。
白い誓約花を抱えた私だった。
「ミラ」
名前を呼ばれた瞬間、私は膝から崩れそうになった。
戻った。
彼は戻った。
大広間に安堵が広がる。
ノア様は顔を伏せ、リディア様は泣き、イオは記録板に涙を落とした。カッサは「起きるのが遅い」と文句を言い、トマはその場で座り込んだ。
アシュレイ陛下は体を起こそうとした。
すぐにノア様が支える。
「急がないでください」
「どれくらい眠った」
「七日です」
陛下は目を閉じた。
七日。
十年の不眠のあとに来た、長い眠り。
「記憶は」
彼の問いに、広間が静まる。
リディア様が答えた。
「全員が何かを少し失いました。ただし、記憶保留花によって名前と場所は記録されています。戻ったものもあります。戻らないものも」
陛下は深く息を吸った。
「私が」
「一人で奪ったのではありません」
私は言った。
「でも、被害はあります」
逃げないために、両方言う。
陛下は頷いた。
「記録を見せてくれ」
「休んでから」
「王として」
「人として休んでからです」
自分でも驚くほど強く言った。
広間の一部から小さな笑いが起きる。
陛下は少しだけ困った顔をした。
「では、人として少し休む」
その言葉だけで、また泣きそうになった。
だが、安堵だけでは終わらない。
私は自分の代償を確認していた。
母の声は、少し戻った。
けれど、別のものが欠けている。
母の痛みの一部。
置いてきたのだから当然だ。
思い出せる。
母を失った悲しみもある。
でも、子どもの頃から胸の奥に刺さっていた鋭い棘が少し鈍い。
それは救いでもあり、喪失でもあった。
痛みが私を作っていた部分もある。
陛下は私の顔を見た。
「君は何を失った」
隠せない。
隠してはいけない。
「母に置いていかれた痛みの一部を、置いてきました」
彼の目が揺れる。
「それは」
「戻したいかどうか、まだ分かりません」
正直に言った。
「楽になった気もします。でも、寂しいです」
陛下は手を伸ばしかけて、止めた。
そして白い誓約花へ指を添えた。
「記録しよう」
「はい」
「君が失ったものも、国が失ったものと同じように」
私は頷いた。
自分の代償を、特別扱いで隠さない。
大広間の片隅に、新しい記録簿が開かれた。
眠り分有記録。
そこに私は書いた。
ミラ・リース。
母に置いていかれた痛みの一部。
状態: 喪失ではなく分有。
備考: 母の名、手、声の一部は保持。
書き終えると、白い誓約花が静かに揺れた。
アシュレイ陛下はその記録を見て、長く黙っていた。
「ありがとう」
彼は言った。
「戻ってきてくださって、ありがとうございます」
私が返すと、彼は少し笑った。
「待つと言っただろう」
「はい」
彼は戻った。
でも、すべてが戻ったわけではない。
だからこそ、ここから先は目覚めた後の仕事だった。




