329 金牛の一撃と絆が打ち砕く重力の深淵
メキメキと骨と筋肉を軋ませながら、アスヴァルの巨躯は2.5m程度にまで異常に肥大化していた。浅黒い体表には血管のように不気味な赤い重力紋様が浮かび上がり、脈打つたびに周囲の空間がぐにゃりと歪む。背中の分厚い翼は二対へと増え、頭部の黒曜石のような角は、獲物を容赦なく串刺しにするべく前方へと鋭く伸びた戦闘型の形状へと変貌していた。
「グオオオオオオオオオォォォッ!!!」
アスヴァルが咆哮を上げる。同時に、彼を中心とした半径20mの空間に、先程の『奈落重圧陣』とは比較にならない、常軌を逸した超高密度の重力場『局所重圧領域』が展開された。通常の2〜5倍にまで増幅された局地的重力が、前衛で剣を構えるカシュー、グラザ、そして中衛までカバーしていたカグラの位置まで襲い掛かる。
ズシイイイィッ!!!
「くっ……! なんだ、この重力は……!」
カシューが両手の剣を地に突き立て、辛うじて姿勢を保つ。加護で状態異常は防げていても、純粋な物理的負荷が彼らの機動力を極限まで削いでいく。
その異常な重力の中で、アスヴァル自身の動きも鈍くなっていた。しかし、彼は大きく振り被った魔槍グラビトンの穂先に、空間が黒く染まるほどの重力を一点集中させていく。
「離れろ! あれは喰らったらマズいぞ!」
カリナは、アスヴァルが『崩槍震撃』の予備動作に入ったのを見て鋭く叫んだ。直撃すれば、特記戦力であっても即死は免れない。カシュー、グラザ、カグラの三人は、カリナの警告にすぐさま反応し、重圧に抗いながら瞬歩を限界まで駆使して、後衛陣の元へと一気に距離を取った。
「潰れろォォォォッ!! 『崩槍震撃』!!!」
アスヴァルの魔槍から、極限まで圧縮された重力の直線衝撃波が放たれた。
ズゴオオオオオオオォォンッ!!!
間一髪で重力領域から脱出し、回避したカリナ達の背後。砦の強固な城壁と大地が、まるで脆い泥壁でも抉るかのように一直線に、そして跡形もなく完全に消滅していた。
「……あれは喰らったら致命的だな」
カシューが抉れ飛んだ大地を見て冷や汗を流す。
「真魔解放にはリミットがある。耐えたら勝ちだ!」
エクリアは戦況を冷静に見極めて叫んだ。あの威力を維持できる時間は限られているはずだ。しかし、アスヴァルは再び槍に重力を込め、次は逃がさんぞと言わんばかりに二発目の『崩槍震撃』の構えに入った。
「カシューさん! みなさん、私の後ろへ! 絶対聖障壁・アブソリュート・ディヴァイン・イージス!!」
最後列にいたサティアが前に進み出た。彼女は最高の結界術を発動させ、神聖力を極限まで高めると、味方全体を光の壁で守護する絶対の聖障壁を展開した。
ズドオオオォンッ!!
アスヴァルの二発目の必殺の一撃が直撃するが、光の障壁は激しい波紋を立てながらも、物理・魔法・魔力衝撃・高位呪術の全てを完全無効化する「鉄壁の神聖守護」により、その圧倒的な破壊力を完全に防ぎ切った。
「精霊王の加護で魔力が無尽蔵な状態でなければ長くは持ちませんが、加護がある限りこの防壁は破れません!」
サティアが、メイデンロッドを掲げながら頼もしく宣言する。しかし、アスヴァルは真魔解放が続く限り、愚直に、そして無限に『崩槍震撃』を放ち続けてくる。
ズガアアアアァンッ!! ドゴオオオオオォンッ!!
「このままじゃキリがないわ。防ぐことはできても、奴に攻撃を加えられない!」
カグラが焦燥の声を上げる。同じ箇所を執拗に狙ってくる重力衝撃波に、絶対のはずの結界すらもギシィッ……! と悲鳴のような軋み音を上げ始めていた。
エクリアが高威力の魔法を放つが、超重力の領域に飲み込まれ威力が半減されて届かない。エヴリーヌの放つ魔法弓の矢も同様に重力に軌道を捻じ曲げられて墜ちてしまう。カグラの術の射程外であり、近接戦のカシューやグラザでは、あの領域に近づくことすらできない。防戦一方のジリ貧。愚直に攻撃を繰り出すアスヴァルに対抗するため、カリナは静かに女神刀を鞘へと納刀した。
「……なら、力業でねじ伏せるしかないな」
カリナは一歩前に出ると、左手を真っ直ぐに天へと翳した。
「開け、黄道十二宮の扉よ! 金牛宮から顕現せよ、黄金のタウラスよ!!」
彼女の凜とした詠唱と共に、虚空に眩い黄金の魔法陣が幾重にも展開された。その光の中から、圧倒的な質量と威厳を放つ、巨大な黄金の鎧に身を包んだ金牛、ハスガードが降臨した。
「お久しぶりです、我が主カリナよ。……なるほど、重力を操る悪魔ですか。だが、我が装甲の前では何の意味もない」
ハスガードはその巨大な頭を垂れ、重低音で告げた。
「ああ、お前の力を貸してくれ、ハスガード」
「御意に!」
ハスガードの巨体が眩い黄金の鎧へと変化し、カリナの真紅のバトルドレスの上から、流星のように次々と装着されていく。
カァァァァァァンッ!!
凄まじい光の奔流が収まった後、そこには眩いばかりの黄金の輝きを放つ『タウラスの聖衣』を身に纏ったカリナが立っていた。
彼女の燃えるような真紅の髪を飾るのは、牛の角を模して勇壮に前方へと湾曲する黄金のヘッドギア。首元から豊かな胸元、そして引き締まった腹部にかけてを覆う重厚な黄金の胸当てには、精緻で流麗な紋様が深く彫り込まれており、一切の攻撃を通さない黄道十二宮でも最高峰の絶対硬度を誇っている。
丸みを帯びた堅牢な肩鎧からは鋭い角のオブジェクトが伸び、そこから続く腕には黄金の小手が装着され、手には指先を露出させた闘気溢れる手甲が握られている。腰回りにはリボンのような意匠をあしらった黄金の装甲スカートが翻り、絶対領域の白いニーソックスを挟んで、膝から足先までは鋭い翼状の装飾が施された黄金の具足がガッチリと彼女の脚を護っている。
そして何より目を引くのは、彼女の背中から左右へと雄大に広がる、巨大な黄金の翼だ。一枚一枚の羽に至るまで黄金の金属で構成されたその翼は、異常な重力領域の中でも圧倒的な神々しさと威厳を放ち、周囲の光を乱反射させている。
最強の防御力を誇る純粋な重装甲でありながらも、カリナの女性らしいしなやかなボディラインを見事に引き立てる洗練されたフォルム。それはまさに、戦場に舞い降りた黄金の戦乙女そのものであった。
「あーあ、やっぱり最後はカリナちゃんの聖衣に頼るしかないのね」
カグラがその神々しい姿に見惚れながら言う。
「何という神々しい姿だ……。あれが、金牛の聖衣なのか」
グラザは純粋な武人としての感嘆の息を漏らした。
「カリナさんの疲労は必ず回復させます、今は彼女に頼るしかありません」
サティアは祈るように手を組んだ。
「ははっ、やっぱり最後は君に助けられてしまうね」
カシューが頼もしい親友の背中を見て楽しげに笑った。
黄金の聖衣を纏ったカリナは、アスヴァルが展開する局所重圧領域による重力をものともせず、真っ直ぐに彼へと近づいていく。
「お前達の足掻きもここまでだァッ!! 『崩槍震撃』!!!」
アスヴァルは、真魔解放の全力を込めた最大威力の重力衝撃波をカリナに向けて放った。
ドゴオオオオオオオオオォンッ!!!
カリナは正面から、その一撃を両腕で掴んで聖衣の圧倒的な強度で受け止めた。黄金の装甲は傷一つ負うことなく、重力の衝撃波を完全に無効化した。そしてカリナは、静かに両腕を胸の前で組んだ。
「お前の能力は確かに凄かった。だが……この黄道十二宮でも最高の硬度と強靭さを誇るタウラスの聖衣を傷つけることはできん。さあ、今こそ受けろ、黄金の野牛の一撃を!」
「それが聖衣か……! だが俺は、そんなものには負けぬゥゥッ!!」
アスヴァルは残された力の全てを爆発させ、最後の一撃を放とうと槍を振り被る。それよりも速く、カリナが高めた精霊力を組んだ両手から一気に解放し、まさに超高速の掌底をアスヴァルに向けて突き出した。
「グレイテスト・ホーン!!!」
ドオオオオオオオオオオォンッ!!!!!
カリナの両掌から、巨大な黄金の野牛のオーラの一撃が突撃するように放たれた。その一撃はアスヴァルの最後の技を紙屑のように粉砕し、そのままの勢いで彼の巨躯に激突した。
「ゴアァァァァァァァァァァァァッ!!!」
その強靭な肉体をズタズタにするほどの衝撃が走り、身体中からドス黒い血が噴き出し、身体中の骨が粉々に砕け散る。それでもアスヴァルは地に墜ちながら叫んだ。
「俺は……負ける訳にはいかんのだ……ッ!」
「いや、お前の負けだ。お前は一人、だが私には信頼できる仲間達がいる。それがお前達悪魔には決して理解できない、人間の絆だ!」
カリナは黄金の装甲を輝かせながら、悪魔には決してない、人間の希望の言葉を突き付ける。
「お、のれええええええええッ!!!」
怨嗟の絶叫と共に、限界を迎えたアスヴァルの真魔解放が強制解除される。巨躯が元のサイズへと縮み、重力領域が消滅した。その瞬間をカリナは見逃さなかった。
「今だみんな、最大の奥義で消滅させろ!」
「任せろ、決めるぞみんな!」
カシューが二振りの剣を構え、王の号令を下す。
「ああ、槍術の奥義を見せてやるぜ!」
「相克陰陽の奥義を食らいなさい!」
「今こそ、悪を滅するときです!」
「いくぜ、ぶっとべ!」
「ん、最高の弓術奥義を見せる時!」
特記戦力達は残る全力を込めて己の最大の奥義を展開する。
カグラが無数の陰陽符を天空へと放ち、詠唱を開始した。
「陰は陽を生み、
陽は陰へ還る……
光と影、相反する理よ。
争い、巡り、そして調和せよ。
天地の相克、万象の均衡!
今ここに陰陽の輪を成せ!
我が式神と符の名において命ずる
――相克陰陽術奥義
――神儀・無限相克輪』!!!」
巨大な陰陽太極陣が天空に展開され、黒と白の霊気が回転を始める。破壊ではなく調律を司る陰陽術の最高位技が、悪魔の魔力暴走や属性衝突を相殺し、循環させていく。世界そのものには影響を与えない緻密な制御型でありながら、深淵公クラスの悪魔であっても重傷は必至という恐るべき術だ。
続いて、サティアがメイデンロッドを天高く掲げ、奇跡の祝詞を紡ぐ。
「天に在す至高の光よ、
創世の時より世界を見守りし神の御座よ!
今ここに穢れし悪が満ち、
罪深き闇が地を覆わんとしている。
ならば我は祈ろう。
神の慈悲をもって弱き者を守り、
神の威をもって邪悪を裁くために。
我が魂を器とし、我が祈りを門とし
……天上の光よ、この地へ降臨せよ!
万象を照らす裁きの光、
穢れし悪を滅ぼす神の意志。
聖女サティアの名において請い願う!
神罰顕現・天上終律
アポカリプス・オブ・ディヴァイン・プロヴィデンス!!!」
数10km規模の超巨大な神聖魔法陣が天空に展開し、神の翼のような光の構造体が顕現する。そこから世界を貫くほどの聖光の柱が降下し、悪そのものを完全浄化する絶対の裁きを放つ。
エクリアもまた、魔力を極限まで高め、破滅の詠唱を叫ぶ。
「大地は裂け、
嵐と雷と炎が闇に呑まれ
……世界が「終わり」を思い出す。
六属性合成魔法禁呪――アルマゲドン・ヘキサ!!!」
カグラとサティア、そしてエクリアの詠唱。そのタイミングを完璧に合わせて、カシュー達も動いた。
「全ての防御を無効化し、存在ごと斬り裂く奥義! ヴォイド・エクスキューション!!!」
カシューが、二刀による極技を放ち、空間そのものを断ち切る斬撃をアスヴァルへと叩き込む。
「天と地を分かつほどの一撃を味わえ! 『天地乖離』!!!」
グラザが、地形を変えるほどの凄まじいエネルギーの放出を伴う一閃を、青龍偃月刀から解き放つ。
「天空の星のエネルギー、この一矢に極限まで凝縮する……! 『天穹終星射』!!!」
エヴリーヌが天空を覆い尽くすほどの巨大な精霊魔法陣を展開し、宇宙の星々のエネルギーを一本の矢へ凝縮する。放たれた矢が煌めく流星群となり、最終的に圧倒的な質量を持つ巨大な星の矢となって、都市一つを消し飛ばすほどの破壊力で一直線に降下するエヴリーヌの完全覚醒弓技だ。
カリナ以外の特記戦力とカシューが放ち、それぞれが自らその威を証明した最強奥義の全てが、一点に集中し、アスヴァルの巨躯へと直撃した。
カッ……!!!
音が、光が、そして世界そのものが、白と極彩色の閃光に塗り潰された。その直後、想像を絶する力と浄化の奔流が、アスヴァルを完全に飲み込んだ。
「グハァァァァァァァァァッ!!!」
アスヴァルの断末魔の絶叫が、光の中に掻き消えていく。全てが収まった後、抉れ飛んだ大地の中心に、黒く輝く『闇の魔力結晶』が落ちていた。カリナはそれをしっかりと拾い上げて握り締めた。
「「「はぁっ……はぁっ……」」」
最強の技を放ち終えた特記戦力達は、皆一様に荒い息を吐いていた。
「強敵だったな」
カシューが二振りの剣を鞘に納めながら汗を拭う。
「あの耐久力は異常ね」
カグラも息をつきながら言う。
「勝てて良かったな、エデンは守られたよ」
グラザは青龍偃月刀を肩に担いで笑った。
「へっ、今回もエデンの絆の勝利ってとこだな」
エクリアは絆を強調して笑顔を浮かべた。
「みなさん、無事でよかったです……」
サティアが安堵の涙を浮かべて微笑む。
「ん、エデンを侵略する者に慈悲はない」
エヴリーヌは愛弓を肩に担ぎながら誇らしげに言う。カリナは仲間達の無事を確認すると、息を吐いて聖衣を解除した。
「お見事でした、我が主カリナよ」
「お前の御陰だ、また力を貸してくれ」
「我が主よ、いつでも喚ぶがいい!」
ハスガードはそう言い残すと、光の粒子となって虚空へと消えていった。カリナは「換装」を解き、先程までの紫のコートと冒険者ドレスの姿へと戻る。
そして、仲間達の下へと戻ろうと歩き出した途端。
「はあ……はあ……っ」
聖衣を使ったことによる急激な体力の消費と反動が襲い、カリナの身体がふらっと前に傾き、倒れそうになる。そこへ、カシューが風のように駆け付け、彼女の肩をしっかりと支えた。
「大丈夫かい、カリナ」
「悪いなカシュー」
「いつでも支えるさ、親友」
カシューが、悪戯っぽく、しかし心からの信頼を込めて笑いかける。そこへ、サティアが小走りで駆け寄ってきた。
「『レクイエム・エンブレイス』!」
サティアがカリナを優しく抱き締めて最上級の回復術を詠唱する。光がカリナを包み込み、聖衣使用による極度の疲労と体力の消耗が瞬時に完全回復した。
「ありがとう、サティア」
カリナはカシューの腕から離れ、自分の足でしっかりと大地に立った。そして、六人の特記戦力とカシューは、互いの顔を見合わせると、バシィッ! と音を立てて全員でハイタッチを交わし、勝利の笑い声を上げた。
「ん、カリナはまた無理をした。……でも、あれがなければ勝てなかった、複雑」
エヴリーヌがそう言いながら、回復したばかりのカリナをヒョイとお姫様抱っこする。
「あーあ、結局カリナちゃんの聖衣に頼っちゃったわね」
カグラが肩をすくめて言う。
「ああ、だがあれがなければ危なかった。悪魔は危険な相手が多いな」
グラザは気を引き締めるように呟いた。
「にしし、まあ勝ちは勝ちだ、また俺達の勝利だな」
エクリアが満足気に笑う。
「ああ、その通りだね、さあ、カリナを休ませないといけないし帰ろう」
カシューは一行を促すように言った。
「エヴリーヌ! カリナちゃんを独占するんじゃないわよ!」
「もう! またエヴリーヌさんの抜け駆けです!」
カグラとサティアがエヴリーヌの腕の中にいるカリナを奪い返そうと、わいわいと騒ぎ始めた。
「はあ……、悪魔退治よりもこの女性陣の賑やかさの方が脅威かもな」
カリナはエヴリーヌに抱っこされたまま、呆れたように独り言ちた。
こうして、エデンの五大国の集結を狙って来た脅威は排除されたのだった。一行は待機していたガレオスの装甲車に乗り込み、勝利の余韻と共に、エデン王城へと凱旋を果たすのだった。




