第26話 幼少期④
それから数週間がたった。この時になるとわたしはハイハイからある程度ならば歩けるようになり、そのおかげで活動範囲が広がった。これまではずっと部屋にいさせられたが、少しなら部屋の外に出ていいと許可を貰い、度々外に出るようにしている。できる限り色んな人と接触するようにしている。
「トラ姫様、お出かけですか?」
「うん」
「ならば、それがしもついてまいります」
「では、それがしもお供いたします」
そう言ってにこりと笑ったのは、わたしの護衛役として付けられた少年──ヨロク。年齢は恐らくまだ10歳にも満たないくらいだが、小柄ながらきびきびとした動作を見せる。
彼はアキカゲの近習でもあるらしく、いつも一緒にいられるわけではないけれど、わたしのことを「トラ姫様」と呼び、丁寧に接してくれる。とはいえ、同じ子どもという視点ではなく、明確に“守る対象”として見られているのが少しもどかしくもある。
「今日はどちらに参りましょう?」
「アキカゲのとこ」
「かしこまりました」
ヨロクは真面目で純朴な子だ。幼いながらも礼儀正しく、その立ち居振る舞いには品すら感じられる。聞くところによると、伯母に見出されてアキカゲの近習に選ばれたのだという。
そう考えるとやはりわたしは上杉謙信の娘であるという疑惑が大きくなる。ヨロクという少年のことなのだが、ヨロクとは漢字で与六と書くのではないだろうか?だとしたら、それはひょっとしたら直江兼続のことなのかもしれない。アキカゲ=上杉景勝ならば有り得る話だ。本当に上杉謙信の娘なのかもしれない。……いや、万が一にもありえない話だが、伯母に他にも弟がいてその娘がわたしなのかもしれない。伯母に父以外兄弟がいるのかどうかは聞いたことがない。けど、多分この時代だから側室の娘だろうと兄弟はいるにはいるだろう。そして、ここが仮に上杉家なら今生きているのかどうかは確認しようがないが、謙信の兄の晴景がいるはずだ。
「アキカゲ!」
「トラ姫様!? 今日もこられたのですか?」
ヨロクに連れられてやってきたのはアキカゲの書斎部屋だ。元服したから父に新たに与えられたらしい。部屋は本人がしっかりしているのか近習が整頓しているおかげなのか知らないが、かなり綺麗な部屋だ。おかけでまだ歯の生え揃わない乳幼児なわたしでも入りやすい。
「うん! ……やだ?」
「そんなことはありませぬ。それがしもトラ姫様とお会いできるのは大変嬉しく思います。されど、主家の姫様が出歩くのはあまり……」
「ううん。ヨロクがいる!」
なんのための護衛なのだ。というか、わたしってそんな命が狙われるほどの要人なのか?大名の嫡男なら跡継ぎ争いの関係で命が狙われるのはわかるが……。
「トラ姫様、噂を存じ上げないのですか?」
「うわさ?」
「はい」
「なんの?」
噂とはわたしの母のことについてだろうか。それならたまに近くにいる女中が話していたりするが、その話だろうか?母のことについては父が何も触れてこないから何も知らないし、誰も知らない。噂の中には伯母では無いかというふざけたものがあったけど、それの話もあるのかな?
「あなたが毘沙門天の生まれ変わりだと」
「びしゃ!?」
それって上杉謙信のことじゃないの?生まれ変わりが2人いるとかそんなことありえるわけ?
「トラ姫様は大変聡明です」
「え?」
「今もこうして生まれて間もないというのにこんなにも歩けて、喋れるのですから」
「いや、へた」
本当はもっと喋れるけど、これでもセーブしている方だけど?短く簡単な単語のみで会話するようにしているし、歩くのはちょっとしか歩けない。
「いえ、下手とかではなくて……」
「?」
アキカゲが何か言いたげに口元をまごつかせた。視力がまだハッキリとしないので違うかもしれないけど。
「……つまり、トラ姫様がちゃんとここまで喋れるのは異様ってことですね」
「いよう!?」
そんなこと言われるほど変な行動した?まだ生まれて数ヶ月の歩き始めたばかりの好奇心旺盛な赤ちゃんって認識にはならないの?
「ヨロク、いいすぎだ」
「すみませぬ」
アキカゲが窘めると与六は素直に謝ってきた。いや、正直そんなことはどうでもいい。
「でも、与六の言う通りトラ姫様はとても目立つ存在です」
「へん?」
「……ええ、いい意味でも悪い意味でもそう取れるかと」
「よくない?」
「はい。考えすぎやもしれませぬが、命も狙われる可能性があり得るかもしれませぬ」
うーん……。やはり、喋り出すのは少し早かった?ちょっとは辛抱していればよかったのかもしれないけど、後悔は先に立たず。しょうがない。こうなった以上逆に開き直っても問題ないのでは?いきなりきちんと話し出すのはあまり宜しくないだろうし、段階を飛ばしていこうか。




