357 朝焼けの別れと黒鎧の大盾使い
翌朝、エデン・セントラル駅。東の空がようやく白み始め、朝陽が巨大なガラス張りのドーム屋根に差し込む頃、駅のコンコースはすでに多くの人々で活気づいていた。
その一角、豪華な装飾が施されたVIP専用の改札前には、カシューとのデートのために一日帰国を遅らせたシャーロットを見送るため、カシュー本人とカリナ達特記戦力、そしてシャーロットの護衛として同行している数人のマギナ近衛兵達の姿があった。
「朝早く送ることになってしまい、申し訳ありません」
カシューが少しだけ申し訳なさそうに頭を下げると、マギナの女王としての豪奢なドレスに身を包んだシャーロットは、ふわりと優雅に微笑んだ。
「いいえ、魔導列車の運行時間を考えれば仕方がありませんわ。次はマギナでお会いできることを楽しみにしております、カシュー様、みなさん。では、失礼致します」
気品に満ちたカーテシーを披露した彼女は、VIPの改札を抜け、南へと向かう『マギナ号』が停車しているホームへと歩き出した。改札の外からは、早朝から駅を利用するエデンの住民達が、その光景を遠巻きに見つめてざわついている。
「おい、あの方……カシュー陛下じゃないか?」「隣におられたのは、マギナのシャーロット女王陛下だぞ」「朝から直々にお見送りとは、城下で流れていたデートの噂は本当だったのか……」
そんな周囲の囁き声が聞こえる中、ホームへと向かっていたはずのシャーロットが、不意に歩みを止めた。そして、何かを決意したように踵を返すと、驚く近衛兵達を置き去りにして、パタパタと小走りでカシューの元へと駆け寄って来た。
「えっ……シャル?」
カシューが目を見開いた次の瞬間、シャーロットは勢いよくカシューの胸に飛び込み、その細い腕で彼の背中を力強く抱き締めた。そして、安心できる温もりを求めるように、カシューの胸板に顔を埋める。突然の抱擁に完全に硬直したカシューの背後で、カグラ、サティア、エヴリーヌ達が「あらあら」と口元を隠し、ニヤニヤと楽しげに微笑み合っているのが気配でわかった。
「カシュー様……。あなたが悪魔の討伐を完遂させたとき、何が起こるのかはわかりませんが……」
カシューの胸に顔を押し当てたまま、シャーロットは震える声で紡いだ。
「わたくしは、あなたをお慕いしておりますわ」
その直球の、あまりにも純粋な想いの吐露に、カシューの胸の奥で鋭い痛みが走った。この虚構の世界で悪魔を殲滅した暁には、自分達PCは現実世界へと帰還する。残される彼女達NPCに、自分達の真実を語ることは女神アリアとの契約により固く禁じられている。決して交わることのない未来を知りながら、それでもカシューは、王として、そして一人の男として、最大限の誠意を込めて彼女の背中にそっと手を回した。
「その時は、私にも何が起こるのかはわかりませんが……」
カシューは絞り出すように言葉を紡ぐ。
「この世界を必ず平和にしたいという思いは、変わりません」
それが、今のカシューに言える精一杯の答えだった。その言葉を受け取ったシャーロットは、そっと自ら身体を離した。カシューを見上げるその美しい碧眼からは、一筋の透き通った涙が頬を伝い落ちていた。
「ふふ……。わたくしも、女王としての責務を果たします。では、ごきげんよう」
涙を拭うこともせず、シャーロットは最高の笑顔を見せると、今度こそ振り返ることなく近衛兵達と共にマギナ号のホームへと向かっていった。やがて、重厚な汽笛の音と共に、強大な魔力駆動音を響かせてマギナ号が発車し、南の空へと吸い込まれるように見えなくなっていく。
「ふぅ……、最後までドタバタだったな」
カシューが大きく息を吐き出しながらカリナ達の方を振り返ると、特記戦力の面々はそれぞれの反応を示した。
「にしし、そうだな」
エクリアが悪戯っぽく笑い、エヴリーヌとカグラは「ひゃっほいひゃっほい」と謎のステップを踏みながら、カシューを囃し立てている。そんな中、カリナはすっとカシューの隣に並び立つと、小さな手で彼の肩をポンと叩いた。
「大変だったな、帰ろう」
その無自覚な気遣いと親友としての温かな言葉に、カシューは憑き物が落ちたような柔らかい笑みを浮かべた。
「ああ、そうだね」
一同は朝の喧騒に包まれ始めた駅を出ると、待機していたガレオスの装甲車に乗り込み、一路エデンの王城へと帰還していくのだった。
◆◆◆
その頃。エデン王城の巨大な正面城門前に、上空から純白の翼を羽搏かせて一頭のペガサスが舞い降りていた。
「ペガサス!?」「まさかカリナ様か!?」
門を警護していた門番達が慌てて姿勢を正すが、ペガサスの背から優雅に降り立ったのは、彼らのよく知るエデンの可憐な召喚魔法剣士ではなかった。
そこに立っていたのは、一際目を引く風貌の女性だった。艶やかな紫のロングヘアは、毛先に向かって鮮やかなピンク色へと美しいグラデーションを描き、朝の風にふわりと靡いている。彼女が纏っているのは、深淵の如き黒い輝きを放つ、セクシーな、上半身はビキニアーマーに近い鎧装備だった。
豊かな双丘の谷間を大胆に晒す胸当ての中央には、黄金に輝く菱形の宝玉が埋め込まれている。引き締まった腹部と白い肌が眩しく自己主張し、肩には堅牢な肩鎧、腕にはガントレットが嵌められ、下半身には白いプリーツの入ったミニスカートを穿いている。その下からは、絶対領域を際立たせるガーターベルトと純白のオーバーニーソックス、そして黒鋼の脚鎧がスラリと伸びる脚のラインを美しく縁取っていた。
そして何より目を引くのは、彼女の背に負われた、身の丈の半分ほどもある巨大な黒いカイトシールドだ。盾の表面には金色の十字星の意匠が施され、ただの装飾品ではない圧倒的な防御性能と重量感を放っている。さらに左腰には、深紅の宝石が柄に嵌め込まれた禍々しい片手剣――魔剣が佩かれていた。
彼女こそ、数日前に魔大陸と化したかつての自分の国『ロザリア』を命からがら脱出したPC、チェトレであった。
「何者だ!」「ここは神聖なるエデンの王城、勝手に通ることは許さん!」
門番達はすぐさま槍を交差させ、鋭い切先をチェトレへと向けた。だがチェトレは少しも動じることなく、涼やかな瞳で彼らを見つめ返した。
「私はロザリアの城主、チェトレよ。カシューに友人として会いに来たのだけど、通してくれるかしら」
「そのような話は聞いていない!」「それにロザリアと言えば、今では悪魔の巣窟たる魔大陸ではないか!」「その100年前に滅んだ国の城主など、信用ならん!」
一切引く様子を見せない門番達の強硬な態度に、チェトレは小さく溜息を吐いた。
「そう……。やはりここでもそう。NPCのはずの門番が、これまで訪れた街の人達と同様、まるで本当に生きているみたいね……」
チェトレは信じられないものを見るような目で門番達を観察したが、彼らの瞳に宿る敵意と使命感は本物だった。交渉の余地はないと悟ったチェトレは、スッと左腰に手を伸ばした。
「通さないのであれば、少し痛い目に合ってもらいましょうか……」
チャキッ、と硬質な音を立てて抜かれたのは、エリックの『魔剣バルムンク』にも引けを取らない超高レアリティの片手剣――『魔剣ダーインスレイヴ』だった。刀身から立ち上る紫黒のオーラが、周囲の空気を一瞬にして冷たく凍りつかせる。
「増援を呼べ!」「カシュー陛下に勝手に会わせることなどできん!」
門番達が叫び、殺気を放って槍を突き出してきた。
「そう、じゃあ仕方ないわね。心配しないで、殺したりはしないから」
チェトレはふわりと微笑むと、流れるような動作で背中の大盾を左腕に構えた。突き出された鋭い槍の穂先を、彼女はカイトシールドの曲面を利用して最小限の動きで滑らせるように弾き流す。相手の体勢が崩れたその一瞬の隙を突き、チェトレは踏み込みと同時にシールド・バッシュを門番の胸当てに叩き込んだ。
「ぐはっ!」
骨を砕かない絶妙な力加減の打撃。門番が息を詰まらせてよろめいたところへ、チェトレは右手首のスナップを利かせ、ダーインスレイヴの『腹』で門番の兜の側面を正確に打ち据えた。
ガキンッ! という金属音と共に、門番は脳髄を揺らされ、糸が切れたように膝を突いて崩れ落ちる。
「くそっ、囲め!」
騒ぎを聞きつけた近衛騎士達が次々と城門から湧き出し、チェトレを包囲する。現場は一気に騒然となった。しかし、チェトレの動きに焦りは一切なかった。殺さずに無力化させるという縛りプレイでありながら、彼女の盾の防御と剣の腹による殴打のコンビネーションは芸術的なまでに洗練されており、近衛騎士達は次々と膝を突かされていく。
「全く、この世界はどうなっているのよ……」
チェトレは小さくぼやきながら、再びダーインスレイヴを構え直した。
◆◆◆
駅からの帰路につき、王城へと続く大通りを走る装甲車の中から、カシュー達の目には城門前で繰り広げられる殺気立った光景が飛び込んで来ていた。
「ガレオス、何事だ」
助手席に座るカシューが鋭く問う。
「わかりませんが、どうやら侵入しようとした者でもいたのでしょうか?」
運転席のガレオスが険しい顔で答えると、後部座席でエヴリーヌにほくほく顔で膝に乗せられていたカリナが、スッと目を細めた。
「まさか、最後の災禍六公か!?」
カリナは即座に『千里眼』を発動させ、城門前の戦況を視覚情報として脳内に引き寄せた。
そこに映し出されたのは、明らかに人間の姿をした、露出の高い黒い、上半身がビキニのような鎧にミニスカートを穿いた騎士クラスの女性だった。彼女は近衛騎士団を相手に大立ち回りを演じているが、殺意は全く感じられない。鋭い斬撃を放つことなく、すべての攻撃を左手の巨大なカイトシールドで受け流し、あるいは盾の面で弾き返し、右手の剣の腹でのみ相手を無力化していくという、圧倒的な実力差を見せつける戦い振りだった。
「いや、人間だ。あれはおそらくPCだぞ」
千里眼を解除し、カリナは断言した。
「カシュー、知り合いじゃないのか? フレンドリストを開いて、新たにインしたやつがいないか確認した方がいい」
その言葉に、カグラが窓の外を凝視しながら記憶を探る。
「あの妙に露出の多い黒い鎧は、見覚えがある気がするわね……」
「ん、ロザリアの国王やってたPCがあんなかなりの高レアの装備を持ってた気がする」
エヴリーヌの記憶力に裏打ちされた推測を聞き、カシューは急いで左腕の冒険者の腕輪を操作してフレンドリストを開いた。そこには、長らくグレーアウトしていた一つの名前が、鮮やかなオンラインの光を放っていた。
「本当だ、あれはロザリアの『チェトレ』だ。まさかこんなタイミングでログインしたのか……!」
カシューは驚愕に目を見開いたが、すぐに王としての冷静さを取り戻した。
「まあいい。ガレオス、側に停めろ」
「はっ!」
PCやらログインといった言葉の意味が理解できないガレオスだったが、主の命令に即座に従い、チェトレ達が戦闘を繰り広げているすぐ傍に、装甲車を急ブレーキで停車させた。
キキィィィッ! という重厚な摩擦音と共に装甲車が止まり、カシュー達が次々と降り立つ。複数の近衛騎士を相手に大立ち回りをしていたチェトレは、装甲車から降りて来た見慣れた青髪の青年を見つけるや否や、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「カシュー!」
彼女は魔剣を鞘に戻し、大盾を背中に背負うと、包囲をすり抜けて一目散に駆け寄り、勢いよくカシューに抱き着いた。
「陛下、危険でございます!」
近衛騎士達が血相を変えて剣を振りかざし、チェトレに迫ろうとする。しかし、カシューは片手を高く上げてそれを制した。
「静まれ」
静かだが、絶対の威厳を伴う王の声音に、騎士達はピタリと動きを止めた。
「この者は私のかねてからの友人だ。共に戦ったこともある。お前達、その忠誠心見事だった。だが今後は、まず私に取り次ぐことを忘れるな!」
「「「はっ、申し訳ありません!」」」
近衛騎士達は一斉にその場に跪き、深く頭を垂れた。
「わかれば良い。彼女とは特記戦力達を交えて執務室で話をする。誰も近づけるな、よいな」
「「「はっ、畏まりました!」」」
一糸乱れぬ声が響き渡り、重厚な城門がゆっくりと開かれる。
「じゃあ行こうか、チェトレ」
「ええ……」
カシューが優しく声をかけると、チェトレは名残惜しそうに彼から離れ、共に城内へと歩みを進めた。カリナ達特記戦力の面々も、その後ろへと続く。カリナは前を歩くチェトレの後ろ姿――特にその際どい装備の数々を見つめながら、呆れたように苦笑した。
「あれがロザリアの城主のPCか。盾持ちの騎士クラス、カーズと同じだな……」
「女神アリアの予想が外れたのかしら。カリナちゃんが最後かもしれないって言ってたわよね?」
カグラが不思議そうに首を傾げると、サティアが優しく微笑んだ。
「ええ、でもあくまで予想ですからね。ここで魔大陸の、ロザリアの地理がわかる彼女が現れたのは、ある意味ラッキーかもしれません」
「にしし、ここに来て面白くなってきたじゃねーの」
エクリアが楽しげに笑う中、ただ一人、グラザだけが酷く困惑した顔で視線を泳がせていた。
「エデンとPvPで、カーズがいなかったとはいえ引き分けた国の城主だからな。心強い戦力と言えば確かにそうだが……あの露出の多い装備はどうにかならんのか。目のやり場に困る……」
顔を真っ赤にしてソワソワする純情な格闘術士に、エヴリーヌがジト目を向ける。
「ん、これだから残念脳筋純情チキンは困る」
「エヴリーヌ、どんどん不名誉な言葉を追加するなよな」
抗議するグラザをよそに、カリナはパンッ! と小さく手を打って場をまとめた。
「さて、そのときのPvPには参加していないから迷惑は掛けたが、この際しっかり話を聞いて情報交換しようじゃないか」
新たなる強力なPCのログイン。彼女がもたらす魔大陸ロザリアの情報が、今後の戦局を大きく左右することは間違いない。一行はそれぞれの思いを胸に抱きながら、カシューの執務室へと向かって石造りの廊下を進んでいくのだった。




